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小村寿太郎とその時代
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歴史
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第八章 日露開戦

『小村寿太郎とその時代』
[著]岡崎久彦 [発行]PHP研究所


読了目安時間:32分
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──その背景には日本の弱点を(おぎな)う「日英同盟」があった


満洲(てつ)(ぺい)の意志なし


 念願の日英同盟ができると、桂内閣は()(むら)寿(じゆ)()(ろう)(しゆ)(どう)の下に、正面からロシアに対して(まん)(しゆう)(てつ)(ぺい)を強く(せま)った。また清国に対しても、ますます満洲(せい)(ふく)の意図が()(こつ)になってくるロシアの要求に(てい)(こう)して(がん)()るようにいうのも忘れなかった。


 大臣(しゆう)(にん)早々の一九〇一年十月五日、小村は清国に対して、「さきに、新しい()(しん)条約をつくるのをロシアに断念させたときは、清国は日本の実力による()(えん)(かん)(しや)し、もし今後ロシアがまた何かいってきたならば、すぐに日本に()らせて協議すると宣言した。これはきわめて重要なことだから、今後もそうしてほしい」と申し入れている。


 そのころはロシアではまだ、ウイッテが(きよく)(とう)政策の中心であり、武力によらず、清国を(ろう)(らく)しつつ満洲における勢力を(かく)(だい)し、固めていく路線をすすめていた。そして満洲からの(てつ)(ぺい)の条件として、満洲における権益をロシアが(どく)(せん)する種々の提案を清国に対して出していた。


 清国は、そのつど日本に内容を通報し、小村はそのたびに清国側に助言して、ロシアの圧力に(てい)(こう)させた。



 ロシアは、ついに満洲の(けい)(ざい)()(しん)銀行の支配下に置くような提案を行なったが、清国は日本の助言に(もと)づいて、ロシア側の(しつ)(よう)な要求を(きよ)()しとおした。


 その提案が最終的に拒否された(よく)(じつ)、ロシアは日英同盟(てい)(けつ)の通報を受けた。これは、ロシアにとっては不意打ちであり、二重の(おどろ)きであった。それほど条約(こう)(しよう)の秘密はよく保たれた。


 同盟締結の(こう)をもって(かく)(りよう)全員が(えい)(しやく)(たま)わったとき、やりすぎではないかとの批判に対して、小村は、「秘密を守っただけでもその価値がある」と笑っていったという。ロマノフの『満洲におけるロシアの利権外交史』によれば、この二つの事件で満洲を独占しようというロシアの()()()(せつ)してしまったのである。



 そこでロシアは、特別の(だい)(しよう)なしに満洲撤兵を約束するほかはなくなった。


 それでも撤兵の条件として、「もし何ら(へん)(らん)が起ることなく、また他国の行動によって(さまた)げられないかぎりは」という(もん)(ごん)がついていた。これでは、満洲のなかで何か小さな事件が起っても、またそれが明らかにロシア側の(さく)(どう)によるものであっても、あるいはまた、他の外国がどこかで別の行動をとっても、ロシアはそれを口実に撤兵を中止できるようになっている。


 この文言には清国も最後まで抵抗したが、ウイッテは交渉の()(けつ)を急いで清国側の(こう)(しよう)(しや)を買収することにし、(しゆう)(わい)した清国側はその案文を(じゆ)(だく)した。


 ここで、協定調印後六カ月以内に(せい)(きよう)(しよう)南部から、次の六カ月に盛京省北部と(きつ)(りん)省、次の六カ月に(こく)(りゆう)(こう)省からのロシア兵撤兵が約束された。つまり、さきにロシアが(かく)(とく)した東清鉄道沿()いの(ちゆう)(へい)(けん)(もと)づくもの以外のロシア軍はすべて撤兵することとなったわけである。


 この撤兵協約は一九〇二年四月八日に調印された。それから半年後の十月八日、ロシアは約束どおり第一次の撤兵をしたが、その次の第二次撤退期限は一九〇三年四月八日であった。第二次撤退の地域は、(ほう)(てん)を含む満洲の中心部であり、これがロシアの(せい)()を試すリトマス試験紙となったが、はたして、ロシアは約束を守る意志はなかった。


 すでに、その前の三月ごろから、ロシアの部隊は増兵され、四月八日には、小部隊が名ばかりの撤退を行なったが、大部分の部隊は(ほう)(てん)の駅まで行進し、それから、もとの(えい)(しや)に戻ってしまった。人を()()鹿()にした行動である。


()()()だったロシアの進出


 こうしたロシアの態度の背景として、通常、ロシアの(きゆう)(てい)内の権力(とう)(そう)が挙げられている。すなわち、宮廷に勤務していたベゾブラゾフ退(たい)(えき)(たい)()がニコライの(ちよう)(あい)するところとなり、極東問題で積極策を(すい)(しん)するようになった。それでも、内務大臣がウイッテと親しいシピャーギンであったあいだは、ウイッテ蔵相、シピャーギン内相、ラムズドルフ外相、クロパトキン陸相の(おん)(けん)()(せん)に対抗できなかったが、シピャーギンが、まさに撤兵協定の成立した一九〇二年四月に暗殺され、プレーベが(ない)()大臣となってからは、ベゾブラゾフ・グループの力は皇帝の()()のもとに軍の(ちゆう)(すう)にまで(およ)んだ。


 そして、この権力闘争は、戦争前年の一九〇三年八月、ウイッテとクロパトキンが(かく)(りよう)のポストからはずされ、それまで(かん)(とう)(しゆう)(ちよう)(かん)(けん)(たい)(へい)(よう)(かん)(たい)()(れい)(かん)だったアレクセーエフが(きよく)(とう)(そう)(とく)(しよう)(しん)し、ベゾブラゾフが入閣して、積極派の勝利という決着を(むか)えることとなる。

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