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小村寿太郎とその時代
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歴史
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第十一章 世界史の分岐点

『小村寿太郎とその時代』
[著]岡崎久彦 [発行]PHP研究所


読了目安時間:34分
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──日本海海戦は()(せき)の大勝利


(ふつ)(てい)した(だん)(やく)


 第二次大戦の敗戦までの日本では、三月十日は陸軍記念日、五月二十七日は海軍記念日だった。それぞれ日露戦争の二年目である一九〇五年三月の(ほう)(てん)、五月の日本海における戦勝を祝った記念日である。


 まず、奉天大会戦というのはどういう(せん)(とう)だったのであろうか。一九〇四年の九月の(りよう)(よう)の戦い()(こう)、日本軍の(しん)(げき)は止ってしまった。何よりも(だん)(やく)がないのである。先に述べた(きゆう)(ちよう)(れい)でも饅頭山でも、勝ちを決めたのは、射撃の標的が見えない夜間の(じゆう)(けん)(とつ)(げき)である。昼間の平地の戦いでは追撃の自信がない。大軍が引き()げていくのをみすみす見過している。



 弾薬の()(ちく)の少なさは日本の防衛力の伝統的(けつ)(かん)として批判されているが、(ひつ)(きよう)は背()びして軍備を(かく)(ちよう)した(びん)(ぼう)(こく)の宿命である。


 冷戦中、ソ連の(きよう)()の下の日本はけっして貧乏国ではなかったが、GNP一パーセントのしばりがあって軍事予算は限られていた。予算(せつ)(しよう)で、「戦闘機が()しいのですか」、それとも「弾薬が欲しいのですか」と()かれれば、どうしても戦闘機のほうに手が出る。ソ連が百機で(しん)(こう)してくるなら、それに対抗するだけの数が必要だからである。そもそもこの質問は、大学に入った子供に「授業料と通学のバス代とどちらが欲しいのか」と訊くようなもので、本来は、大学に入れた以上は親もそれだけの(かく)()をすべきものである。どちらがというのはおかしいのであるが、財政のしばりがあるとどうにもならない。戦闘機はつくるのに時間がかかるが、弾薬とミサイルは、日本の工業力ならいざという場合にはどうにかなるだろう、ということで戦闘機のほうに手が出る。


 しかし、いざというときは、何もかもが一時に必要なときだから、弾薬(さい)(ゆう)(せん)というわけにもいかない。こういうことを()り返しているうちにいびつな軍隊ができてしまう。



 日清戦争後、日本はロシアに備えて、六個師団、二個()(へい)(りよ)(だん)、二個(ほう)(へい)旅団などを増設したが、こんなに急に増設しては、人員、(そう)()(じゆう)(じつ)(せい)(いつ)(ぱい)で弾薬が後回しになることは想像にあまりある。弾薬の不足はすべての部隊の悩みであった。



 ロシア側は、なぜ日本軍がロシア軍退(たい)(きやく)の機会を(とら)えて追撃してこないのか、はじめは(いぶか)しがっていた。日本側としてはロシアの(ぞう)(えん)がどんどん到着する前に攻撃するのが得にきまっている客観情勢なのだから、いまに攻めてくると思って待っているが、日本軍はいっこうに動かない。ロシア側はついに日本軍の弾薬不足を察して、日本側が弾薬を(じゆう)(そく)させる前に反撃し、もし勝てば一挙に旅順を救援しようと(はん)(こう)してきた。



 九月末、南下してきたロシア軍は二十二万、迎え()つ日本軍は十五万であるが、もともと(ぼう)(ぎよ)作戦は日本軍の得意とするところではなかったので、いわゆる攻勢防禦の作戦をとった。攻めてくる敵にわが方から攻勢をかけて出鼻を(たた)く作戦である。


 いずれが勝つともわからない激戦数日のうちに、ようやく、ロシア軍は攻撃をあきらめて(てつ)退(たい)を始めた。追撃のチャンスではあるが、いかんせん弾薬が(ふつ)(てい)している。ここで戦線数十キロにわたって、相互に敵前数百メートルのところに強固な(ざん)(ごう)をめぐらして(たい)()した。これが「()()の会戦」と呼ばれ、第一次大戦の西部戦線における塹壕戦の(せん)()をなすものである。



 ロシア側は、もう一度攻撃を()()する。一月になって、ロシア軍は、戦線の西の(はし)、日本軍の()(よく)の方向に軍を集結しだした。日本側もその企図を察して、敵の進攻方向に一個師団を()(けん)したが敵の大軍の攻勢を受けてたちまち苦戦した。そこで日本側は中央からさらに三個師団を送り、敵十万対わが方五万の吹雪(ふぶき)のなかの死闘となった。三昼夜の戦いで、(そう)(ほう)それぞれ一万の損害を出すという激闘であった。これが(こく)(こう)(だい)の戦闘である。


 このときに、敵の中央が攻撃をかけていればわが方の三個師団の増援は不可能であり、左翼戦線の(ほう)(かい)(ひつ)()の情勢であったが、クロパトキンの率いる中央の敵は動かなかった。あとでわかったことであるが、ロシア軍の攻勢はクロパトキンの反対を押し切ってのグリッペンベルグ大将の独走であり、クロパトキンは「お手並み拝見」ということで動かなかったのである。攻勢失敗後、グリッペンベルグは辞表を叩きつけてハルビンに引き揚げている。


()けつけた第三軍


 その間旅順は()ち、()()(まれ)(すけ)の第三軍七万は一月十三日の入城式がすむや(いな)や、(よく)(じつ)から北上した。そして、一カ月かかって陽に集結して進撃の準備ができると、二月二十八日には奉天に向けて出発し、奉天の大会戦に参加している。それでも、第三軍の一部は間に合っていないのだから、ギリギリのタイミングであった。


 戦争に(あと)()()はつきものであるが、結果として負けたロシア側こそ、数多くの()いを残しているのであろう。どうせ(りよ)(じゆん)(かん)(たい)(ぜん)(めつ)させられるのなら、なぜ開戦当初にどんどん出撃して戦いを(いど)まなかったか、そうすれば日本軍の兵員輸送はあんなにスムーズには行っていなかったであろう。

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