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小村寿太郎とその時代
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歴史
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第十二章 ポーツマス条約

『小村寿太郎とその時代』
[著]岡崎久彦 [発行]PHP研究所


読了目安時間:35分
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──ローズヴェルトの説得にも小村は(ゆず)る気がなかった


(びん)(ぼう)(こく)がこれ以上戦争を続けて何になるか」


 (ほう)(てん)大会戦後の日本陸軍の状態は、表面上の勝利とは(うら)(はら)(さん)(たん)たるものだった。とくに将校の()(じゆう)が間に合わず、各()(だん)とも、その実際の戦力は三〇パーセントないし五〇パーセント低下していた。


 小隊長は(ぞく)に「(たま)よけ」といわれる。陸軍士官学校(りく)()を出てまずなるのが小隊長であるが、小隊長は兵隊を(ひき)いて先頭に立って(とつ)(げき)する役目であり、どこの国でも、大戦争の時期に陸士を卒業したクラスは戦死者が(きわ)()って多い。一九〇五年には、わずか八カ月の教育で陸士第十七期生を()り上げ卒業させた。それでもたった三百名しか戦場に送れなかった。そのなかには第二次世界大戦の総理大臣(とう)(じよう)(ひで)()もいた。


 それにひきかえロシアは、それまでは(どく)(おう)(ドイツとオーストリア)正面に配備してあった兵員、装備ともに第一級の()(きず)の師団を毎月五、六万ずつ送り込んでくる。(さん)(ぼう)本部が計算したところでは、九月中旬にはロシア軍は三八個師団に達するのに対して(ざい)(まん)日本軍は一五個師団プラス新設中の二個師団、計一七個師団で数だけでも半数に(いた)らず、実戦力はさらに低かった。この計算は、戦後の公表されたロシア側の資料と(しよう)(ごう)してもほぼ正確であった。



 奉天大会戦の(せん)(とう)が終ったのは三月二十日であったが、二十八日には早くも()(だま)(げん)()(ろう)大将が新橋に到着した。その目的は(ごく)()であり、(がい)(せん)将軍として「その意気当るべからず」というのが外部に与えた印象であった。


 しかし、(むか)えに出た(なが)(おか)(がい)()参謀次長が馬車のなかでひそかに「今後の作戦は?」と問うと、児玉大将は低い声で、「作戦について相談に来たのではない! 戦争をやめるために上京したのだ」といった。これを手始めに、児玉は政府(ちゆう)(すう)に、「戦争を始めたものは戦争をやめることができなくてはいけない。(びん)(ぼう)(こく)がこれ以上戦争を続けて何になるか」という(ちよく)(げん)をしてまわった。


 ()(むら)寿(じゆ)()(ろう)(もと)(きよう)(こう)意見に固まっていた外務省の(やま)()円次郎政務局長に対しては、「戦争の(じよう)(きよう)からいって、もう一兵の()(じゆう)()らない。ただ平和が必要なだけだ」と(くぎ)をさしている。


 小村が講和の(ぜん)(てい)として「もう一度リネヴィッチをたたくこと」を要望したのに対しては、「陸軍には勝算なく、いまの優勢な敵と戦うことは危険この上なし」と(こた)えている。児玉は戦局の大勢が見えきっているのである。



 これに対してロシアのほうは、海戦ではもう勝つ見込みはゼロになったとはいえ、大陸における戦闘は自信満々だった。ただ、ロシアの(けい)(せん)にとって最大の問題は国内情勢であった。その意味では、(にち)()戦争における日本の勝利はベトナム戦争におけるベトナムのアメリカに対する勝利にも似ている。ベトナム戦争のときのアメリカ国内の反戦運動よりももっと(しん)(こく)だったのは、ロシア国民の心のなかにツアーの(せん)(せい)体制がはたしてこのままでよいのかという疑念が生じ、革命の気運が(そく)(しん)され、また、ロシアに(せい)(ふく)された少数民族に独立の気運が高まったことにある。


 ウイッテの『(かい)(そう)(ろく)』はこの状況を(てき)(かく)(びよう)(しや)している。

戦争は戦うごとにロシアに不利だった。それはロシア国民の全(かい)(そう)にかつてないショックを与えた。それはいろいろな形で表われたが、いずれも現在の政治体制に不満を表明するものばかりであった。


 もともとロシア帝国は何によってその存在を認められてきたのか? それは主として、というよりももっぱら、軍隊の力ではなかったか。モスクワの半アジア的な一小王国をヨーロッパの(おそ)るべき一大強国としたのは誰の力であるのか? それは一に軍隊と(じゆう)(けん)の力ではないか。ロシアの文化、富力などのいずれもが世界を(しよう)(ふく)せしめたのではない。ロシアの武力を恐れたのである。だから、いまやロシアはそれほど強くない、それは()(じよう)(ろう)(かく)であると(わか)ると、内外の敵はいっせいに頭をもたげてくる。


 奉天の敗戦以降、常識のあるロシア人のあいだでは、『この戦争は継続すべきではない』という考えが日とともに()くなってきた」


ローズヴェルト大統領の(あつ)(せん)


 日本でも児玉の説得以降、政府(しゆ)(のう)は和平を(さぐ)(せい)(さく)(いつ)()し、日本海海戦で大勝利を博するや否や、五月三十一日に小村は(たか)(ひら)()()(ろう)駐米公使に訓令して、ローズヴェルト大統領に講和の(あつ)(せん)()(らい)した。


 ローズヴェルトは(さつ)(そく)ロシア大使を(しよう)()して、ロシア側の意向を探った。ロシア側は、日本海海戦直後はいったんは継戦を決めていたが、ローズヴェルトの(かん)(ゆう)を受けて、六月七日になって(あつ)(せん)(じゆ)(だく)する(むね)のツアーの意向を伝えてきた。



 ロシア側の全権は、敗戦国の代表というかんばしくない役割であり人選が難航したが、結局()(じん)をもって代え(がた)いということでウイッテに決った。


 ツアーはウイッテに対して、「いかなる場合でも一コペイカの(ばい)(しよう)(きん)も一インチの領土も(じよう)()するものであってはならない」と(げん)(めい)した。

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