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小村寿太郎とその時代
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歴史
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あとがき(原著のあとがきのまま)

『小村寿太郎とその時代』
[著]岡崎久彦 [発行]PHP研究所


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 本書『小村寿太郎とその時代』は、(めい)()()(しん)から第二次世界大戦の敗戦に(いた)る七十七年間の日本近代政治外交史の第二部として(しつ)(ぴつ)されたものである。


 私は、さきに『()()(むね)(みつ)(上下、PHP文庫)を書き、(めい)()()(しん)から(につ)(しん)戦争までの期間を書いたので、これはその続編である。ただし、この外交史はいずれ英訳することも考えているので、すでに発行した『陸奥宗光』はそのためには長過ぎるので、いずれ、短く書き直したものを出版する予定である(現在『陸奥宗光とその時代』としてPHP文庫に収録)



 日本近代外交史を書くことは昔から私の夢であった。


 戦後初めての日本人としてケンブリッジ大学に入学したので、その頃は、戦中、戦後に英国で書かれた本をよく読む機会があった。そして感じたことは、戦争というものがいかに歴史の(きやつ)(かん)(てき)判断をゆがめるかということであった。


 英国が(ほこ)(さい)(きよう)(せん)(かん)プリンス・オブ・ウェールズを(げき)(ちん)したマレー沖海戦において英国の海軍士官たちは、日本のパイロットの(ゆう)(かん)さに目を(みは)った。しかし、「勇敢」(ブレイブ、カレイジャス)とか「(あい)(こく)(てき)(パトリオティック)とかいう英語はどうしても使えないのである。その場合英語ではファナティックな()(ちが)いじみた、狂信的な)(こう)(げき)と表現された。


 近代戦は第一次大戦以降は(こつ)()(そう)(りよく)(せん)になった。その場合重要な役割を果すのは国民に対するプロパガンダである。(よう)(へい)や志願兵でなく、一般国民にまで戦争に協力して(もら)い、戦場で血を流して貰うためには、敵は悪の(ごん)()であり、味方は常に(せい)(せん)を戦っていると信じて貰わなければならない。同じ人間同士が戦うのであるから、現実世界にはそういうことはあり得ないのであるが、それを無理に信じこませるのがプロパガンダである。


 戦時中のプロパガンダでは日本の方が強かった。日本が(せん)(りよう)した地域は欧米の旧(しよく)(みん)()だったので住民は当然解放を歓迎した。これに対して英米側は他にいうこともないので日本の(ざん)(ぎやく)行為をいった。戦争は人を殺し合うのであるから残虐はお互い様であり、日本側も()(ちく)(べい)(えい)などといったが、英米側はそれしかない。それも実体に乏しいので、「身の毛もよだつ」とか、「(ひつ)(ぜつ)を絶する」とか、形容詞だけエスカレートした。



 戦争が終ると、負けた国のプロパガンダは()(めつ)するが、勝った側のプロパガンダは歴史の記録として残る。私が居た頃は、こうした形容詞は、英語の書籍に雑誌に、至る所に残っていた。


 本というものは一度出版されれば何時(いつ)まででも残る。とくにアングロ・サクソンは歴史を書くことに(すぐ)れている。中国と日本を除く世界中の歴史は、ペルシャ、インドのような国も含めて皆アングロ・サクソンが書いたといっても()(ごん)ではない。とくに英語が世界の通用語となっている現状では、英語で書かれた歴史が最終決定版となってしまう。このアングロ・サクソン史観で書かれた歴史は何時かは修正しなければならないと思っていた。



 それから三十年も経って、今度は日本では教科書問題が起り、(なん)(きん)事件、(じゆう)(ぐん)()(あん)()など、戦時の行為に対するいわゆる謝罪問題が起きた。



 戦争の記憶というものは通常一世代、三十年ぐらいで薄れ、あとは歴史家の仕事になるものである。ナポレオンがワーテルローで負けたのが一八一五年であり、その後は(しん)(りやく)者ナポレオンに対する批判()(べつ)は激しかったが、一八四八年の革命の頃から、ナポレオンの業績はフランスのグロワール(栄光、(こく)()を輝かしたという史観に定着した。第一次大戦後のドイツ批判などはせいぜい十年ぐらいしかもたなかった。


 日本でも、一九四五年の敗戦後三十年を経た七〇年代後半には、戦争の問題はまったく過去のこととなっていた。当時私は防衛庁の参事官として(こつ)(かい)(とう)(べん)に三年間で三百回立ったが、過去の戦争に対する謝罪の問題や、周辺アジア諸国の感情の問題、まして南京事件や従軍慰安婦の問題などは、ただの一度も国会で(げん)(きゆう)されたことはなかったし、新聞にも一行も書かれていた記憶は無い。中国や韓国の新聞にも全く無かったと思う。


 南京事件や従軍慰安婦の問題、戦争の謝罪の問題は、戦後五十年解決しないでほうって置いた問題というのは誤りである。一たん、歴史の過去となった問題が、戦後日本の(きわ)めて特殊な政治的社会的(かん)(きよう)のなかで、()()(てき)に、しかも誤報をきっかけに掘り起され、それが海外の反響を呼んで、新たに問題となったものである。



 したがってこの問題が今後どうなるのかは、世界史に(るい)(れい)のない現象なので予測は難しい。(ほつ)(たん)が人工的、意図的なものであるから、意外に早く消え去るかもしれないとも思う。戦後五十年の(ふし)()でこの問題が大いに議論されたとき、私は積極的には議論に参加しなかった。私はつねに物を書く以上、それが後世に(のこ)ることを覚悟しなければいけないと考えているので、十年経てば誰も問題にしないかもしれないことを(こと)(さら)に論じるのは()(けん)(しき)のように感じたからである。


 他方、この問題は、歴史の自然の流れを人工的に止めてしまって、教科書などで固定しようとしている問題でもあるし、他面、外国にとっては日本に対して交渉上優位に立つ武器として有用なものでもあるので、人工的にかなり長く続くものであるかもしれない。どちらになるか見通しが立ちにくい。



 もし、これが長く続いた場合、最も心配なのは、これが未来の世代に与える影響である。


 私は、かつて十七世紀の(えい)(らん)戦争について調べて書いたことがある(『繁栄と衰退と』文藝春秋)。オランダは、スペインに対して(えい)(ゆう)的に戦い、同盟国イギリスの危機を救っている。()(てき)(かん)(たい)の英本土(しん)(こう)を救ったのはオランダの(こう)(せき)である。


 しかし、その後、三度の英蘭戦争を戦ったために、英国がスペインと生きるか死ぬかの戦いをしている最中に、オランダは(かね)(もう)けだけしかしなかった(ひる)であり(きゆう)(けつ)()であったというのが英国のプロパガンダとなり、オランダが負けたためにそれがそのまま正史として残り、このオランダの(こう)(せき)はイギリスで書かれた歴史からはまったく(まつ)(さつ)されてしまった。しかし、私の本を読んだ日本人たちがオランダの人にその内容を話すと、オランダ人は眼を輝かせて、「それは私たちが子供の頃から繰り返し繰り返し聞かされた話です。どうして日本人がそれを知っているのですか」というという。


 外国の歴史からは無視されても、オランダ人自身の英雄的な歴史は(みやく)(みやく)としてオランダ人のなかに生き続けているのである。それが普通であろう。


 しかし、日本の場合は、戦敗国として外国から(へん)(こう)史観を押し付けられたのではなく、日本のなかの反体制的な勢力の偏向によるものなので、民族の伝統、歴史そのものが(みずか)らの手で(まつ)(さつ)されてしまう危険を(ぞう)しているのである。



 いまの教科書の不正確さを批判し、否定することは易しい。しかし、批判する以上、これこそが正しい史観だというものを持っていなければならない。またそういう正しい史観を持っていれば、偏向史観を批判したり、ああだこうだ論争に入る必要もない。ただそれを公表して偏向史観などは問題とするに足らずと無視すればよいのである。


 これに反して、批判する側が、戦前の薩長史観、(こう)(こく)史観を含む雑多な史観の寄せ集めで、整理がついていないと、ただ、論争の(どろ)(ぬま)に入ってしまうだけになる。



 しかし、どうすれば、真に公正、中正なる歴史なるものが書けるのだろうか。


 歴史的な事実かどうかは学問的に検証できる。南京事件や従軍慰安婦などについて問題なのは、歴史的事実として検証できない(あや)しい記述が、教科書などに採用されているところにある。


 しかし、もっと難しいのは、一つ一つの事実は真実であっても、歴史の大きな流れに関係のない局部的な事実をアンバランスに大きく取り上げている場合である。自分の主張に都合のよい事実だけを集めて、歴史の本当の流れを見ていない歴史をどうして直せるかということである。


 事実と事実とのあいだの(けい)(ちよう)、大小のバランスを判断するのには、何の客観的基準も法則も存在しない。基準とすべきはただ(りよう)(しき)のみである。かつては、良識の代表のように皆に尊敬されている大先生が居てその人が通史を書けばよかったのであるが、学問の専門化が進み、通史の書ける人は少なくなったという。



 私が人様よりすぐれた良識を持っているなどと主張する気はまったくないし、主張し得べくもない。私の()()といえば、外交と軍事の両方に実務の経歴があるということぐらいである。


 そこで、本書の執筆にあたって私が取った手法は、(そう)稿(こう)を三章ごとにまとめて、尊敬すべき歴史の専門家たちに読んで頂いてセミナーを開いて、教えを()い、「そこまではいえないのではないか」、「それにはこういう反対の資料もある」というようなコメントを頂いて、「それならばバランスの取れた歴史といえる」と納得して貰えるまで書き直すということであった。


 物事の真実を(つい)(きゆう)するには、ソクラテス、プラトンが用いた対話が、いまでも最善の方法であるということであり、それ以外の方法は思い当らない。


 近代政治史については()(くりや)(たかし)(いの)(うえ)(とし)(かず)(さか)(もと)(かず)()の各先生、軍事史については、(くわ)()(えつ)(ひら)()(よう)(いち)の各先生、外交史については、(よし)(むら)(みち)()(かみ)(やま)(あき)(よし)の各先生について教えを乞うた。各先生の()()の御協力には深く感謝申し上げる。


 なお、(ぶん)(けん)については、ほとんどは(まご)()きである。かつて『陸奥宗光』を書いたときはすべて(げん)(てん)にあたって見たが、その結果得た結論は日本の学者は良心的であるということである。たとえ、結論は偏向している場合でも引用そのものは原典にあたって見ると極めて正確である。もちろん、原典にあたると、引用されてない部分に面白いところがあり、場合によってはその方が重要であると気付くこともあるが、一々それをやると無限の時間がかかり、通史を書くこととは両立しなくなってしまう。


 日本近代史は、すでに多くの優れた研究者によって掘り起し尽されている。本書の目的はそれ以外の新しい事実を発見することにはない。それは今後(ます)(ます)出て来られるであろう優秀な若手の学者たちの御仕事であろう。


 むしろ、近代史において、最大の問題であり、また、それが本書の目的であるのは、そうした正確な事実と事実のあいだの(けい)(ちよう)のバランスを誤らない歴史を書くことにある。それを妨げる(おと)し穴は(ずい)(しよ)にあるが、新しい史実を発掘したなどと鬼の首をとったようにその部分を(こと)(さら)に取り上げ、木を見て森を見ないことも戒心すべき陥し穴の一つであると思っている。



 また、引用は、カギ(かつ)()つきの引用であっても、なかの文章はなるべく、現代人にわかり易い文章に直した。また小中学生でも関心のある人は読めるように、小学校低学年以上の漢字にもルビをつけることにした。



 なお、これだけの作業を始めることについては、私自身にそこまでの実力があるかどうかということの他に、五年余にわたると予想されるこの事業に集中することには私個人の人生設計上も、かなりの決心を要した。その間私を(げき)(れい)し、(ぶつ)(しん)両面で支援して下さったのは、(うえ)()(りゆう)(ぞう)氏を始めとする関西中心の財界の方々であり、その()(おん)はけっして忘れることは出来ない。



 最後に、編集に当られた真部(まなべ)(えい)(いち)氏、(いま)()(あき)(ひろ)氏、()(ばやし)(えい)()氏、ルビを振り年表を作製して下さった(ひがし)(じま)(ゆう)()様、『Voice』に連載中の担当である(よこ)()(のり)(ひこ)氏、そしてセミナーの会場として種々の便(べん)()を与えて下さった外務省外交史料館の皆様に厚く御礼申し上げる。


 また、博報堂岡崎研究所の()(がわ)(あきら)氏、(なか)(じま)(くに)()氏、そしてすでに結婚退職された(つち)(はし)(たか)()氏、それも含めて(しゆう)()()わらぬ博報堂の御支援に感謝申し上げる。



 平成十年秋

岡崎久彦 

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