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歴史のねむる里へ
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旅行
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近江(一) 壬申の乱を旅する

『歴史のねむる里へ』
[著]永井路子 [発行]PHP研究所


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脱出──近江から宇治へ



 ドラマチックな旅をした男と女があった。


 もしも彼らの旅がなかったら、日本の古代史は全く別の形になっていたかもしれない──というほどの、なかなかお値打ちものの旅を彼らはした。範囲も近江から飛鳥(あすか)を経て吉野へ。さらに吉野から伊賀越えをして桑名、そして不破へと、当時としてはかなりの広範囲である。彼らの名は大海人皇子と(うのの)讃良(さららの)皇女(ひめみこ)──といえば何やら耳遠いが、つまりはのちの天武天皇と持続女帝という御夫婦なのだ。量質ともにまさにキング・サイズ、登場人物も千両役者というこの旅は、史上あまりにも有名である。が、よく知られているわりに、かんじんなところは案外謎につつまれているのだ。では、どのあたりがおかしいのかを考えながら、歴史を追体験してみよう。


 彼らの旅立ちは、今から千三百年ほど前、六七一年の十月だった。じつは、その日の朝まで、彼らは旅立つことさえ考えていなかったのだが、その日、

皇子──」


 近江の宮殿で、重臣の蘇我安摩侶に意味ありげに袖をひっぱられたところから、運命は大転換する。

帝がお呼びですぞ」


 安摩侶は言ってから声を低めた。

帝も、もう、いけませんな」


 そのころ近江朝廷の帝王、天智は重病の床にあった。その病状が更に悪化したことを安摩侶は告げ、

ま、気をつけて御返事なさることですな」


 と言った。いや、そこまでは口に出さず、片目をつぶってみせた程度かもしれない。なにしろ、どこに他人の眼が光っているかもわからなかったし、また、そう言われなければピンとこないほど、大アマな大海人でもなかったろうから……。


 大海人は天智の病床に近づいた。彼は天智と母を同じくする兄弟である。天智は蘇我一族を倒し、大化改新をやってのけた辣腕の帝王だが、その片腕となってきたのが、この大海人であった。天智は弟をさしまねくと、苦しい息の下から切れ切れに言った。

もう自分の命は長くない、後はよろしくたのむ」


 が、その言葉を聞いたとたん、大海人は、


 ──ははア、安摩侶の言ったのは、これだな。


 と思ったらしい。礼儀正しく、しかし決意を秘めた口調で彼は言葉を抑えた。

いやいや、とんでもありません。私には兄上の後を継ぐだけの才能は持っておりません。それに体をこわしておりましてね。どうか天下の事は兄上のお(きさき)(やまと)(ひめ)と、御子の大友皇子におまかせください。私はこの世のことに興味はないのです。お許しを頂いて出家して吉野の山に籠りたい。そして兄上の御健康の回復をひたすら祈りたいのです」

まあ、そう言わずに、頼むから」

いやいや、これだけはお受けしかねます」


 などというやりとりがあり、天智はやむなく弟の出家を認める形になった。大海人はその場で出家し、その二日後の十月十九日、大いそぎで近江を出て吉野に向う。


 これが、『日本書紀』にある彼の旅立ち前奏曲である。では、せっかくの兄の申し出をなぜ断ったか。これは、大海人が天智の本心を見ぬいていたからだ、とふつうには言われている。


 天智は息子の大友皇子を愛していた。大友の母親は正夫人の倭姫ではなく、伊賀の(うね)()である。こういう身分の低い女の生んだ皇子は、当時の常識では天皇の位につけないことになっていた。が、鉄の意志をもった辣腕の帝王も、最後に父性愛にヨロメいたらしいのだ。


 だから、大海人の答は、天皇にとっては、


 ──待ってました!


 である。

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