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歴史のねむる里へ
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近江(二) 近江観音寺城をゆく

『歴史のねむる里へ』
[著]永井路子 [発行]PHP研究所


読了目安時間:31分
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祖母ヶ昔



 その日、近江路は銀色に光っていた。樹々も野原も家並みも、なぜか色彩を失い、一様に銀色に見えたのは、重苦しげな曇り空のせいだったかもしれない。それも決して涼しげな銀色ではなかった。風も死絶えた夏の昼下り、風物は雲にさえぎられた夏の陽に、じわじわ()かれ、いぶし銀に変えられてしまったという感じだった。


 が、この陰性な暑熱も、今日の私には苦にならなかった。かねて気にかかっていた一人の女性の周辺に、今日こそ何かの手がかりを得られるかもしれない──そんな思いが、夏さなか、近江路を歩く苦労を忘れさせたのである。



 祖母ヶ昔──。


 平凡なその名を耳にしたのは、いつのころだったろう。それでも、家康が愛用したという茶の名を私が辛うじて忘れなかったのは、この茶の作り手である宇治の上林家と家康の結びつきに、ちょっとした歴史的興味があったからである。


 例の本能寺の変の折、家康は堺にいた。一種の無政府状態の中で伊賀越えをして本国へ逃げ帰った話はあまりにも有名だが、その途中、木津川あたりから道案内に立ったのが上林久徳だったという。代々足利氏に仕えたという上林家は昔から宇治のあたりに拠点があったらしく、その後豊臣秀吉に宇治の代官に任じられ、茶園を預かったが家康は危急を救ってくれた恩義を忘れず、上林家を訪ね、その茶を喫したことも度々であった。


 ──それにしても、何で「祖母ヶ昔」なのかな……。


 平凡さのゆえに、かえってその名は私の頭の隅に残った。それからしばらくして、私はまた偶然、この上林久徳なる人物に、史料の中でめぐりあうことになった。

久徳の母は、佐々木六角左京大夫入道承禎が女にて、妙秀尼といふ」


 おや、と思ったのは、このときである。六角承禎の娘が、茶商の上林家に嫁ぐ、というようなことはあるのだろうか、という気がした。以来この妙秀尼という女性は、何か私の心の隅にひっかかる存在になってしまったのである。


 以来、私は六角への関心を少しずつかきたてられていった。信長の上洛の途次、ひとたまりもなく蹴ちらされてしまったこの家のことを調べるためには、一度居城の観音寺城へ行ってもいいな、などと思ったりした。


 そしてちょうど取材旅行で近江を通るのを幸い、途中下車して、観音寺城をたずねることにしたのである。もっとも正直いって、城址にはあまり期待はしていなかった。信長に攻められたとき焼け落ちた上に、使われていた石垣は、すべて安土に運ばれた、と聞いていたので、何も残っていない山を想像していたからだ。


 ──が、山頂の観音正寺まで行けば、何か雰囲気は掴めるかもしれない。


 そのくらいの気持で観音正寺前で車を降りた。西国三十二番札所にふさわしく、目の前に土産物屋があった。七、八人の女性が大騒ぎをしながら店の先においてある杖を選んでいた。


 ──杖はどうしようかな。持たなくてもいいのじゃないかな。


 考えていると、後から声をかけられた。

(まい)りですか」


 小柄な老人と若い男の人が立っている。

はあ……あの」


 私はあいまいなうなずき方をした。

あの、このあたりを、ちょっと……」

じゃ、観音寺城址のほうですね」

はあ」


 と、老人はにこにこして言った。

じゃあ、やっぱり杖をお持ちなさい」


 それから連れの人とうなずきあって、

よかったら御案内しますよ」


 と言ってくれる。

ちょうど私たちも、その辺をまわって上るところですから」


 見れば、若い方の人はナップザックを肩にキャラバン・シューズといった、軽い山登り姿で、もの馴れた様子で、私の手にあいそうな短い杖を選んでくれた。

近ごろは、それでも、ぼつぼつ城址を見にくる人もありますな。ここは、もっともっと多くの方に知っていただきたいところですよ。信長の安土城の方が有名になってしまいましたが、規模にすれば、安土などは、ものの数ではありませんよ。なにしろ、安土城は二百メートル足らずですが、観音寺城のある(きぬがさ)山は標高四百三十二メートルですから」


 たしかに、あたりを睨みすえている山容は、いかにも堂々として王者の風格がある。

さあ、出かけましょうか」


 歩き出すと、四つ角に石の道しるべが立っている。「左くハんおんすぐ」とあり、石段を降りてくる人の姿も見える。


 ところが、案内をしてくれるというお二人は、左の方へはゆかず、登り口とは直角の道をどんどん歩いて行く。

あの……こっちが近道なんですか」


 追いかけて行って聞くと、老人は、

いや、そうではありません。でも、観音寺城址を見たいとおっしゃったでしょう」

はあ」

それなら、こちらからまわってください」

城はそっちにあるのですか」

いえ、城は──いわゆる本丸は山の上ですが、それだけごらんになっても、観音寺城はわからないんです」

そうなんです」


 若い人も力をこめて言う。

いわばここは山全体が城なのです。それを見てやってほしいんです」


 まるで旧知の友を紹介するような口調で語る二人の言葉に私は打たれた。いでたちから見て、一方は寺に用事でもあって登ってゆく地元の人、一方はその知りあいで単なるハイカーぐらいに思っていたのだが、この認識は改めなければなるまい。

お城のことはお詳しいのですね。もうずい分前から登っておられるのですか」


 改めてたずねると、老人は、

私は地元ですから子供のころから遊びにきていましたよ。でも、本格的に城のことを調べはじめたのは昭和四十四年からですが、さあ、もう千回は登り降りしましたかなあ」


 と事もなげに言われた。

まあ、千回も! じゃあなたも」


 若い方の人にたずねると、

それほどでもありませんが、やはりよく登っています。何しろ城が好きなもので」

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