『読む麻薬 「現代の悪魔」の歴史と恐ろしさがわかる本』
[著]柘植久慶
[発行]PHP研究所
古代の麻薬は阿片に始まる。トルコ原産の罌粟から採取され、新石器時代からすでに知られていた。紀元前五世紀ぐらいから戦争が頻発し、負傷者の鎮痛剤として使用された。
グレコ・ローマン時代──ギリシア・ローマ期から中世の暗黒時代にかけて、より広い地域に広がりを見せる。ペルシアでは暗殺団が利用した、ハシシュ──乾燥麻薬が知られた。
阿片をめぐる戦争としては、イギリスと清国の〈阿片戦争〉であろう。アメリカの「南北戦争」は六二万人からの戦死者を出したが、負傷兵に鎮痛剤として投与したモルヒネにより、多数の麻薬中毒患者を生んだ。
一九世紀末になって、ドイツの世界的製薬会社のバイエル社が〈ヘロイン〉という商標名の鎮痛剤を発売、〈コカイン〉とほぼ同時期に、世界に広まっていった。これらは合法的に売られただけに、医師を通じ多くの患者に処方されてゆく。
第一次世界大戦は、主要諸国が真っ二つに分かれて戦ったことで、軍事以外の問題も生じた。仏領インドシナの阿片専売公社は、トルコが敵方となったため、阿片の供給が不足をきたしたのである。これがインドシナでの罌粟栽培を本格化させた。
日本は満洲に権益を確保、次いで中国大陸に占領地を拡大すると、そこに居住している阿片中毒患者たちに、阿片の安定供給の必要が生じた。寒冷な満洲での栽培が軌道に乗ったことで、占領地経営に支障をきたさなかった。
ヴェトナム戦争は、多数のアメリカ軍人をヘロインなど、麻薬に汚染させるという事態を招いた。南北戦争同様、帰還兵が本国に麻薬禍を生んだのだ。
これと同じ現象がアフガニスタンに派兵したソ連軍に起きた。多額の戦費が国家予算を圧迫した上に、帰還兵の麻薬汚染が国内に市場を生む破目となった。
一九八九年を頂点とするコロンビアの麻薬戦争では、パブロ・エスコバルという一介のチンピラが、一〇年で世界一〇〇位内の大富豪にのし上がった。彼らの送り出したコカインは、アメリカで最悪の麻薬汚染を招いた。
日本では現在、北朝鮮からの覚醒剤が大きな脅威となっている。覚醒剤はハイになるため、一般的に日本人向きな麻薬と言えるだろう。そのため暴力団のルートで、大量に流入していると思われる。清原和博のケースがこれを物語っているのだ。
麻薬に頼ったり溺れた有名人は実に多い。あのジャン=ポール・サルトルも、一枚看板の「実存主義」をジャンキー状態で唱えていたのだから、それをありがたがった進歩的文化人を笑いたい。
麻薬に「トライアル」は通じない。一度汚染したら、かなり高い確率で、後戻りできない道を歩み始めてしまうのである。
二〇一六年三月
柘植久慶