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ストーリーで読む 世界で通用する人のための勉強入門
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教育
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プロローグ 木曜日はアンビリーバブルに始まった

『ストーリーで読む 世界で通用する人のための勉強入門』
[著]福原正大 [発行]PHP研究所


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(やばい、やばい……)


 梅崎()()は時間を気にしながら、息せき切って塾に駆け込んだ。


 木曜日は英語のレッスンはないけれど、塾長の授業がある。璃乃が初めて受ける授業だ。最初から遅刻するのはまずい。


 教室には1213人の学生がいた。


 英語は実力に合わせてコースがいくつかに分かれているが、塾長のこの授業は希望する人はだれでも受けられる。だから英語のクラスでは会ったことのない人が多い。私服なので年齢がわかりにくいが、ほとんどが高校生だ。でも、中にはどう見ても中学生だろうという感じの子もいる。


 テーブルは、学校みたいにみんなが先生のほうに向いて座る配置ではなくて、折りたたみテーブルをくっつけて、ひとつの大きなテーブルのようにしてあった。そのまわりにみんなが座っている。会議をするみたいな感じだ。これならみんなの顔が見える。




 このクラスは、「木曜アカデミー」と呼ばれている。


 塾に入る前の説明会のとき、キリッとした印象の女性スタッフの人がこう説明した。

「このクラスは当塾のオリジナルで、塾長がもっとも力を入れている教育分野です。どんなに英語力がついても、世界レベルのコミュニケーション力がない人は、せっかくの英語を自分の将来に活かしていくことができません。英語というのは単なるツールではなく、国際標準の言語体系だというのが塾長の考えです。その根幹となるのは、クリティカルな思考力であり、行動力であり、世界のどこに行っても大丈夫なコミュニケーション力です。その基礎的な力を養っていくのに絶対に役立ちますよ。いろんな面接にも強くなりますしね、ぜひお奨めします」


 具体的には、歴史、哲学、政治経済、アート、とにかくいろいろな分野のことを題材にして、塾長がレクチャーするだけでなく、みんながそれぞれ自分の意見を出し合ってディスカッションするらしい。

(哲学や政治経済についてディスカッションする? そんなの絶対ムリ……)璃乃はとんだ災難が降りかかってきたと焦った。


 ところが、となりで一緒に説明を受けていた母親は、すでに答えていた。

「はい、これがあるから、こちらの塾を選ばせていただいたんです。もちろんそのクラス、受講いたします」

(ちょっと待ってよ、『受講いたします』って、受けるのは私じゃない……英語力アップのための塾じゃなかったっけ? あ~あ、ママにはめられたかも……)


 璃乃はため息をついた。こういうモードに入っているときの母には逆らえない。何か反論しようものなら、とうとうと理詰めで言い負かされる。それが、言われてみればその通りだからかなわないのだ。


 そんな璃乃の不安を見越したように、スタッフの女性がにこやかに言った。

「大丈夫です。中学生でも参加していますから、不安に感じることは何もありません。それに、この授業を受けていると、当塾の海外体験修学旅行の楽しさが倍増します」

「修学旅行? 塾なのに?」


 璃乃は聞き返した。


 この塾では、毎年、世界を実際に見聞する体験学習として修学旅行が実施されているという。


 璃乃は中学3年のときに学校の体験学習でオーストラリアに行ったときのことを思い出した。すごく楽しくて、帰ってきてからもしばらくは「もっと英語がしゃべれるようになりたい」と思っていたのだ。いつのまにかその気持ちがしぼんでしまっていたけれど、「塾で海外に修学旅行に行く」というのもちょっと面白そうだ。


 そんなわけで、この木曜アカデミーを受けることになったのだった。



(どこに座ろうかな……)


 知った顔はいないかと見回していると、教室の奥、ホワイトボードを背にして塾長が座る位置のすぐ斜め前に、ひとつ空席があるのが目に留まった。ザッと見たところ、もうそこくらいしか空いている席はなさそうだ。


 璃乃がそこにすべり込むと、いきなり、となりの男子が声をかけてきた。

「ねえ、おやつ食べたくない?」


 そういう彼の前には、プラスチックの密閉容器が置いてある。

(なんだろう、チョコレート? クッキー? わざわざプラスチック容器に入れてあるってことは、だれかの手作り?)


 璃乃は、食べるとも食べないとも答えないまま、彼がフタを開けて差し出したプラスチック容器の中を覗いてみた。

「…………?」


 何なのか、よくわからなかった。茶褐色のコロコロしたものが入っている。


 彼は一粒取り上げると、自分の口に放り込んでポリポリと音をさせている。ニコニコしているのだが、周囲のみんなは完全に引いていて、

「ゲッ、また食った」

「ヤダーッ、信じられない!」


 とか言っている。


 璃乃はおそるおそる聞いてみた。

「何なの、これ?」


 彼は相変わらずニコニコしながら、「先入観がないほうがいいよ」と言う。


 いっそう疑問になって、「何なのよ」ともう一度強く聞いた。

「カイコの幼虫。からりと揚げてあるから、ココナツみたいな感じでうまいよ。おれのオススメのおやつ」


 正体を聞いたとたん、璃乃の目に、こんどははっきりとその物体の形が“モノ”として像を結んだ。


 プラスチック容器の中には、こんがり揚げられた体長3センチほどの幼虫がびっしり並んでいたのだった。

「ギャア~~~~!」


 悲鳴をあげた次の瞬間、璃乃は彼の左頬に強烈なビンタを食らわしていた。



「おいおい、いったい何の騒ぎだよ」と塾長が入ってきた。


 みんなが口々に言う。

(はる)()がいきなり虫を食べさせようとしたんだよ」

「彼女、何も知らないから虫見てびっくりして……」

「知っててもヤダけどさ」

「それで思いっきり陽斗をビンタして……」

「人があんなふうにひっぱたかれるの、生で見たの初めて」

「すごかったよね」


 互いに顔を見合わせながら説明する。


 塾長は、それを聞きながら豪快に笑った。

「そうか、なかなか威勢がいいね、梅崎さん。じゃああらためて紹介するまでもなく、みんな彼女をしっかり覚えたと思う。英語クラスが一緒の人も何人かいるよね。このクラスに今日から仲間入りする梅崎璃乃さんです」


 璃乃はあわててみんなに向かってピョコンと頭を下げた。

「よろしくお願いします」


 陽斗が左頬を手で押さえたまま、「お手やわらかに」 と言った。


 璃乃はまだまぶたの裏にプラスチック容器の中身の残像が焼きついている。動揺が収まらない。

「こんなものを人に食べさせるなんて、ほんっと信じられない!」


 塾長が璃乃に向かって言った。

「怒りたくなる気持ちもよくわかるけど、陽斗もいたずら心や意地悪でやっているわけではないので、まあ許してやってよ。“昆虫食”は今こいつの研究テーマなんだ。これでビジネスを始められないか考えているんだよ。きみだけじゃなくて、ここにいるみんなもいつも食べさせられそうになっていてね」

「そうそう」

「虫の入ったケースをそうやっていつも目の前に出しておくから気持ち悪くて……」

「だから陽斗のとなり、座りたくないんだよね」


 陽斗と呼ばれた彼は、「直接見えないようにケースにカバーかけたりしてるだろ。オレなりに気遣ってるんだけど」と言った。

「カバーしてあろうがなかろうが、関係ないの。みんなそこにあるのが虫だとわかってるんだから。研究テーマにするのも、それで起業するのもあんたの勝手だから文句言わない。だけど、イヤがる人にむやみやたらと勧めないこと。カバンに入れておいてくれない? だいたい、ちゃんと人の関心を引き寄せるようなアプローチができなきゃ、世の中に受け入れられるようにならないよ、もっと考えなよ」


 サラリと言ってのけたのは、黒ブチメガネをかけたショートカットの女子だった。チェックのシャツにデニムという格好も、座り方やしぐさも、ちょっと見には男子か女子かわからないような中性的な雰囲気だ。ただはっきりと伝わってきたのは、めちゃくちゃ賢そうだということだ。


 塾長が言った。

「みずきの言うとおりだ。陽斗、“昆虫食起業”もいいが、みんなにあまり迷惑かけるなよ。それから、梅崎さんにちゃんと謝れ。初対面からしこりを残さないようにな。いいか? では今日のテーマ、始めます」


 陽斗は首をすくめながら、小声で璃乃に言った。

「すみませんでした……」


 しかし、そのあともっと小さな声でつぶやいた言葉を璃乃は聞き逃さなかった。

「でも、先入観を持たずに食べたら、けっこうイケるはずなんだよな……虫はいずれ大切な食料になる日が来るんだよ……」

(なによ、こいつ。少しも謝る気なんかないんじゃない)


 璃乃は腹立たしかった。(あ~あ、ここでは私立女子校育ちのお嬢さんキャラでいこうと思ってたのに、昆虫男のおかげで早くもイメージ台無し。ったくもう……)


 怒りが収まらないまま頬をふくらませ、バッグからノートとペンケースを取り出した。

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