『第一子を伸びる子に育てる本 思いやりと個性をはぐくむお母さん』
[著]平井信義
[発行]PHP研究所
子どもの「遊び」はレジャー(享楽)ではない
「遊び」という言葉を聞いたとき、お母さん、お父さんは、どのように考えるでしょうか。
小学生以上の子どもをもっている両親は、
「遊んでいないで、もっと勉強しなさい!」
と大きな声をあげることが多いのではないでしょうか。三歳の子どもをもっている両親から、
「子どもを遊ばせておくのはもったいないので、勉強をさせるプログラムを考えてくれませんか」
と相談されたことがあります。このように、勉強ということを頭においたとき、遊びはそれに反するもの──という考え方をしているお母さんが多いのではないでしょうか。
では、お母さん、お父さんに向かって、
「あなたはどのような遊びをしていますか?」
と質問したならば、どのようにお答えになるでしょうか。おそらく、毎日せっせと働いている余暇に、何かをすること、例えばテレビを見るとか、編物をするとか、週刊誌を読むとかを、お母さんは遊びと考えているのではないでしょうか。お父さんにしてみれば、ゴルフをするとか、麻雀をするとか、パチンコ、あるいはゴロ寝テレビ、さらには女遊びを──。
ところが、これらの多くは享楽(レジャー)であって、遊びではないのです。遊びを享楽と考えている人は、子どもに向かって、遊ばないで──という言葉を放つでしょう。享楽は、人間として好ましくないことです。しかし、子どもの「遊び」は享楽ではありません。享楽と考えたならば、大変な間違いを犯していることになります。それだからこそ、幼児の研究者の多くは、口を揃えて、
「子どもの遊びは生活であり、学習である」
と叫んできました。お母さんでいえば、料理を作ったり、洗濯をしたりすることであり、お父さんの場合には職場で働いていることと同じともいえるのです。
ただし、それにはもう少し言葉を添えないと、誤ってしまいます。それは、自分自身で積極的に、つまり自発的に、そのことに取り組んでいるかどうかということです。お母さんでいえば、料理を作るにも洗濯するにも、それに対して前向きの姿勢で取り組んでいるのか、やらなければならないからやっているにすぎないのか、いやいややっているのか──です。それによって、お母さんのしていることが子どもの「遊び」の意義に通ずるかどうかが変わってきます。もし、それをしなければならないから──とか、いやいややっているのであれば、子どもの「遊び」の意義とはちがったものになってしまいます。