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大橋鎭子と花森安治 美しき日本人
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ルポ・エッセイ
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終章 引き継がれる二人の夢

『大橋鎭子と花森安治 美しき日本人』
[著]長尾剛 [発行]PHP研究所


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商品テスト



 雑誌『暮しの手帖』には、雑誌として「決定的な欠陥」がある。


 いや。「欠陥」と言うより「非常識さ」とでも言うべきか。


 この雑誌、一貫して「広告が無い」のである。


 元来、雑誌経営というものは広告収入に負うところが大きい。それに、広告収入分が雑誌価格に反映されれば、雑誌が安くなる。読者にとってもありがたい話だ。したがって、雑誌というものは「広告があって当たり前」なのである。


 ところが、(やす)()は決して『暮しの手帖』に広告を載せようとはしなかった。初期の経営が苦しかった頃も、広告スポンサーを探すことはしなかった。雑誌の知名度が上がってきて、高額の広告料を提示され「広告を載せてくれ」と頼まれても、(がん)として断り続けた。


 なぜ、そこまで意固地なほどに広告を否定したのだろうか。


 それは『暮しの手帖』が、その名のとおり「暮しの情報」を提供する雑誌だという強い信念が、あったからだ。


 現代庶民の暮しにとって「なくてはならないモノ」とは、商品である。私たち庶民は、暮しに必要なモノを買って手に入れる。当たり前の話だ。


 だから安治は、さまざまな商品、庶民の暮しに欠かせないさまざまな日用品を、徹底的に取材し、性能や使いやすさをチェックし、同類の商品同士を比較検討して、それを記事にし続けた。こうした商品チェックの連載記事を『暮しの手帖』の看板記事にした。


 それゆえにこそ、安治は広告を載せなかったのである。


 どういうことか。安治は、昭和三十年(一九五五)発行の『暮しの手帖』第三一号で、次のように述べている。



 われわれの暮しは、商品に支えられている。その商品がもっと良くなってくれることは、われわれの暮しを良くする一つである。


 そのためには、批評や、もし良いものがあれば紹介することは、こうした「暮し」を主題とする雑誌の、どうしてもしなければならない仕事である。


 そのためには、世間の常識を破っても、誉めるものは名前入りで誉め、良くないものは名前を挙げて「良くない」と言わなければならない。


 そのためには「何百万円やる」と言われても良くないものを「良い」と言うわけにゆかないし、一銭ももらわなくても、良いものは「良い」と言わねばならない。


 これが、この雑誌を作ってゆく気構えの一つである。


 この気構えを貫いてゆくには、しかし、よほどの勇気が要る。そこは人間であるから、情にほだされる。力に押される。ノドから手が出るほどの金額に目をつぶって広告を載せないというのも、つまりは、その「情にほだされる、力に押されるタネ」を、なるたけ前もって一つでも取り除いておこうという気持ちからなのである。

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