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思うままに生きる 100歳の言葉
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ルポ・エッセイ
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いつも前を向いて生きていく

『思うままに生きる 100歳の言葉』
[編著]日野原重明 [発行]PHP研究所


読了目安時間:26分
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私の一つのよい(くせ)をご紹介しておきましょう。それは私に、人のことを(うらやま)しがると言う習慣のないことでした。



作家 ()()()()

一八九七年十一月二十八日生~一九九六年六月十日没

九十八歳



 宇野千代は明治三十年(一八九七)山口県岩国に生まれた。代用教員やウェイトレスをしたのちに結婚、札幌で生活するが、創作にめざめ、懸賞小説に応募、一等となり、小説家となる決心を固めて、離婚。


 その後、尾崎士郎、(とう)(ごう)(せい)()、北原武夫などとの同棲、結婚、離婚をくりかえし、恋多き人生をおくる。

『色ざんげ』『おはん』『()る一人の女の話』などが代表作である。八十歳を超えても、文筆活動はおとろえず、また、かつて「スタイル社」を経営したように、和装・洋装ともおしゃれで、美しい化粧や装いが注目されていた。


 右のことばは『自伝的恋愛論』(初出「婦人公論」昭和三十四年)にある。

この考えが、私に貧乏をちっとも苦にさせないのでした。ああ、この考えのお(かげ)で私は、人の眼にはよくも歩いて来たと思われる私の一生を、平気で、てくてくと歩いて来たのではないかとおもわれます


 とつづけている。


 平成八年(一九九六)六月十日、満九十八歳で波乱の多い生涯を閉じた。


運とは運ぶということ。運ぶというのは実践すること。考えて実践すれば、運はその人の方により多くプラスになる。



プロ野球元監督 (かわ)(かみ)(てつ)(はる)

一九二〇年三月二十三日生~二〇一三年十月二十八日没

九十三歳


「打撃の神様」である。


 首位打者五回、打点王三回、本塁打王二回、通算打率三割一分三厘。昭和十三年(一九三八)、熊本工業から読売巨人軍に入団、(おう)(しよう)をへて同二十一年に復帰、同三十三年に現役引退するまでの打撃成績である。


 一七二センチ、七五キロと決して大きくない。


 神様なのに、どうも人気が高くなかった。すぐうしろに「ミスタープロ野球(ジャイアンツ)」の大輪が咲いていたせいもあるかもしれない。


 現役引退の年の日本シリーズで「神様、仏様、稲尾様」に巨人軍は三連勝のあと四連敗を(きつ)した。


 その年から川上哲治は禅堂で修行をするようになった。


 そして昭和三十五年(一九六〇)十月十五日、水原茂のあとを受けて六代目の監督になる。


 以来、十四シーズン、同四十年からV9を達成した。これがつまりアンチジャイアンツを生み出した、と思う。


 しかし川上は、野球を語っても巨人軍時代のことをあまり多く語らないようだ。


 大正九年(一九二〇)三月二十三日に生まれた「野球の神様」は、九十三歳で亡くなった。


 ──見出しのことばは『私の履歴書』(日本経済新聞社)に見つけた。


「苦労こい」

「他人歓迎」

「わたくしは、まだかつて嫌いな人に、会ったことがない」



映画評論家 (よど)(がわ)(なが)(はる)

一九〇九年四月十日生~一九九八年十一月十一日没

八十九歳


「我が家は家じゅう活動写真のファンだった」という神戸の家に生まれた淀川長治。母親がその活動写真を見ているとき産気づき、翌朝、長治を出産した。


 明治四十二年(一九〇九)四月十日のことである。


 しかし父親が早く学校に上げようと届けを四月一日にしたため、入学してからは、他の子との体力の違いに悩むことになったという。


 神戸三中を卒業後、いったん日大に籍を置くが中退して、昭和四年(一九二九)に「映画世界」の編集部に入る。戦後「映画の友」の編集長になり(同二十三年)、淀川長治の名を全国に知らしめた「日曜洋画劇場」の解説を同四十一年(一九六六)からはじめている。


 右のことばはいずれも長治が、右から順に十五歳、十八歳、十九歳のときに見た映画から得たスローガンであるという(『「生きる」という贅沢』日本経済新聞社、一九九八年)。


 そして、この三つのことばが「私の若さの教科書」であると記す。


 生涯独身で、当時の全日空ホテルのスイートルームが住まいであった。映画の楽しさを語りつづけて、じしんの人生に「サヨナラ、サヨナラ」したのは、平成十年(一九九八)十一月十一日、八十九歳であった。


逆境にいて楽観せよ。



実業家 (いで)(みつ)()(ぞう)

一八八五年八月二十二日生~一九八一年三月七日没

九十五歳



 昭和五十年(一九七五)八月号の「文藝春秋」に載った出光佐三のインタビューに、このことばがある。

「逆境にいて楽観せよ、という言葉がぼくは好きなんだ」という。


 この話の前に、

「不景気大いに結構、天下大乱いいじゃないですか。ぼくは楽観主義ですよ。人間ちゅうものは苦労しなけりゃだめ、苦労すればするほど、人間、立派になるんです。

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