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京都人も知らない京都のいい話
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第四章 日本映画は京都から始まった

『京都人も知らない京都のいい話』
[著]浜村淳 [発行]PHP研究所


読了目安時間:27分
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時代劇映画、発祥の地



 芝居小屋から映画製作へ──「日本映画の父」牧野省三



 京都といえば時代劇!という印象が強いですね。わたくしも子どもの頃からよく映画館に行って、時代劇を観ました。


 わたくしの住んでいた鷹峯からどんどん南に下がると千本通になって、それをさらに下がっていくと西陣になります。千本(なか)(だち)(うり)あたりは西陣京極といいましてね。映画館がいくつもあったんです。


 その辺りに千本座というのがありまして、千本座の初期の経営者が「日本映画の父」といわれる牧野省三と彼のお母さんだったんですね。俳優の長門裕之さんと津川雅彦さん兄弟のおじいさんにあたります。


 もともと千本座は芝居小屋やったそうですが、その経営者であり、プロデューサーであったのが「日本映画の父」といわれる牧野省三です。明治40(1907)年頃のことですが、京都の横田永之助という人がパリ万博で撮影機やフィルムを買ってきたんですよ。しかし、そんなもんを買ってきても、誰も映画を作れません。そこで、千本座の牧野省三に「あんた、作ってくれへんか」と頼んだ。これが京都の映画製作の始まりやといいます。


 牧野省三は“大将”ってあだ名ですけどね。京都の人に言わせると、「大将は時代の先を見通す先見の明がおしてな。ほんとうは芝居作りの師匠やけど、映画作りに関しても素晴らしいお人どした」と言いますね。たとえば、脚本家が優れた脚本を書いて持ってくると、それを読んだだけでポーンと小遣いをくれる。今のお金に直すと、20万〜30万円をその場でくれたっていいますね。「ええ脚本やな。これ、とっておきや」と言ってね。ときには『酔いどれ菩』というタイトルだけが早くも気に入って、中身ができていないのに小遣いをくれたこともあったと聞きました。


 反対に「大将、ええストーリーができましたんや」って、誰かが脚本を見せに来る。牧野省三はそれを読んで、おもしろないと思ったら「しょうもない。こんなん、どこがストーリーやねん。客が素通りやないか」と言うたそうです。彼はとても脚本を大切にしていたんですね。「1スジ、2ヌケ、3動作」といいまして、映画というものは1にスジ(脚本)やと。2のヌケは撮影や現像の技術で、画面の美しさのこと。そして、3番目が役者の演技ということです。


 わたくしは、さすが牧野省三は偉い人やなと思いますね。いまだにテレビドラマでも映画でも、スターさえ出しておいたらうける、ヒットする、そういう傾向がまだ抜けてない。それが、そんな昔々にね、役者は3番でいいと。スターシステムというものを否定してるんですから。


 そんなわけで千本座の経営者から映画製作に乗り出して、明治41(1908)年、千本座の俳優を使って、真如堂の境内で『本能寺合戦』という映画を撮りました。これが日本で最初の時代劇映画やといわれております。


 牧野省三はこのあと、“目玉の松ちゃん”こと尾上(おのえ)松之助と組んで、200本以上の時代劇映画を作ります。日本で最初の職業的な映画監督であり、日本映画の基礎を築いた人ですから、「日本映画の父」と呼ばれるのも納得ですね。のちにマキノ・プロダクションを設立した彼は、阪東妻三郎、片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介、市川右太衛門といった大スターや、衣笠貞之助、内田吐夢ら名監督を育てております。


 西陣には今、わずかに千本日活という映画館が1館だけあります。名前は似ているのですが、牧野省三の千本座とは違います。かつての牧野の千本座は千本通一条上ル東側にあって、今はマンションになっているそうです。通り沿いに「千本座跡地」というプレートが掲げられているだけで、残念ながら当時を思わせるものはありません。むしろ、彼が独立してプロダクションを起ち上げた場所、等持院(MAP)の境内に彼のお墓があり、お墓の前に「マキノ省三先生像」という銅像が建っておりまして、彼の姿と功績を現在に伝えています。



 日本の映画スター第一号、尾上松之助



 京都の映画の(いしずえ)を築いたプロデューサー兼監督が牧野省三なら、役者として活躍したのが“目玉の松ちゃん”こと尾上松之助です。


 牧野省三という人は、(こん)(こう)教という宗教の信者で、月に一度、本部のある岡山県金光町(現・浅口市金光町)に行っていたそうです。そこで、地元の人から「尾上松之助という旅役者がえらい人気があります。尾上が出ると、芝居小屋が満員になります」という話を聞いて、興行師ですから、観に行くんですね。すると、背は低いのに顔の大きい、目玉がギョロギョロしてる役者がいたんです。「これはいい! いける」ということで、活動写真の世界に来ませんかと口説いた。これが日本の映画スター第一号、尾上松之助です。


 ただ、ふたりの出会いには諸説あって、大阪で尾上松之助が舞台に出演していた時に、舞台を観に来ていた牧野に千本座に招かれたともいわれているのですが、いずれにしても、牧野省三が尾上松之助を映画の世界に引き込んだことは間違いありません。

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