『「天文学」がよくわかる本 宇宙旅行をしながらラクラク理解!』
[著]新牧賢三郎
[編]向山洋一
[発行]PHP研究所
フロンティア
日本の宇宙探検
日本のロケット第1号は、1955年4月に打ち上げられた、全長わずか23cmのペンシルロケットでした。ここから、日本の宇宙探検は始まったのです。
まず、東京大学生産技術研究所のロケット部門と東京大学宇宙航空研究所が合併して、東京大学宇宙航空研究所が発足しました。研究所は、鹿児島県内之浦町にロケット基地をつくりました。そこでは、固体燃料で飛ぶロケットを開発しました。
1981年に、文部省直轄の宇宙科学研究所(ISAS)となりました。世界のロケットの主流は液体燃料ですが、宇宙科学研究所は、固体燃料で飛ぶロケットを、つぎつぎに開発しました。そして、ついに1985年8月、ハレーすい星を観察するための衛星「すいせい」の打ち上げに成功したのです。
宇宙科学研究所とは別に、1969年、科学技術庁の主導のもとに、宇宙科学事業団(NASDA)が設立され、アメリカの技術を導入し、液体燃料のロケットを開発しています。
その設立目的は、実用ロケットおよび実用人工衛星の開発とその打ち上げ、また追跡を総合的に行うことにあります。
つまり、宇宙科学研究所は科学目的のロケットを打ち上げ、宇宙科学事業団は実用目的のロケットを打ち上げる、という2本の柱になったのです。
1 国際宇宙ステーション
世界16か国が共同して、地球上空約400kmの軌道に、「国際宇宙ステーション」をつくります。そこでは、長い間宇宙に滞在しながら無重力であることを生かした研究を行います。このプロジェクトに、日本も参加します。1998年9月頃に、ロシアのプロトンロケットで、最初の部品としてエネルギー供給用のブロックを打ち上げます。その2週間後には、接続部を積んだアメリカのスペースシャトルが打ち上げられます。このように、主要な部品は、アメリカとロシアのロケットで打ち上げられます。
エイリアン:「2003年には完成させる予定です」
お父さん:「すばらしい。世界が一つになって、宇宙ステーションをつくるんだ。これこそロマンだ」
和子さん:「日本はどのように参加するの?」
【問題81】
国際宇宙ステーションづくりに、日本はどのような参加をするのでしょうか。
(1) 資金を出資するというだけの参加。
(2) NASAのスペースシャトルに乗ってアメリカのお手伝いという形の参加。
(3) 日本独自のスペースシャトルで日本独自の実験室を宇宙ステーションにつくっての参加。
【解答】
日本は、独自の実験モジュール(JEM)によって、プロジェクトに参加します。 (3) 日本独自のスペースシャトルで日本独自の実験室を宇宙ステーションにつくっての参加。 が正解です。
国際宇宙ステーション取付型実験モジュール(JEM)は、もちろん、日本初の有人宇宙活動施設です。この実験モジュールは、次の図のように、「与圧部」「曝露部」「補給部」「マニピュレータ」の4つの部分からできています。このうちで、実験を行う箇所は、与圧部と曝露部の2つです。
大きさを見てみましょう。与圧部の長さは11.2mで、外側の直径は4.4mです。曝露部の長さは5.2mで、幅が5.0mです。マニピュレータというのは、親子式のアームです。9.9mの親アームと1.7mの子アームからできています。
JEMは、開発基礎試験(1990~1993)とエンジニアリングモデルの製作・試験(1992~1997)の2段階を終了しています。現在は、最後のフライトモデルの製作・試験(1994~2000)を仕上げている段階です。
通常2名が、このJEMにいて、宇宙で実験する予定です。
国際宇宙ステーションは、アメリカによって提唱されました。まず、当時のレーガン大統領が「21世紀の月面基地と宇宙活動」計画を発表しました。引き続いて大統領になったブッシュ大統領が、1989年7月20日、アポロ11号20周年式典において「宇宙新政策」を発表し、宇宙ステーション“フリーダム”をつくることを決めました。
始めは、アメリカを中心にヨーロッパ宇宙機関加盟国(11か国)・カナダ・日本が参加することになっていましたが、途中からロシア・ブラジルも参加することになり、世界16か国が力を合わせて、国際宇宙ステーションをつくることになったのです。
エイリアン:「計画によると、1999年1月に、日本人宇宙飛行士、若田光一さんが宇宙ステーションの建設に加わり、宇宙ステーションのシャトルを宇宙で組み立てます」