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やりぬく思考法−日本を変える情熱リーダー9人の「信念の貫き方」
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「できる」と言う男

『やりぬく思考法−日本を変える情熱リーダー9人の「信念の貫き方」』
[著]佐藤尊徳 [発行]_双葉社


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p_83.jpg

「豪腕」を可能にしてきたものは何なのか


 


 川淵さんのことを未だに「チェアマン」と呼ぶ人が多い。それは、あまりにも初代Jリーグチェアマンとしての印象が強く、またその功績が大きいからだろう。


 


 僕が初めて出会ったのも「チェアマン」としてメディアに大きく取り上げられていた頃。『経済界』で、ある経済人との対談を企画したのだった。その後、毎年1月2日にゴルフの打ち初めを、その対談の司会をしていた佐藤正忠氏を中心に行なうことになった。なにぶん正月だけに、なかなか人が集まらないこともある。秘書だった僕もしばしば駆り出された。それを機に、僕は川淵さんとゴルフを重ねることになる。


 


 川淵さんとゴルフをするのは、とても楽しい。エージシューターを達成したくらいだから大変お上手だし、またいつも朗らかなその性格で場が明るくなるのはもちろんのことなのだが、それだけではない。川淵さんは、教え方が非常にうまいのだ。プレー中に技術的なことをあれこれ言うことはないが、ホールアウトすると、それぞれの人に1~2点だけ「ああいう時はこうしたほうがいいんだよ」とアドバイスをしてくれる。それが個々人の性格までもふまえた非常に的確なもので、これを聞いているだけでもすごく勉強になるのだ。「途中で言うと、かえって惑わすだけだから」と終わった後に言うことにしているのだそうで、ほんの小さなことだが、全日本の監督、そしてサッカー協会の指導者として多くの人を導いてきた人だからこその気遣いを感じる。


 それでいて、自分では一度崩れ始めるとカッとしてどんどんダメになるという茶目っ気もある。そんなところも、たまらなく魅力的だ。


 


 川淵さんはJリーグチェアマン時代、「スポーツのプロチームは企業のものであるべきだ」とするナベツネこと渡辺恒雄氏とJリーグのあり方について論争になり、「これからは地域密着型のクラブ経営であるべきだ」と、メディア界のドンを向こうに回して、まったく引くところがなかった。これは大変痛快で、日頃から反体制派を自認している僕も、応援団の1人になった。結果的に、このやり取り自体がメディアに大きく取り上げられ、広告宣伝効果としては大きなものになったので「ナベツネさんには大変感謝しているよ」と笑う。確かに、前身である日本サッカーリーグ(JSL)の人気や観客動員数の低迷っぷりを知っている人間にとっては、企業名を表に出さず、地域に密着してのプロ化など成功するとはまったく思えなかったろう。それを可能にしたのは、ひとえに川淵さんの情熱によるものだ。


 


 川淵さんは一時期サッカーから完全に離れ、サラリーマンとして古河電工で働いていた。役員一歩手前で子会社への出向を命じられ、失意のなかでJSLの仕事を引き受け、再びサッカーに携わることになったのだ。物事にタラレバはないが、もし古河電工本体の役員を命じられていたら、川淵さんはJリーグの立ち上げには関わっていないだろうし、逆風だらけの中で「絶対にプロ化を成功させるんだ」という情熱を持った人はそうそういなかっただろうから、今日の日本のサッカー界の発展は絶対になかっただろう。川淵さんにとってどちらがよかったかはわからないが、少なくともサッカーを愛する人々は、その偶然のいたずらに感謝してもいいと思う。


 


 川淵さんは、常に「独裁・豪腕」というイメージで語られてきた。確かに、ナベツネさんとの一件を見ても、その通りかもしれない。でも、そのイメージとはまったくかけ離れて、とても繊細な一面も持ち合わせている。2006年、W杯ドイツ大会の後のことだ。日本代表が惨敗したため、指揮を執っていたジーコ監督の任命責任を激しく追及され、その中で、本当はまだ極秘であった次期監督の名を「オシム」とポロっと口にしてしまった。そして、これをテレビで流されてしまったのだ。オリンピック代表監督(当時は反町氏)について問われ、反町氏のことを考えていたらなぜかポロッとオシム氏の名前が出てしまったもので、本当に川淵さんらしいうっかりミスだった。しかし、翌日からメディアは大騒ぎ。「責任回避のために極秘情報を漏らしたのだ」と、更に大バッシングになってしまう。協会のみならず、自宅にまで非難の電話や手紙が殺到し、気に病んだ奥さんが臥せってしまうほどの事態に発展した。


 


 さすがの川淵さんも参ってしまって、ずいぶん落ち込んでいたので、僕はランチをご馳走することにした。カレーを食べながら他愛ない話をしただけなのだが、川淵さんは「こんなにおいしいカレーを食べたのは初めてだ」といたく感激して、今でも、その時のことを「尊徳さんには本当に助けてもらった」とおっしゃる。どこまでも義理堅い人だ。


 


 現在、川淵さんはその豪腕を見込まれて、長らく分裂状態が続いていた日本バスケットボール協会の会長を務めている。就任する際に「選手のことを考えないで、内部で争いを繰り広げている。選手が可哀想だ」と強い調子で口にしていたのを覚えているが、その通り、78歳(当時)になっても衰えぬ手腕で、協会を1つにまとめ上げた。日本代表監督まで務めたサッカーなら、まだ話はわかる。だが、バスケットボールにはとんと門外漢であるはずの川淵さんが、到底収まらないだろうと思われた混乱を見事に収拾できたのは、いったいなぜだろうか。豪腕だけで押し切って、本当にそんなことができるものだろうか。


 


 「この前、女子バスケの代表選手たちに自腹でお寿司をご馳走した。その後にオリンピック出場を決めてくれて、本当に嬉しいよ。これなら寿司など安いものだ」と顔を綻ばせる気のいい顔の裏で、川淵さんはどのように「不可能を可能にする」ための方法を考えてきたのか。その「豪腕」の本質に、これから迫ってみたいと思う。


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