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福沢諭吉 しなやかな日本精神
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ミステリ小説
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終章 いまこそ甦るべき福沢諭吉 ──現代日本の危機を超える視座

『福沢諭吉 しなやかな日本精神』
[著]小浜逸郎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:30分
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福沢諭吉「文体」の四つの特長


 これまで折に触れて、福沢の主張がいまの日本の問題に関連していると考えられるかぎりで、それを、現代政治や現代イデオロギー、現代経済のあり方に鋭く批判を迫るものとして扱ってきました。


 この章では、各章で断片的に言及してきた現代の問題を踏まえながら、福沢思想がいかに私たちの現在に生き生きと語りかけているかを総括的に再現してみたいと思います。


 福沢思想を「古典」と呼ぶのはまだ早すぎるでしょうが、近代日本という枠組みの中では、「古典」と位置づけることが許されると思います。


 しかし、そもそも優れた古典がその生命を保ち続けるためには、現在を生きている私たち自身が、そこで突き当たる問題を深く見つめることを通して、たえず当のテキストに息を吹き込むのでなくてはなりません。筆者が本書の稿を起こした最大の動機も、単に過ぎ去った歴史上の人物として福沢諭吉を位置づけるのではなく、まさにその思想を現代に甦らせる必要を強く感じたというところにあったのです。


 それについて語る前に、福沢諭吉という思想家が、他の同時代人と比べて、現在もなお飛び抜けた魅力を失わない、その秘密がどこにあるのか、簡単に述べておきたいと思います。ひとことで言えば、それは、彼独特の「文体」によるところが大きいと思います。


 ここでの文体とは、単に形式的な文章スタイルのことではなく、それぞれの内容を語るのに、まさにそれにふさわしい表現主体の力点の置き方、緩急の調子、()()の選び方、情意の表出の仕方、を指しています。


 福沢の文体の特長は、大きく次の四つにあると言っていいでしょう。



 〓漢籍の書き下し文の持つ、輪郭の明確さ、対句法などを存分に利用した論理性と力強さ、歯切れの良さがある。


 〓しかし、儒学者のように、漢籍にありがちな難解な用語を使うのではなく、少しの読解力さえあれば、教養のない人でも理解できるような平易な語り口を用いる。


 〓反論者をあらかじめ想定して、それをきちんと紹介しながら、「しかりといえども」「一応もっともなれども」「決してしからず」などの言葉を頻用することによって、それに応えていく対話的姿勢を示す。


 〓用いる比喩の巧みさによって、日常生活に即した親しみやすさとユーモアが感じられる。


明快な論理と平易な語り口


 では、それぞれについて、一つずつ例を挙げましょう。


 〓次の例はすでに第四章の経済論ブロックの項で引用しましたが、これに該当します。


《富人に金なきにあらず、金を貸すべき相手を見出さゞるなり。その相手なきにあらず、これを貸して、たしかに返済すべき人物を見出さゞるなり。これがために、富人の金は金箱の内に(ちつ)(ぷく)して外に(いず)るを得ず。通貨、内に蟄伏すれば、金銀も()(せき)に異ならず、紙幣も()()に等し》(『民間経済録』)



 ケインズ経済学で言う「合成の()(びゆう)」に通ずることを明快な論理で、たたみかけるように述べています。お金はフローしてこそ意味がある。貨幣の大切さについて「その大切なる由縁は、品の質にあらずして、その働にあるものなり」(『通貨論[第一]』)として金属主義を否定した名言も、この部類に属する文体の特長としてここに含めておきましょうか。



 〓次に、平易な語り口についてですが、これは、『通俗国権論』の冒頭部分を引くのがよいでしょう。


《一家の(もと)は婦人にあり、一国の本は民にあり。今世間の家族を一見すれば、家の(けん)(ぺい)(実権)は主人の手にありて、婦人はただその(さし)()にのみ従うがごとくに見ゆれども、こはただ(おもて)(むき)の有様にして、その内実は婦人の勢力(はなは)だ強きものなり。(中略)夫婦(さし)()(あらた)に家を(もち)て子を生めば、その子は必ず父方の祖父祖母よりも母方の祖父祖母を(したし)み、母方の叔父叔母は父方の叔父叔母より遠慮少なし。天下古今の習俗、さらに怪しむに足らず。


 されば日本にても、家の子供は()(はん)母の支配にあるものというて可なり。すでに家の子供を支配せり、(しから)ばすなわち衣服飲食住居家具に至るまで、大抵は婦人の注文通りに行われざるものなし》



 なるほどそうだと、思わず釣り込まれますね。男性に比べて権力を持たなかった当時の弱い立場の女性のほうが、私生活では実権を握っているのだという、誰もが納得する事実を持ち出しています。


 しかしこれは実は、そうしておいて、国の場合も弱者である人民のほうが政府に対して実権を握っているのだという論理を導き出すためのテクニックなのです。だから書き出しの部分に「一国の本は民にあり」という言葉をひそかに忍び込ませているわけです。


 ただしこの場合、必ずしも近代法的な意味で人民が主権者だと言っているのではなく、実際に国の運命を動かすのは人民の気風だという歴史的事実を含意しています。『文明論之概略』でも同じことが謳われていましたね。だからこそ、「一家の本は婦人」だという言い方がリアリティを持つのです。続くくだりでは、細君次第で家政は良くも悪くもなり、「主人はあたかも下男同様というて可なり」と書かれています。


 封建の昔からこのとおりだったというのは面白いですが、重要なのは、福沢が、日常的な人間関係の現実から出発して、天下国家を論じる方向に一般読者をうまく誘導していることです。この際、家庭と国家とはその本質が違うなどと固いことは言わないようにしましょう。

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