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「情の力」で勝つ日本
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ミステリ小説
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第五章 近代が終わり「情」が復活する ──なぜ日本は世界に稀なる「いい国」か

『「情の力」で勝つ日本』
[著]日下公人 [発行]PHP研究所


読了目安時間:33分
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「あらゆる罪は私が引き受けます」という天皇の祈り



 日本という国を考えるにあたって、天皇ご自身が「情」の存在であったことの意味は、とてつもなく大きい。


 だが残念なことに現代では、天皇の「情」というものがピンときていない日本人が多い。たとえば、前章で述べてきたように、昭和天皇は戦争の責任を、すべて一身に引き受けようとされ、さらに国民を力強く励ましてこられたわけだが、そのご覚悟がわからないと、昭和天皇の「情」の深さもわからない。


 一例を挙げよう。昭和五十年(一九七五)、昭和天皇は訪米されたが、そのあとに行なわれた日本記者クラブ主催の公式記者会見(同年十月三十一日)で、次のような問答があった。記者が「戦争終結に当って、原子爆弾投下の事実を、陛下はどうお受け止めになりましたのでしょうか」という質問をしたのに対して、昭和天皇はこうお答えになった。

「原子爆弾が投下されたことに対しては、遺憾には思っていますが、戦争中であることですから、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」


 このご発言に対して、「天皇は逃げた」「陛下は『やむをえなかった』などということをおっしゃるべきではない」などと評する向きがあった。


 これは勘違いも甚だしい。戦争の責任を一身に引き受けていらっしゃる昭和天皇は、「戦争になれば、どんなこともある。広島市民にはまことに気の毒だったが、それは全部私の責任だ」と答えておられるのである。それが汲み取れなかった人たちが、昭和天皇に批判がましいことをいっている。やはり、自分の理解をはるかに超越した答は、真意がわからないのであろう。


 とにかく天皇の「情」の深さは、われわれの理解を大きく越えたものである。その「情」を、せめてわずかなりとも理解するためには、天皇が行なっておられる宮中祭祀について知っておくとよい。


 たとえば、(おお)晦日(みそか)から元旦にかけて、皇室では重要な宮中祭祀が続く。はたして、天皇は何を祈っておられるのか。もちろん、宮中祭祀で何が行なわれているかは秘されているが、西暦一一〇〇年ごろに(ふじ)(わらの)(もろ)(みち)の命を受けて(おお)(えの)(まさ)(ふさ)が編纂したと伝わる『(ごう)()()(だい)』などから、その一端を垣間見ることができる。


 簡単にいえば、天皇は大晦日から元旦にかけて、「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます。国民を罰しないでください。国民をお守りください」と祈っておられるのである。


 これはこういうことであろう。


 日本神話には(あまの)(いわ)()の話がある。(あま)(てらす)(おおみ)(かみ)()()()(おの)(みこと)の乱暴狼藉に驚き歎いて岩屋に籠もってしまい、世の中が真っ暗になって(まが)(まが)しいことがたくさん起きた、という神話である。つまり、天照大神がお怒りになると、日が昇らなくなってしまうと考えられていたのである。日本には、そういう発想があった。


 大晦日から元旦もそうである。大晦日は一年の終わりだが、この一年の罪障が多ければ、天照大神が怒って、新しい年の太陽が昇ってこないかもしれない。そこで天皇は、天照大神はじめ神々に、「今年はこのようなことがありました。しかし、全部、私が悪いのです。国民に当たったり、国民を罰したりするのはやめてください」と一生懸命お祈りする。天照大神が「お前にも色々あるのだろうから、今年は許しましょう」とお許し下されば、元旦の太陽が昇ってくる。


 元旦の太陽が昇ってくれば、国民は喜び、祈ってくれた天皇に感謝する。だから「明けましておめでとう」ということになる。去年一年の罪悪や厄災は、天皇の祈りによって許され、新しい一年がやってきた。ありがたいし、おめでたい。去年のことはすべて水に流して、今年一年、また気持ちを新たに頑張ろう。それが日本のお正月の伝統なのである。


 古来、日本人は日の出が大好きである。大昔の日本人は、日が昇るところを求めて東へ東へと進み、それで海にぶつかって気に入った日向(宮崎県)、伊勢(三重県)、さらに常陸(日立=茨城県)の地に、大きな神社を建てたのではなかろうか。そんな風に考えたくなるほど、日本の太陽信仰には根強いものがある。天照大神をお祀りしている神社は、日本各地にあるが、とりわけ伊勢(三重県)には数多くある。さすがに伊勢の神宮があるだけのことはある。


 ともあれ、日本の天皇は、千年単位の長い期間にわたって、このような祈りを毎年毎年、積み重ねてきた。マッカーサーが来たからといって祈りを変えるはずがない。国民のなかには、長い間にわたって天皇がそのように祈っておられるのも知らず、天皇との一体感を持たなかった者もいるが、天皇は、常に国民と一体だと認識してこられた。

「大御心」と「御心」という言葉がある。「御心」といえば、その天皇個人の「お心」ということになるが、「大御心」というと、歴代天皇すべての「お心」を合わせたものを指す。歴代の天皇が積み重ねてきた祈り、国民への思い、そういうものをすべてわが身で背負おうという「心」である。もちろん、それが容易(たやす)いはずはない。だが、そうあろうと、日夜、天皇は努力しておられる。


 天皇が国や民を思う心の深さは、われわれの想像の及ぶ範囲ではない。


王が「力」の存在である西洋との決定的な違い



 われわれ日本人は、そういう物語を持っている国民である。このような物語は、世界のどこを探してもない。


 たとえばイギリスの国歌では、冒頭で「God save our gracious Queen(King)」と歌う。「神よ、われらの慈悲深き女王(国王)陛下を守り給え」と、国民の側が神に祈るのである。もちろん英国民たちは、神に祈るという形を取りながら、実のところ本心では、女王や王に「慈悲深くしてください」とお願いをしている。


 このような姿は、天皇が国民のために「あらゆる罪や厄災は私が一身に引き受けます。

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