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(2021/11/26 追記)

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ほんとうは教えたくない京都の路地裏
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旅行
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第一章 京大近くを歩く

『ほんとうは教えたくない京都の路地裏』
[著]辰巳琢郎 [発行]PHP研究所


読了目安時間:37分
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()(かげ)

(東大路通~白川通) 



 御蔭通は大好きな道の一つです。特に、東大路通から(しら)(かわ)()(すい)通までの間の(えんじゅ)の並木道は、学生時代に何度もチャリンコ(自転車)で行き来した道です。槐はマメ科の木で、高さが十~二十メートルになります。落葉樹のため、秋が深まると枯葉が御蔭通に舞い、それがなんともいえない風情がありました。


 御蔭通の西端の出発点は、河原町通の延長である(しも)(がも)本通です。そこから下鴨神社(ただす)の森の南側を通り、高野川に架かる御蔭橋、さらに川端通、東大路通、白川通を横切って「(やま)(なか)越え」をする「()()(ごえ)(みち)」にぶつかります。「山中越え」とは、北白川から()(えい)(ざん)を越えて滋賀県坂本へ下ること。今は京都府道・滋賀県道30号下鴨大津線として、琵琶湖の湖西方面へ車で行く自動車道となっており、比叡山山頂の遊園地や延暦寺へのドライブウエイへもこのルートを利用します。このため、御蔭通は市内から「山中越え」への主要アクセス道でもあるのです。


古式ゆかしい舞と雅楽・御蔭祭



 通り名の由来は、日本最古の(しん)(こう)(れつ)とされる下鴨神社の御蔭祭が通りを巡行するところからついたものです。下鴨神社の祭礼といえば、京都三大祭りの一つである五月十五日の(あおい)(まつり)が有名で、学生時代その雅やかな行列を何度か見ましたが、祭礼自体はこれより二週間ほど前から始まっていることは知りませんでした。下鴨神社での流鏑馬(やぶさめ)神事(五月三日)、斎王代の(みそぎ)の儀(四日)、()(しゃ)神事と()()(くらべ)(うま)(五日)、さらに、五月十二日に行われるのが御蔭祭で、それらが終わって、いよいよ平安衣装姿で練り歩く十五日のメーンイベントを迎えるわけです。


 このうち御蔭祭は、(かり)(ぎね)()()()姿の神官や氏子約百名が、神様を乗せる(じん)()()いて、下鴨神社より比叡山ふもとの()()御蔭山の御蔭神社まで葵祭の神霊を迎えにあがる、(おごそ)かな神事です。下鴨神社の境外(せっ)(しゃ)である御蔭神社が鎮座する御蔭山は、下鴨神社の祭神の女((たま)(より)(ひめ))が上賀茂神社の祭神((わけ)(いかずち)(かみ))を産んだところとされます。


 帰途、糺の森における(きり)(しばの)神事では、古式ゆかしい(あずま)(あそび)の舞や雅楽の演奏などが行われます。一千年続いた京の都だからこそ、平安貴族も目にしたであろう古式ゆかしい舞や音楽を時空を超えて共有できるのがすごいところで、チャンスがあればぜひ一見したいものです。


 もっとも、僕にとっての御蔭通は祭礼の道というより、通学路であり、生活道路であったといったほうがよいでしょう。(いち)(じょう)()(えい)(でん)の線路近くのアパートに四年間住んでいたもので、通学するときはチャリンコを漕いで高原通をまっすぐ南へ。御蔭通にぶつかると、右折して百五十メートルほど。そして、京大農学部裏門で左折して北部キャンパスを抜けるか、御蔭通をそのまま走って東大路通へ出るかして、京大の本部か教養部へ、あるいは烏丸(からすま)()(いけ)のビルに借りた「劇団そとばこまち」(入団当初は「()()()()(まち)」と漢字名)の稽古場まで走りました。


 チャリンコ……なんて書くと、ちょっと下品じゃないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、ここではお許しください。なかなか可愛らしい響きで好きなのです。自転車自体もスポーツタイプではなく、当時流行ったミニサイクルでした。


劇団員の“生命線”であったひらがな館を訪ねる



 御蔭通を東大路通から歩いてみました。学生相手の食堂や喫茶店、ちょっとおしゃれな洋菓子やフレンチの店などが何軒かあり、()(じゃく)のいる神社・田中神社の前を通り過ぎてさらに行くと、京大農学部の裏門前に、「ひらがな館」というレストランが見つかります。一九七七年に入学して八四年までの七年間京大生をしていましたが、そのころは一乗寺駅のすぐそばにあり、最も愛着のある懐かしい食堂です。



 ラストオーダーが夜の十時ごろだったでしょうか。「ひらがな館」へ行くと決めた日は、稽古を逆算して早めに終わらせ、まず電話でオーダー。そして、烏丸御池の稽古場から劇団員一同がチャリンコを飛ばし、信号もたぶん無視して店へ駆け込むのです。「おお、来たか」。まだ若かったオーナーがしゃあないなあという笑顔で出迎えてくれましたっけ。


 稽古で体力を消耗しているうえに、時間も遅いから、みな、腹がペコペコ。「いただきます」という間もなく、出てきた料理を、がっつくようにして平らげていったものでした。


 ここの定食はボリュームがあるのと、何より有難かったのは野菜がたっぷりだったことです。野菜ジュースのテレビコマーシャルに、「◯◯、野菜を()らなだちかんぞ」と農家のお母さんが都会へ出ていった子どもへ呼びかけるシリーズがありましたが、学生にはどうしても野菜を摂る機会が少なく、不足気味でしたから、ひらがな館でしっかり補給するようにしていました。


 腹いっぱい食べられて、野菜もたっぷり摂れ、味もおいしい。オーナーもなにくれとなく面倒を見てくれる。僕たち劇団員にとっては、ひらがな館は腹を空かした胃袋を満たしてくれる頼もしいキッチンであり、生きていくのための“生命線”といえました。


 オーナーによれば、一乗寺で十年間続け、僕が卒業した二年後に現在地へ移って、すでに三十年になるとの話です。俳優になってからも、京都へ来たときには、オーナーに会いにちょくちょく顔を出すため、現在の御蔭通店へ移転してそれほどの年月になるとは思いもしませんでした。内装やテーブルは昔の雰囲気のままで、うっかりすると、僕の学生時代からここにあったように錯覚してしまうほどです。


 久しぶりに訪れ、雪見ミンチ定食を頼みました。大きなメンチカツの中に豆腐がゴロッと入っている人気メニューです。ランチタイムの終了間際だったため、京大の教授らしき外国の方がおられただけで、店は()いています。オーナーの話では、京大の学生や先生だけでなく、最近は中国人など海外の観光客もやってくるとか。雑誌やガイドブックで紹介されたのを見て、わざわざ御蔭通まで食べに来てくださるというのはほんとうにありがたいことです。


お屋敷街で木や花にふれる



 御蔭通より一つ北の東西の道筋は、僕の記憶では、日本家屋の大きな邸宅が門を構える、閑静な“お屋敷街”でした。

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