『稲川会系元総長の波乱の回顧録―― ヤクザとシノギ』
[著]高田燿山
[発行]_双葉社
暴走族退治
自分なりに志を持った上での稼業入りであったが、私は最初の親分である上州田中一家・大澤孝次総長とは袂を分かつこととなった。
そして、神戸刑務所での3年以上の服役を経て、孝次総長の実兄である八木田一家・大澤三金吾総長の下で修行を積んだ後の1992年に、稲川会・稲川裕紘三代目会長から盃をもらうことになった。
本章では、このことにも触れたい。
ヤクザの運命を左右するのは親分次第と言い切れる。同時に不遇に陥っても自分の努力次第ではまた浮上できることを私は身をもって知ったのである。
神戸刑務所への服役の理由は、傷害事件で逮捕されたことである。
発端は、大澤孝次総長の次女が通う高校の文化祭に、暴走族が大挙して来るという噂が立ったことだ。文化祭を台無しにされたくないと娘に泣きつかれた総長が、私に暴走族退治を命じたのである。
「子どものことだから、すぐに解決できるだろう」
親分の家族のトラブルの対応に子分が出ることには賛否あるが、こうしたことは珍しくないので、私はすぐに応じた。
「分かりました」
早速調べてみると、伊勢崎界隈の暴走族グループの背後に地元組織の幹部Fという男が関与していることが分かった。
私は、すぐに自分の子分を呼んだ。
「伊勢崎のFの所に行って、女子高の文化祭について話してこい。言うことを聞かないのなら、さらってこい。オレがFの体に言って聞かせるから」
身柄をさらって話をするのが、何といっても手っ取り早い。私が最も得意とする手段である。
やがて、事務所にFが連れてこられた。ヤクザらしい鋭い目つきをしていた。
「女子高の学園祭に暴走族が乱入すると聞いてるが、本当か?」
「もう、決まってることだ」
「それを何とか乱入しないように、止めてくれないか?」
「髙田さん、それは無理だ。オレが伊勢崎あたりの暴走族、全部を手下にしてるわけじゃないから」
「無理かい? 無理を承知で、このオレが頼んでみても駄目か?」
言うが早いか、私はいきなりFの胸ぐらに蹴りを入れた。あおむけに倒れたFの上に、外した玄関扉を思い切り振り下ろしてやった。扉は鉄格子である。
「ギャー!」
たちまちFは悲鳴を上げたが、続けて、振り下ろした鉄格子の上に乗り、何度もジャンプした。
「助けてくれー! 何でもするから」
Fはすぐに泣きを入れた。
「どけてやれ」
若い者に鉄格子をどけさせて、ほうほうの体のFを椅子に座らせた。
どうやら腕を骨折してしまったらしい。腕を力なくだらりと下に垂らし、血だらけの口を開いた。
「すいません、よく思い出せば、その暴走族とは横のつながりがあります。一家の連中を通じて文化祭には誰一人として行ってはならないと、必ず伝えます」
「初めからそう言えばよかったんだ。まあ、これでオレという人間がどんな男か、分かっただけでもよかったと思えよ」
「髙田さんが“ギャング”であるとは聞いていましたが、これほどまでの人だとは思いませんでした……」
「おい、勘違いするな。オレはギャングじゃねえ。渡世人だ」
こうしてFは解放してやったのだが、この件で私が逮捕されることになるのである。Fが警察に逃げ込んだのだ。
総長の錯乱
この頃、大澤総長は副交感神経に医学的な問題を抱えていた。そして、この神経が正常な働きをしなくなっていたのだ。
地元の病院で手術を受けて成功はしたのだが、術後の傷が痛むのか毎日痛み止めを打っていた。
だが、痛みと苦しみに耐えきれないようで、ついにはある日、子分に拳銃を持ってくるように言ったのである。自殺しようというのだ。それを見咎めた私の舎弟が、隣室で控えていた私に告げた。
「兄貴、親分が自殺するから病室に拳銃を持ってくるように言っています。弱りました……。どうしたらいいでしょうか」
「なんだって? 絶対に拳銃を渡すな。オレは深谷の伯父御(実兄の大澤三金吾総長)を呼んでくる」
私はすぐに大澤三金吾総長の家に向かった。病院から車で10分ほどである。
「伯父さん、大変です。親分が拳銃で自殺すると言ってます」
「なに、拳銃自殺だと?“孝坊”も寝ぼけたことを言ってるな。すぐ行くから、おまえの車に乗せていけ」
そのまま駆けつけた伯父御は病室に入るなり、厳しい顔をして言った。
「孝坊。なに寝言みたいなことを言ってるんだ。死ぬことはいつだってできる。痛みを我慢するのが男じゃないか」
「兄貴、オレはもうダメだ。あとは頼む……」
「……跡目は誰に継がせればよいのだ?」
親分は私を指さして、小さな声で言った。
「髙田だよ、兄貴……」
「よし、聞いたぞ、境!」
「境」とは、孝次総長の地元である境町を指す。ヤクザは、縄張りの地名を自分の名前のように使う。「その地域を守っている」という自負があるからだ。
ただ跡目の指名をされても、私はにわかに喜ぶことができなかった。
最初は大澤総長に敬愛を持って仕えていたのだが、時間が経過すると同時に、次第に“距離”が開いていくのを強く感じていたからだ。
やがて看護婦が来て痛み止めを注射すると、大澤孝次総長はすぐに眠ってしまった。三金吾総長は医大を出ているので、はっきりと言葉にこそしないが、実弟の病状を分かっているようだった。
「もう心配ないから、帰ろう」
「承知いたしました」
自宅の前で車を止めると、三金吾総長はぽつりと言った。
「髙田、苦労掛けるな……」
私は無言で頭を下げた。
私は病院にずっと詰めていたので、着替えを買いに近くの量販店に行くと、偶然、舎弟に出会った。この舎弟は肺癌で、いつ死んでもおかしくない状態であった。
「おい、あんまり動くんじゃない、体に響くじゃないか。おまえには一日でも長く生きてもらいたいんだ」
「兄貴、オレはもうわずかの命だ。どうせ死ぬなら、兄貴の役に立ちたいよ。誰か殺さなければならない野郎はいないですか? オレがやりますから」
「何を言ってるんだ。早く帰って寝ろ!」
自分の生命が危ないときに、私のことを思ってくれる舎弟がいることに、渡世人として涙があふれそうだった。彼の気持ちだけをありがたく受け取り、少しでも長く生きてくれることを祈った。
私も2度、癌を患い、「死」についてはずっと考えているが、その日の大澤孝次総長と舎弟の「死」に対する考え方が百八十度違っていることは強く印象に残っている。
死に対する考えや心構えは人それぞれであり、どれが正しいとはいえない。
それほど、死とは尊厳を伴うものではないか。そんなことを考えている。
量販店で出会ってから3日後、舎弟は黄泉の国へ旅立った。
葬儀には多くの親分衆が出席した。
しかし、問題があった。集まった不祝儀が、舎弟の奥さんや子どもといった、残された家族の手に渡らなかったのだ。そのため、私は、自宅にあった現金50万円を届けさせた。
奥さんから丁寧なお礼の電話をもらったが、こんな額しか包めない自分の器量のなさに腹が立った。舎弟の家族には、もっと多く出してやりたかった。
ヤクザの「被害届」
舎弟の葬儀の翌朝だったと思う。