『限りなくシンプルに、豊かに暮らす』
[著]枡野俊明
[発行]PHP研究所
ここ数年、欧米やアジアで、「禅の庭」がブームとなっています。
私のところにも、「禅の庭」のデザインをしてほしいという依頼が次々と舞い込んできます。数年前までは美術館や高級コンドミニアムの公共スペースなど、公共性の高い空間に庭を設えてほしいという依頼が多かったのですが、最近では個人的な依頼でやってくる人が増えてきました。
自分の家の敷地内に「禅の庭」をつくってほしい。あるいは別荘に「禅の庭」を設えてほしい。そんな要望が増えてきました。そういう人たちは、世界的にも名の知れた経営者など、いわゆるセレブと称される人たちです。中にはプライベートジェットに乗って日本にやってくる人もいます。そしてその足で建功寺を訪れてくる。ラフな恰好をしていますが、世界的に有名な会社のオーナーであったりします。
そして彼らは一様に私に言います。
「何もない庭をつくってほしい。心が休まるような美しい『禅の庭』をつくってほしい」と。
おそらく彼らは、すべてのものを手に入れた人たちです。欲しいと思えば、どんなものでも手に入れることができるでしょう。豪邸の中には、世界的な名画や最高級の調度品が飾られています。広大な敷地にはプールやテニスコートも当たり前のように完備されている「すべてを手に入れた人たち」。その彼らが最後に望むのが、「何もない空間」なのです。
何もない空間を生み出すためには、何かを置かなければなりません。ほんとうに何もない空間では、単なるだだっ広い土地になってしまう。そこに何かを設えてこそ、「何もない空間」を感じ取ることができるわけです。「有=無 無=有」ということです。
その依頼を受けて私は、「禅の庭」のデザインを施します。これ以上そぎ落とすことができない。その限界まで余計なものをそぎ落としていく。そして最終的には庭の中にたった数石の石だけを設える。石の表情をくみ取りながら、石の心を読み取りながら、そして石の声を聞きながら、たった数石の石を庭の中に設えていく。これが「禅の庭」の精神であり、日本人は昔からそんな感性をもっていたのです。
できあがった「禅の庭」を見て、彼らは心から感嘆の声を出します。
「何と素晴らしい空間なのだろう。何と心が落ち着く風景なのだろう」と。
すべてのものを手に入れた彼らが行きついた先とは、「何もないことの心地よさ」だったのでしょう。
私は物欲を否定することはありません。物欲があることで努力が生まれることもあります。欲しい物を手に入れたときの喜びは、人生を豊かにしてくれるものでしょう。ただし、そこにほんとうの豊かさは宿っていないということに気づいてほしいのです。「ほんとうの豊かさとは、物や身の回りにあるのではない。それは心の豊かさにある」。禅というのは、ただそれだけを言い続けてきたのです。
シンプルに暮らすとはどういうことなのか。シンプルに生きるためにはどうすればいいのか。それは単に整理整頓をしたりすることだけではありません。質素な暮らしをしさえすれば叶うということでもありません。シンプルに生きるということは、すなわち自分にとって大切なものを見極めることだと私は思っています。
今の自分にとって、いちばん大切にするべきものは何か。今の暮らしの中で、ほんとうに必要なものとは何か。物質的なことも精神的なこともすべて含めて、自分が大切にすべきものに目を向けること。それが浮き上がってきたとき、暮らしも心もシンプルな状態になるのではないでしょうか。
世の中の風景にばかり目を奪われていないで、自分自身の心との対話をすること。「ほんとうの自分とは何か」ということを、ときに立ち止まって考えてみる。そんな作業を人生の中に取り入れることで、きっと豊かな心が見つかるはずです。
あなたの人生の中に、少しだけ「何もない」心地よさを取り入れてみてください。
合 掌