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少年皇族の見た戦争 宮家に生まれ一市民として生きた我が生涯
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ルポ・エッセイ
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第三章 戦い終って──靖国神社と皇籍離脱

『少年皇族の見た戦争 宮家に生まれ一市民として生きた我が生涯』
[著]久邇邦昭 [発行]PHP研究所


読了目安時間:39分
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旧制高校から新制学習院大学へ



 茫然自失の日々、しかし、宮代町の家に帰ってしばらく、そうしてはいられない、はてどうしたものかという時がやって来た。


 私の学習院の同級生は高等科(旧制高校)一年に進んでいたから、そちらに戻ろうということになった。文科も理科も甲乙丙とあり、甲は第一外国語が英語、乙は独乙語、丙は仏蘭西語で、第二外国語は甲の場合、独乙語か仏蘭西語の選択だった。私は海兵では英語を除けば理科系の科目が多くて身近なものになっていたから、大して考えもせず、それまでの波に乗ったまま理科甲類に入った。


 しかし、しばらくするうちに自分は理科系ではなく文科系の人間だということに気がついた。誠にお粗末なこと、このように人生を送るのに大事な問題を碌に考えもせず理科に入ったこと、しかし今さら仕方なく、翌年の四月文科甲類一年に転科した。


 私がすんなりと初めから文甲に戻っていたとしたら、高三を終った時にまだ学習院大学は出来ておらず、他の大学を受験せねばならず、私の人生の進路も変わっていたかもしれない。しかし一年遅れたために、昭和二十四年に高三を卒業した時に学習院大学が出来、受験はしたが合格して学習院大学第一期生となった。


 この時の私の気持ち、今は必ずしも同じではないが、この敗戦に至る日本の歴史の中で、何か大きな役人グループの流れといったものがどうしようもなく働いて、この惨めな状態をもたらしたのではないかという気持ちの引っ掛かりがあって、そして海軍は懐かしい存在ではあるものの、このグループの一員だという考えが私の頭を占めて、友人たちがその道を選ぶ東大法学部の受験には二の足を踏んだ。もちろん受験して合格したかどうかはわからないが、一年前に卒業していたら他の大学を受験せねばならず、切実な問題としてどうしていたか。


 いずれにせよ、この文転したことなど、私が如何に坊や、世間知らずであったかの現れと言うべく、自分のことは自分でしっかり考えねばならぬという当たり前のことを怠ったという誠に恥かしい次第である。


反感を持たれたショック



 大学に入るまでの数年間の出来事で思い出に残っていることを二~三書いておこう。


 その一つは宮代町に帰って来て間もなく、表門(今でも残っている)を出た向かいの家が一~二軒、失火で焼けた時のことだ。


 世間知らずの少年だった私は母に乞うて、なけなしのストックの中から何がしかの魚の缶詰をその焼け出された家に持っていった。そしたら大変喜ばれて、おばさんが礼装でお礼にみえたようだった。私は当時、車で登下校していたのだが、表門を出て右折してその家の前を通る時、焼け跡の整理をしているおじさんがにこにこして挨拶してくれた。


 ところが二~三日たつと、向こうを向いたきりか、(ちよ)(つと)刺のある目付(私がそう感じただけかもしれない)で見返すではないか。


 私は(ちよ)(つと)ショックでどういうことかと悩んだ。つまり、なけなしのストックの中から上げたとは思わずに、当時容易に手に入らないものを食べて贅沢して自家用車で登下校していることに対する反感が、缶詰をもらったことでかえって増幅したのであろう。思えば無理もない。その頃、車が信号で止まったりすると、中を何者だという(ちよ)(つと)鋭い目をして覗き込む人もいた。


 私の家が人と比べて特に贅沢をしていたわけではない。財産税をとられ、臣籍降下即収入が絶たれて竹の子生活が始まろうとしていたわけだから、他の皇族ではどんどん人減らしをしたところもあったようだが、私の両親は人のよいところがあり、また、急にやめさせては困るだろうと思って首を切ることをせず、決して楽ではなかった。しかし、それはわからずに反感を持つ人もいたのであろう。


寄付ということ



 この焼けた家に缶詰を贈ったことから、最初ははっきりしないものの、ずっとどこかに問題意識が残って、今日、ロータリアンとして奉仕活動をする中でも色々と考える。


 人の苦しみを見て、物を持たない人がなけなしの物の中から何がしかの物やお金を援助に差し出す。これは純粋に感謝されるであろう。しかし物持ちの人が僅かしか援助しない時、また沢山援助する時の反応はどんなものか。ロータリークラブのように多くの会員が出しあって援助する時は問題ないのであろうが、個人がする時には(ちよ)(つと)違って、本当に真摯な思いやりの心がなければ誤解されることもあるということであろう。


 飢饉の時のために藩の蔵に米を備蓄するようなことはあったとしても、(いわ)(ゆる)チャリティーで気軽に援助するような文化は日本にあったのであろうか。米国の大会社のCEOなどは我々が(びつ)(くり)するような給料やボーナスを取っているが、一方、割と気軽にチャリティーに大金を出すようだ。ロックフェラー等の名前が頭に浮かぶ。ロータリークラブではビル・ゲイツがポリオ撲滅のため継続的に大きく寄付している。


 私の知人でも、山県さんという日本人で戦後アメリカで通信販売のデパートをやって成功し、今は故人だが、老後の活動としてアメリカの大ピアニスト、ヴァン・クライバーンのコンクールに応募する日本人ピアニストを援助していた。よくこれらの若い日本人ピアニストの出発前のコンサートや歓送会によばれて行ったものだ。


 日本でも東日本大震災や原発事故被災者のための募金が行われていて、NHKや日赤が代行しているわけだが、色々なケースに気軽に援助金を出したらよいと思う。


 考えてみると、人間死んだ時必要なのは畳一畳分のスペース(土葬の場合)、この頃のように火葬が一般的ならば骨壺のための一尺四方のスペースしかいらないではないか。あとの持ち物はすべて寄付してもよいようなものだ。


 日本では子孫に美田を残すなどというが、欧米では子供は自分で稼げばよいとして、子供は高校を出ると(金があっても皆が大学に行くわけではない)勤めるなりして一人で稼ぐのが一般的なようだ。そして稼いだ金は自分で使うのは当たり前、でも死んで持って行けるわけではないから、残る金は寄付するのが神様の思し召しというところであろうか。こうした考え方も参考として考えてみるのもよいのではないか。


 ロータリークラブの会で曾野綾子さんの講演をきいた。寄付ということが一つの大きなテーマになっていたが、寄付とはお金や物をあげるということだけではないということに、今さらながら気付かされた。


 禅宗の雲水が托鉢をするのは食物を差し出す人に喜捨の心を起こさせ、また雲水の修行にもなると了解するが、キリスト教でも、修道僧を裸足にして洗ってあげるという一種の修行があって、ある法王もされたというお話だった。他にも色々の場合があるだろうが、これらは立派な寄付といえるのではないか。相手に生ずる幸せの心、また喜捨することによって生まれる恵みの心、これも一種の寄付といえるのではないか。


 そしてあくまでもへり下った気持ち、自分を滅却して相手のことのみを思う心があってこそ、有難く受け入れられるのではあるまいか。それは自分自身のためでもあろう。


開戦の責任は問われて然るべき



 登下校に自動車を使うのは間もなくやめ、渋谷駅まで歩いて山手線で通うこととしたが、当時の電車は古い車輛で窓が破れていたり、そして、今の満員電車などとは比べものにならない本当にすし詰めで、駅に止まると乗り降りが大変。

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