『二十一世紀をいかに生き抜くか 近代国際政治の潮流と日本』
[著]岡崎久彦
[発行]PHP研究所
人間の記憶は短い。
それは良いことなのであろうが、悪い記憶もすぐ忘れる。
もう皆忘れてしまっているのであろうが、二〇〇九年から二〇一一年にかけて、鳩山由紀夫、菅直人二代の内閣──おそらくは日本の憲政史上最悪の内閣であったろう──のころ、日本国民の抱いた不安感はかつてないほどのものだった。
鳩山内閣のあいだは、道を歩いている人が急に私のところへつかつかと歩み寄って、「日本はいったい、どうなるのでしょうか?」と訊いたことが何度かあった。
ふつうならば、「ああ、あれはTVか新聞で見た顔だな」と思いながら通り過ぎる人が、居ても立ってもいられない気持ちでそう話しかけてきたのである。そんなことは、その前にもあとにもなかったことである。
そして菅内閣になってからは、尖閣諸島周辺で中国の船の領海侵犯、意図的な衝突の事件があり、やがては東日本大震災があって、これらの事件に対する政府の対応がまた国民を不安に陥れることになる。
二〇一〇年の晩秋のころ(菅内閣時代)、私の事務所を、民主党の風間直樹議員と自民党の佐藤正久議員が連れだって訪問された。
用件は、もはやこの時期にあたっては、目先の問題でなく長期的に日本の外交はいかにあるべきかを勉強したいということであり、そのテキストとして、キッシンジャーの『外交』三十一章を連続講義してほしいということであった。
私は二つ返事でお受けした。私自身日本の政治外交のあり方に危機感をもっていたときであり、この時期に若手の議員が、しかも超党派で、外交を基礎から勉強し直したいという意欲があることに感動したからである。
ただ、キッシンジャーの『外交』は、冷戦が終了し、湾岸戦争でも西側が決定的な勝利を収めただけでなく、ロシア、中国もアメリカに追随し、これで一つの時代の区切りがついたと誰しもが思った時期の著作であり、その後はキッシンジャー自身の考え方も若干修正されているようでもあるので、それだけに囚われず、他の文献も引用しつつ講義をすることとした。
にもかかわらず、本書の基本的アプローチは、国際政治における近代の始まりである、ウエストファリア条約から始めようというキッシンジャーのそれと同じである。
それでもなお我々は、現代の政治家達が直面している諸問題を理解しようとするに際しては、ウエストファリア条約から我々の時代までに至る期間の、多数の国々を基礎とした世界秩序がたどって来た歴史からしか教訓を得ることは出来ないのである。
(キッシンジャー『外交〈上巻〉』一七ページ)
つまり国際政治の近代、三百五十年間の歴史を反芻して、そこから現代および将来の諸事象についての教訓を得るほかはないということである。各時代について、繰り返し、繰り返し、それを現代と対比し、そこから将来を見通す手引きを探し求めるのが、この本の手法である。
その一二回に及ぶ講義の結果をまとめて、書き直したのが、この本である。
この本とキッシンジャーの本に沿った講義録とのあいだの章立てに大きな違いがあるとすれば、この本では、第一章はウエストファリア条約による近代の始まりとし、『外交』では冒頭にあったアメリカ外交の総論は、十九世紀末のアメリカの出現を叙述した章に譲ったことぐらいである。
超党派議員の勉強会発足に名を連ねてくださった左記の先生方に謝意を表する。長島昭久先生、細野豪志先生、北神圭朗先生、柴山昌彦先生、浅尾慶一郎先生、城内実先生(以上衆議院)、榛葉賀津也先生、徳永久志先生、大野元裕先生、風間直樹先生、佐藤正久先生、宇都隆史先生、熊谷大先生、磯崎仁彦先生、三原じゅん子先生(以上参議院)。
また、勉強会に終始参加され、貴重なご意見をいただいた、慶應義塾大学教授細谷雄一先生、日本経済新聞の秋田浩之氏および外務省の北野充審議官にも謝意を表したい。
また、雑誌連載を担当された産経新聞の桑原聡氏、また、書籍出版を申し出てくださったPHP研究所の吉野隆雄氏にも謝意を表したい。
最後に、本書に注をつけてくれた岡崎研究所の主任研究員(元東京大学特任助教授)、鈴木邦子女史のプロフェッショナルなサービスに御礼する。
なお、口絵の「欧州均力論」の書は、陸奥宗光自作の七言絶句『歴山王(アレキサンダー大王)の像に題す』という書軸であり、陸奥のほとんど唯一の揮毫である。
千古の雄図、誰ぞ君に比せん
東征北伐、乾坤を盪う(当時知られているかぎりの全世界を武力で制覇した)
如今の豪傑(ビスマルク)膽何ぞ小なる
漫りに唱う、欧州均力(バランス・オブ・パワー)の論
アレキサンダー大王に較べれば、同世代人のビスマルクなどは、小せえ、小せえ、という詩である。
陸奥は当時のモダン・ボーイであり、西郷、勝、山岡鉄舟のように揮毫を嗜むことはなく、印ももっていなかった。そこで、陸奥の揮毫のないのを惜しむ人が、陸奥が戯れて書いたものを、書生に盗ませて表装して、のちの枢密顧問官竹越與三郎に箱書きさせて、後世に遺したものである。もとより印はない。
その意味で陸奥の唯一の書といってよいと思う。(ただ、陸奥の孫の故陸奥陽之助氏が、陸奥の書と称する巷の出物に接して、私の意見を求めたことがあり、私にはどうも本物のように思えるといったことはある。その書は陽之助氏が需めて、いまでも陸奥家にあると思う。そういうものも、他にもあるかもしれない)
陸奥としては、幕末明治的な英雄豪傑の気風を衒って戯作しただけであり、深い意味はないと思うが、たまたま本書のメイン・テーマの一つがバランス・オブ・パワー論であり、すでに明治の初めの知識人がバランス・オブ・パワー論を知っていた歴史のひとこまとして口絵に使わせていただいた。
平成二十四年(二〇一二)五月
岡崎久彦