『二十一世紀をいかに生き抜くか 近代国際政治の潮流と日本』
[著]岡崎久彦
[発行]PHP研究所
国際政治におけるアメリカの登場は、ウエストファリア条約以降の近代史のなかにおいてだけでなく、人類三千年の歴史のなかで特異な現象といえる。
それは、初めて世界史を通読した明治人の鮮烈な感想からも解る。次は陸奥宗光が獄中(明治十一─十六年)で万国史を通読した感想を述べた詩である。
中外六大州の治乱
上下三千年の興亡
茫々 宇内(宇宙の中)義戦なし
強食弱肉 屠場に似たり
読み来りて 瑞気 眼底を藹すは(感動で眼がうるおうのは)
一篇 米国独立の章
陸奥宗光 万国史読後感
たしかに、近代帝国主義時代の真っただ中に、アメリカ大陸ではパワー・ポリティックス以外の理由による戦争、アメリカ独立戦争がそこで戦われたのである。
アメリカという、従来の国際政治の常識では理解できない不思議な国の出現をどう扱うかは、いまから考えれば、二十世紀を通じて、各民族国家が直面した最大の問題だった。
アメリカが建国後一世紀、旧世界とは縁を切るといって引きこもっていたあいだは問題なかった。日清戦争においても、陸奥はロシアと英国からの干渉に対しては心血を注いで立ち向かったが、アメリカから干渉が来たときは、「アメリカの申し入れは人類の共通の願いである平和への願望と、朝鮮から頼まれて断れなかったことのほか、何ら他意ないことは明らかである」と正確に判断して、日本の主張を丁寧に説明することだけで、干渉にケリをつけている。帝国主義的な底意は何もないと、きわめて正確に読み切っているのである。
十九世紀末以降、アメリカが国際政治に進出するようになってからが問題なのである。そして、ドイツは二度、そして日本、ソ連は、その難問に正解を見出せずに翻弄されて、アングロ・アメリカン世界と衝突し、それぞれ帝国を失った。
現在の日本人が歴史を振り返るとき、誰もが同じ質問から出発する。それは、どうして日本はあんな戦争をしたのだろう? 誰が日本をこんなに悲惨な敗戦に導いたのだろう、という疑問である。
私も皆と同じようにその答えを求めてきて、一つの結論を得た。それは、日本はアメリカというものを理解していなかった。それがその最大の原因だったということである。
そして誰が判断を誤ったのだろう。それは、私の意見では、二人の日本人である。しかもその二人は、戦前の日本の政治家軍人のなかで、私が最も敬愛する人物であり、また、その時代としては最も良くアメリカを理解していたはずの日本人であった。それは幣原喜重郎と山本五十六である。その二人がアメリカというものの判断を誤ったのである。
幣原喜重郎は、英国が、米国から日英同盟廃棄の圧力を受けて苦慮している最中に、日本から助け舟を出して、同盟廃棄を手伝った。それがなければ、英国は一方的にはとうてい同盟を廃棄できない状況だった。あるいは形だけは廃棄しても、一九二七年、介石の第一次北伐軍が南京の外国居留民の生命を脅かした第一次南京事件の際に、中国利権の共同防衛のため日英同盟は復活していたであろう。
もし、日英同盟が継続していれば、第二次大戦への日本の参戦などは問題外だった。
昭和天皇と重臣、とくに戦争直前まで生きていた最後の元老西園寺公望は親英米派である。また、海軍は親英である。陸軍独りが跳ね上がっても、国策を決定できない。外交政策はことごとく兄貴分である英国と協議してからということとなる。これでは三国同盟も真珠湾攻撃もあり得ようもない。
日英同盟の廃棄は、外交官としての幣原の個人的能力なしではあり得ないことであった。しかし、それは幣原が才子、才に走って先走りしたのではなく、彼の信念に基づいていた。
ウィルソンの主張によれば、第一次大戦前のヨーロッパは相対する同盟間のバランス・オブ・パワーで平和を守ろうとしたが、結果が明らかなように、同盟は戦争の原因にこそなれ、戦争抑止の力がなかった。同盟は悪であり、多数国間の協調だけが平和を守り得るという考え方である。
幣原もまた、国際の平和は同盟に頼らず、国際条約秩序の尊重と国家間の善意と協調で守られるべきだと考え、進んで日英米仏の四カ国条約を受諾した。