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二十一世紀をいかに生き抜くか 近代国際政治の潮流と日本
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政治・社会
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第十章 泥沼とは

『二十一世紀をいかに生き抜くか 近代国際政治の潮流と日本』
[著]岡崎久彦 [発行]PHP研究所


読了目安時間:26分
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 冷戦中の熱戦としては、米国はまず朝鮮戦争を経験した。それは当初に予想された東西対立の正面でない場所で起こったが、ケナンの封じ込め政策の最初のテストとなった。


 そして惨憺たる戦闘を経てのうえではあったが、その目的を達成し、いまに至る韓国の繁栄の基となっている。


 しかし米国の政治、社会が最大の挫折と衝撃を受けたのは、ベトナム戦争であった。戦争は完全な敗退のかたちで終わり、米国に協力し、米国の庇護を期待した多数のベトナム人は過酷な弾圧を受け、あるいはボート・ピープルとなって辛酸を()めた。そして、米国の政治社会には深い亀裂が走り、その亀裂はまだ埋まっていない。


 イラク戦争の是非が激しく議論されたのは、二〇〇八年のオバマ、マケインの大統領選挙のときだった。その際、リベラルの議論では「ベトナムの教訓」といえば、再び泥沼に足を取られるのを避けるためのイラク撤退論であり、他面、キッシンジャーやレアード元国防長官などの議論では、それは軍事援助を途中で放棄して、せっかく勝っている戦争を敗退に至らしめることに対する警告であった。


 キッシンジャーは書いている。「三十年前、議会は、まだ抵抗の意思のあるベトナム政府に対する援助を打ち切って、ベトナムを失った。国内の政争が他の考慮に優先したのである。われわれは、この悲劇を繰り返してはならない」。(二〇〇八年七月三十一日付、ワシントン・ポスト紙)


 レアードは、大統領府、国務省などが余計な口を出さずに国防省に任せるべきだったと論じている。すなわち、軍の主導でベトナム軍の建設もうまく行っていたのに、米国がベトナム支援の約束を裏切ったのでベトナム敗退となった。戦争のことは軍に任せるべきだというのが、レアードのベトナム戦論である(二〇〇七年六月二十九日付、ワシントン・ポスト紙)。その時点でイラクでは、ペトレイアス将軍の指導の下で戦況が好転しつつあった時期であり、それがオバマの撤退論で挫折することを危惧する警告であった。


 現在に至るまで米国では、ベトナム戦の是非は感情的なしこりとなっていて、権威のあるベトナム戦争史は出てきていない。


インドシナで実際に何が起こったかの問題も混乱したままである。このことは、二〇年以上の、共和・民主両党の四政権にわたる知的空白をつくり出すことになった。

(キッシンジャー『外交〈下巻〉』三五五ページ)



 その意味で、キッシンジャーの『外交』の第二五、二六、二七の三章は、現存する唯一のベトナム戦争史であり、『外交』全編のなかで珠玉である。



 冒頭、「それはすべて善意から始まった」(『外交〈下巻〉』二四九ページ)から筆を起こしている。


 つまり戦後米国は、アメリカの価値観の下にヨーロッパを復興させ、ギリシア、ベルリン、朝鮮半島で共産主義の拡張を抑え、平和、繁栄、安定をもたらした。ところがベトナムでは、その型がすべて打ち砕かれたのである。それを「ベトナムの試練において、アメリカの例外主義はアメリカ自身に向かって歯をむいて来た」(『外交〈下巻〉』二五〇ページ)と表現している。


 そして、かつてビスマルクは、バルカンの利害などは一人のポメラニア兵の命にも値しないといったが、ウィルソン主義はさまざまな国や地域の重要性を比較考量せず、アメリカの政策をすべての国に平等に適用しようとした。また、パーマーストンは「イギリスは友人をもたず、ただ利害のみをもつ」といったが、ケネディは「自由のためにはいかなる友人をも援け、いかなる敵とも戦う」といった。そうしたナイーブなウィルソン主義がすべて裏目に出たという趣旨である。


 また、戦争の当初は、アイゼンハワー、ケネディなど、当時の世代にはミュンヘンの失敗の教訓が焼きついていて、宥和主義は倫理的に悪であると思われていた。そこから、いわゆるドミノ理論が生まれた。一点で譲れば次から次へドミノ倒しで共産主義勢力につけ込まれるという理論である。


 一九五四年、フランス軍の最後の拠点、ディエン・ビエン・フーがベトナム軍によって陥落しそうになったとき、アイゼンハワーはチャーチルにドミノ理論を説き、イギリスの介入を求めた。そのなかで日本については、「非共産圏の市場と食料・原料源を奪われた日本は、経済的圧力の結果、いずれは共産主義を受け入れることになり、それによって共産主義はアジアの労働力と天然資源を日本の工業力と結びつけることが可能となるだろうと懸念されます」(『外交〈下巻〉』二六四ページ)と書き送っている。


 それに対してチャーチルは、「ロシアがその地の民族主義者や抑圧された民族の熱狂を動員することが可能であるような、周辺地域の戦争」(『外交〈下巻〉』二六五ページ)、つまり民族解放戦争に敵対することの危険を警告した。

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