『二十一世紀をいかに生き抜くか 近代国際政治の潮流と日本』
[著]岡崎久彦
[発行]PHP研究所
従来私には、日本という国家の存立にとっての日米関係の重要性については持論がある。
持論というよりも、私にいわせれば、何ぴとも否定しようのない歴史的事実であり、それに基づくほかに選択の余地のない政策である。
それは、開国以来現在に至る国際関係において、島国である日本にとって死活的に重要なのは、七つの海を支配しているアングロ・アメリカン世界と良好な関係を保つことにあるという逃れられない事実である。
永遠の真理かといえば、そんなことはない。
一五八八年にスペインの無敵艦隊が覆滅される前ならば、スペイン、そしてその後は新興のオランダなどの動向にも注意を払わねばならなかった。また、現に当時の日本はそうしていた。しかし、近代が始まってほぼ四百年のあいだ──そのなかには日本開国以来の近代、百五十年がすっぽり含まれる──については、それは逃れられない歴史的事実である。
日本近代史のなかで、日英同盟とそれに続く国際協調時代の十年間(一九〇二─三一年)は、明治維新以来の日本国民の営々たる努力が達成した近代化の頂点であった。
当時空軍は未発達であり、長距離ミサイルもない時代、日本の安全を脅かすものは皆無だった。バルティック艦隊を覆滅して以来、世界のいかなる海でも日英の海軍に対抗できるものはなく、日本は世界中どこの市場、どの資源へも自由にアクセスできた。
こうして平和で繁栄すれば、国民は自ずから自由を欲する。そして明治の自由民権運動の営々たる努力がついに花開いて、明治維新後の近代化の頂点である大正デモクラシー時代を迎える。そして、その後米国と衝突して敗れ、敗戦と占領を経過したのち、日米同盟によって、再び半世紀以上の平和と繁栄と自由とを享受している。
このように、私にとっては日米関係の維持強化は日本の国策として自明の理なのであるが、日本にはこれに対する反撥がある。
反論でなく反撥という言葉を使うのは、反論、つまり日米同盟路線に対する代案というものがないからである。かつては無理に空理空論を組み立てて、非武装中立論などというような代案もあったが、もはやそういうことをいう人はまったくいなくなった。
明治以来の深い伝統のあるアジア主義も、もうまともにいう人はいない。この現象は、別途よりくわしい分析に価しようが、ただここでは事実として、誰もかつての大東亜共栄圏のような具体性のある絵が描けなくなっていることだけは指摘できよう。
日米同盟路線に対する反撥の一つの背景として、冷戦時代の左翼思想がある。
冷戦時、共産側の目標は、国際共産主義の拡大の障碍となるものを除くことにあった。
日本に反軍思想、反国家思想を植えつけて、軍事ポテンシャルを除くことはもとより、最大の障碍である日米同盟関係を離間することがその政策目標であった。それが「アンポ反対」である。左翼系の教育、報道、出版関係労組が反米を鼓吹したのは当然であり、その影響は広く深く及び、それによって教育された世代は、その第二世代、第三世代を生んだ。
ただ、政策論はなかった。それは当然である。政策論という以上、日本にとってそのほうが有益だという代案がなければならない。
もともと、いざという場合、日本を取りやすくしておくだけの目的であるから、建設的な代案があるはずもない。ただ「憲法の平和主義はどこに行ったのでしょうか?」、あるいは「日本の自主独立はどこにあるのでしょうか?」という否定的なレトリックを繰り返すだけであった。