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二十一世紀をいかに生き抜くか 近代国際政治の潮流と日本
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政治・社会
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第十二章 二十一世紀をいかに生き抜くか

『二十一世紀をいかに生き抜くか 近代国際政治の潮流と日本』
[著]岡崎久彦 [発行]PHP研究所


読了目安時間:23分
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 私がかつて『悔恨の世紀から希望の世紀へ』を書いて二十世紀を回顧し、二十一世紀を展望したのは、ベルリンの壁が崩れ、ソ連邦も崩壊して、革命と戦争の世紀であった二十世紀がやっと終わったときだった。


 人間の浅知恵で、社会も人間も変革できるという思い上がった共産主義思想が招いた、ソ連の富農の撲滅、強制収容所、中国の大躍進と文化大革命、ポルポトの大虐殺など、二十世紀に相次いで繰り広げられ、何千万人の犠牲者を産んだ地獄絵にあらためて戦慄し、また、それに対抗して生まれたファシズムが惹起した戦争の殺戮と悲劇ももう過ぎ去ったものとなったことに安堵したのであった。


 そして、そのすべての背景には、その前の時代へのノスタルジーがあった。それは、この悲劇の時代の直前まで存在し、それによって突然中断されてしまった、優れて十九世紀的な近代西欧文明の咲き誇った時代である。


 十九世紀をフランス革命から第一次大戦までの期間と考えれば、われわれが戦前の少年時代において、そのなかに育てられてきた教養、つまり童話から初めて思想、文学、音楽、絵画のほとんどすべては、十九世紀文明の所産だったといえる。


 そして二十世紀を第一次大戦、ロシア革命から、第二次大戦、冷戦を経て、ソ連邦の崩壊までの七十余年とすれば、その間に創造されたものなど、ほとんど何もない不毛の時代だったことを、あらためて悔恨をもって思い返した。


 日本の二十世紀はもっと遅く始まっている。日本には第一次大戦による文明の破壊がなかったので、十九世紀的世界は、われわれの記憶に残る一九三〇年代まで存続していた。


 それは大正デモクラシーの自由の残影であり、旧制高校の教育に象徴される十九世紀的教養主義であり、徳川時代の士大夫教育以来の人格完成主義であった。すべての文化に明治、あるいはその前からの継続性があった。


 それが戦争と占領によって断絶されるのである。日本の場合、二十世紀は遅く始まったぶんだけ、もっと短かったともいえるが、他面、占領の影響と、そして冷戦時代の左翼思想の影響がその本家本元は崩壊したにもかかわらずまだ払拭され切っていないという意味では、日本の二十世紀はベルリンの壁の崩壊でもまだ終わっていないのかもしれない。


 二十一世紀になって、二〇〇六─七年の安倍晋三内閣は、戦後レジームからの脱却を標榜した。ただ、戦後レジームといっても、戦後の偏向教育の深い影響は別にして、法制的には、占領時代の遺産でその当時まで残っていたのは、教育三法と憲法だけとなっていた。


 アメリカの占領当初は、スティムソン、ライシャワーのような日本の歴史を知っている人々は、大正デモクラシーへの復活を占領目的とした。しかし歴史に無知なケーディス等の占領官僚は、日本は占領のおかげでそれまでの暗黒の軍国主義時代を脱して夜が明けたように自由民主主義国家に生まれ変わったという占領史観を押しつけ、それ以外の史観を検閲で排除した。日本から国家意識、歴史を奪い、日本を精神的に無力化させるという政策である。


 その初期占領政策は、冷戦の開始早々に撤回されるが、この政策は今度は、米国に代わって日本の無力化を図る共産主義のプロパガンダに引き継がれ、左翼系の教育、報道、出版労連によって、その後半世紀にわたる偏向史観を生みだした。


 実は、現在の日本の言論と結社の自由は、偏向史観では米軍占領の恩恵のようにいわれているが、もともと明治憲法で保証されていた。明治憲法は世界の他のすべての十九世紀憲法と同じく英国の権利宣言に源を発し、人民の自由を保証していた。


 ただ、その権利は法の定めるところによるとされ、日本を取り巻く環境がロシア革命、大恐慌、中国の国権回復運動と厳しさを増すなかで、その後制定された法律で制限が厳しくなっていたものであった。したがって戦争が終わると同時に、占領軍の進駐を待たず、東久邇内閣の手で完全に元に戻されていた。


 婦人参政権、農地解放は、世界中多かれ少なかれ戦間期、日本では大正デモクラシー時代に一部で提唱され、戦争で中断された流れであり、戦後は当然のこととして占領軍の命令前に日本政府の方針として決定され、マッカーサーもそれを称賛している。


 日本の意思を無視して強行された改革としては、公職追放と財閥解体があったが、それはもともと占領初期の日本無力化政策に基づくものであり、すでに占領中に徐々に撤廃され、いまはまったく残っていない。

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