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老いは楽しい
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生き方・教養
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老いることは人生の深い味わいを楽しむことである。

『老いは楽しい』
[著]斎藤茂太 [発行]PHP研究所


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「今、わかっていること」は意外に頼りない


「九十歳にならないとわからないことがある」


 こんな言葉を禅の鈴木(だい)(せつ)師が若い秘書に向かって語ったと、日野原重明さんが『生きかた上手』で書いていた。なるほど、と大いに共感する。


 二十歳で気づかなかったことを五十歳になってわかったり、五十歳でわからなくても七十歳になったら「そういうことだったのか」と納得することもある。つまり、「今、わかっていること」がすべてではないのだ。


 ところが、若い頃は「今、見えること、わかることがすべて」という感覚が強い。希望に燃えているときは目指そうとする目標しか見えない。だから、想像できないような大きな力が湧き出てくるというメリットがある。ところが、絶望に陥ると、今度は底なし沼のごとく落ち込む危険性がある。「今、見えている絶望」が未来(えい)(ごう)続くように感じるからだ。


 ある画家の卵が洋行したときのことだ。日本を出て欧州の目的地に向かう旅の途中、彼は一緒に行った友人から一人の画家の話を聞いた。しかし、関心を持たなかった。現地に着くと、まず世界的に有名な美術館を訪れた。期待に反してピンとくる絵がなく、失望した。これが続けば、失望は絶望に変わっただろう。


 運のいいことに、彼は別の美術館で「これだ!」と感動する絵に出会った。誰が描いたのかと見てみると、「ここにくるときに、友達が話していた画家」であることを知った。この後、彼はその画家の家を訪れ、いろいろと教えてもらうようになり、一流の画家になった。


 おそらく洋行するときの彼は、「これから洋画の本場に行き、素晴らしい絵に出会って、自分の画風を確立する」という希望で頭がいっぱいだったに違いない。そういう「今、見ていること」がすべてだったから、初めて名前を聞くような画家の話を聞いても、「そんな画家がいるのか」という程度にしか受け止めなかった。しかし、その名前は頭のどこかに残っていて、絵と出会ったときに再認識した。それが大きな転機となったわけだが、このように「今、わかっていること」は意外に頼りない場合がある。


 今はピンとこなくても後で「これか」と思う。それを逆に考えれば、人間は年をとるほどわかることが出てくるということができる。


 評論家の江坂彰さんは『PHPほんとうの時代』の連載エッセイで、「石川啄木の真価を中年になってわかった」と書いている。会社人間だった若い頃は、子供っぽさ、陰気さが感じられて、遠ざかった。しかし、左遷された経験を経て、啄木の歌に感動するようになったという。哀感を含めた味わいに共感を持ったからだろう。


あるとき、「ああ、そうか」と気づくと愉快になる



 江坂さんの例ではないが、「わかるようになる」というのは、年齢に応じてわかってくるというだけでなく、経験に応じてわかることも出てくる。


 私は飛行機、鉄道、旅行といった趣味の他に映画ファンでもある。青年時代からよく映画を観た。なかには繰り返し観た作品も少なくない。『第三の男』はそのうちの一つだ。


 第二次大戦後のウィーンを舞台に、アメリカ人ジャーナリストが行方不明になった友人を探し、ある犯罪とぶつかる。そういうストーリーだが、ウィーンの地下下水道の追跡や並木道をヒロインが歩き去っていくラストシーンは有名だろう。この映画を初めて観たときは、「よくできている。名画といってもいい」という感想を持ったにすぎなかった。


 鉄道マニアになって、オーストリアの鉄道に何度も乗った後、再びこの映画を観た。このとき、ウィーン駅の場面で「アムシュテッテン乗り換え」というアナウンスが耳に響いてきて、「ああ、アルプス方面行きの列車か」と思い、ローカル線の雰囲気が脳裏に浮かんだ。亡父・茂吉がオーストリア・アルプスを旅した跡を訪ね歩いたとき、アムシュテッテン駅で乗り換えたことがあった。その経験が映画の一場面のイメージをひと味違ったものにしたのだ。


 それ以上に面白かったのは、アメリカ人ジャーナリストが「あなたの好きな作家は誰か」と聞かれる場面である。彼は「ゼーン・グレイ」と答え、ウィーンの人達はその名前を知らないという顔になった。何度目かに観ていたとき、「ああ、あの作家か」とわかり、思わず笑ってしまった。


 メキシコで汽車の旅をした後、サンディエゴから小型機に乗ってロサンゼルス沖にあるサンタ・カタリナ島に行った。この島とロサンゼルス外港のロングビーチの間には飛行艇の定期便が飛んでいる。それに乗るためだった。


 島に着いてホテルに泊まった。それはホテルというより個人の家のようだった。ホテルの人に尋ねると、もとは作家の別荘という。その作家がゼーン・グレイ。西部物や野球物、少年冒険物語などを手がけた大衆作家で、アメリカでは人気があったという説明を聞かされた。その後で『第三の男』を観たら、アメリカ人ジャーナリストが大衆小説くらいしか読まない人、文学青年ではない人というキャラクターが具体的に伝わってきて、ニヤリとしたわけである。


 こういったことは、目標を持って勉強してわかるものとは違う。犬も歩けば棒に当たるというが、長く生きていれば知らず知らずのうちにいろいろと経験を積み重ねている。それがあるとき、「ああ、そうか」という発見につながる。そして、その発見がひときわ深い味わいをもたらす。その意味で、老いることは楽しみを増すことなのである。

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