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若き日の和辻哲郎
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ルポ・エッセイ
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第1章 第二次『新思潮』同人

『若き日の和辻哲郎』
[著]勝部真長 [発行]PHP研究所


読了目安時間:38分
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1 第二次『新思潮』の発刊



 谷崎が和辻の下宿、本郷正門前の蓋平館に頻繁に訪れるようになったのは、明治四十三年、第二次『新思潮』発刊の前後からである。その頃の事情を、谷崎が『青春物語』で書いている。


さて『新思潮』の話であるが、実を云うと、私はそれの最初の提案者が誰であったかよく知らない。しかし私より先に、和辻、後藤、木村荘太、小泉鉄、大貫などの間にそういう計画が熟していたことは確かである。このうち、和辻、小泉、大貫は私より一級下、後藤は二級下であった。木村は帝大生ではなく、千代田小学校時代の後藤の幼な友達で、芝浜館の若旦那であったが、暇に任せて外国の文学書を漁り、欧州文壇の趨勢に通じていたことは我々の中の随一であっただろう。彼は年歯最も若く、芝浜館と云えば相当に名の売れた料理屋の主人であったから、資金の関係から後藤が仲間へ入れたのであろうと思われる。当時この少し前に『白樺』が創刊され、志賀、武者小路、有島、里見の諸氏が新しい機運を作り出しつつあったので、彼らがそれに刺戟されたことは云うまでもあるまい。彼らのうちで、大貫は早くから名を成し、和辻も『新思潮』の出る前に小山内氏に接近していて、同氏の斡旋でショウの「キャンディダ」の翻訳を演芸画報に載せたことがあった。そんな事情から、その他の連中も自然小山内氏の門に集まるようになったのであろう。されば『新思潮』という名も、小山内氏が命名したか、われわれの仲間が氏を担ぐために名付けたか、孰方かであったに違いないというのは、その昔深川の木場の若旦那で、小山内氏のパトロンであったKさんという人(同氏の小説「大川端」に出て来る人)が出資者となって、小山内薫秋田雨雀両氏の編輯で、その同じ名の雑誌が出たことがあり、それが久しく廃刊になっていた。そこでわれわれはその看板を譲り受け、第二期『新思潮』を起そうというのであった。(だから『新思潮』というものが同人雑誌の性質を帯び、青年作家の試験台のようなものになったのは、このわれわれの第二期『新思潮』が最初であって、第一期『新思潮』はやや(こう)(とう)的ではあったけれども、普通の文学雑誌であった。その後『新思潮』は第何期まで続いたか知らないが、同人雑誌という意味ではまさにわれわれのが第一期であった)



 ここで『新思潮』について触れておけば、第一次は、明治四十年十月、潮文社から創刊され、小山内薫主宰の文芸雑誌としてイプセンなど演劇を主として外国文学の紹介に努めた。四十一年三月、第六号で廃刊。第二次が谷崎・和辻・後藤末雄・大貫晶川・小泉鉄・木村荘太らの同人で、編集発行人小山内薫、顧問島崎藤村で、発行所は新思潮社。明治四十三年九月創刊、翌年三月第七号まで出して廃刊。


 創刊号は、

恩 人大貫晶川

忘 却後藤末雄

赤い花真賀 温

反 古(発売禁止)小山内薫

史劇 常 盤和辻哲郎

史劇 誕 生谷崎潤一郎


 十月の第二号は、

脚本 ウォレン夫人の職業ショウ作 和辻哲郎訳

素 材木村荘太

脚本 象谷崎潤一郎

The Affair of Two WatchesJ・T生

火 葬松本青石

川 魚モウパッサン作 夕 葵之助訳


 十一月の第三号は、

二人の生立大貫晶川

推 移後藤末雄

河内屋与兵衛吉井 勇

刺 青谷崎潤一郎


 十二月の第四号は、

麒 麟谷崎潤一郎

後藤末雄

大貫晶川

門前の家与謝野晶子

前 曲木村荘太


 翌年一月の第五号は、

自由劇場所感和辻哲郎

会 見大貫晶川

葉 巻後藤末雄

麭箱ダヌンチオ作 新城和一訳

ぼんやりした昼小泉 鉄

終 焉ツルゲネフ作 夕 葵之助訳


 二月の第六号は、

小さい畑小泉 鉄

彷 徨谷崎潤一郎


 三月の第七号(終刊)は、

坪内逍遥先生に和辻哲郎

楽 屋和辻哲郎

戯曲 停車場附近和辻哲郎

戯曲 夜の思想木下杢太郎

泥炭の湿地キイランド作 秦 豊吉訳

鑑 定恒川石村

戯曲 美しき凋落新城和一

砂漠の夜ストリンドベルヒ作

最も簡単なる事秋山 勉


 けっきょく第二次『新思潮』は、谷崎がよく書き、谷崎ひとりを新進作家として文壇に送り出して、廃刊するという結果に終った。


 ついでにいえば第三次『新思潮』は、大正三年二月、山宮允・山本有三・豊島与志雄・久米正雄・芥川龍之介・土屋文明・成瀬正一・佐野文夫・松岡譲・菊池寛を同人として、新思潮社から出し、同年九月第八号で廃刊。


 第四次『新思潮』は、大正五年二月、東京堂より創刊。同人は成瀬・芥川・菊池・久米・松岡。大正六年三月、「漱石先生追慕号」をもって廃刊。第五次は、大正七年十月、新思潮社より刊行。同人、村松正俊・中戸川吉二・阿部たつをら七名。大正八年六月、第八号で廃刊。第六次は、大正十年二月、創刊。同人、石浜金作・川端康成・今東光・酒井真人・鈴木彦次郎。中途から横光利一も寄稿。第七次は、大正十三年六月創刊。同人、浅野晃・飯島正・大宅壮一・小松清・手塚富雄・水野亮・湯地孝ら。同年、第三号で廃刊。第八次、大正十三年創刊。同人、秋山六郎兵衛・青江舜二郎・手塚富雄・雅川滉・深田久弥・丸山薫ら。第九次は、大正十五年刊、青山・雅川・深田ら。第十次、昭和四年五月、新思潮社刊。同人、青山・雅川・深田のほか那須辰造・福田清人ら。昭和五年三月、第八号で廃刊。第十一次、昭和七年五月創刊。同人、杉森久英・檀一雄・高田瑞穂・太田静一ら。昭和九年二月、第十三号で廃刊。第十二次、昭和九年十月、新思潮社刊。同人、高山毅・太田静一ら。昭和十一年八月、廃刊。第十三次、昭和十二年十月、新思潮社刊。同人、井上達ら。寄稿者には小林秀雄・中島健蔵・藤森成吉・本多顕彰ら。第十四次、昭和十六年一月創刊。同人、小島輝正・平田次三郎・宮沢章二・山下肇ら。一号で廃刊。さらに同じ十四次として、昭和二十二年七月より玄文社から出たのがある。同人、中井英夫・吉行淳之介・吉岡実ら。寄稿者に中島健蔵・福田恆存・伊藤整・花田清輝など。これは昭和二十三年九月、第五号で廃刊。第十五次、昭和二十五年十二月刊。三浦朱門ら。のち曽野綾子・有吉佐和子・梶山季之・村上兵衛ら参加。昭和三十三年二月、第十七号で廃刊。第十六次、昭和三十五年二月、晶文社より刊。同人、小野二郎・柘植光彦・近藤耕人・磯田光一・天沢退二郎・三宅二郎ら。昭和三十九年五月、第七号で廃刊(吉田生氏による)


 こうしてみると『新思潮』は、明治四十年の小山内薫に始まって、谷崎・和辻らの第二次をへて、昭和三十九年まで、ほとんど六十年、生れては消え、消えては生れ、第十六次まで、世の文学青年、作家志望者の夢と希望をのせて、流れ流れてきたことになる。



2 同人雑誌経営の苦労



 同人雑誌経営の苦労というものは、いつの場合でも同じことで、似たり寄ったりであろうが、谷崎が第二次『新思潮』の出生について、次のように語っている。


私は、その「新思潮」という名前も極まり、同人の顔触れもほぼ決定した後に入れられたのである。私を引張り込んだのは誰であったか覚えていないが、多分大貫だったであろう。

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