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若き日の和辻哲郎
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ルポ・エッセイ
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第3章 自由劇場のころ

『若き日の和辻哲郎』
[著]勝部真長 [発行]PHP研究所


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1 明治四十三年という年



 明治四十三年(一九一〇)は、わが国の社会にとって、一つの変り目であった。日韓併合があり、幸徳秋水の大逆事件があった。日露戦争は、初め七億円の予算だった戦費が二十億円にふくれ上り、その内七億円は英国からの外債によった。その金利の支払いだけでも大へんで、二十万人以上の死傷者をだしながらロシアからは一文の賠償金もとれなかったから、わが国の財政は火の車だったのである。戦後経済も不況な上に、国民は重税に苦しんでいた。それなのに日露戦争の勝利で自信をつけた軍部は、いよいよ積極的に拡大方針を固め、やがて二個師団増設の要求を主張しはじめる。本来なら、ここで日露のいくさが、わが方の勝利といっても実は大へんな苦戦であったことの真相を国民に告白し、政府も国民一般も深刻な反省をなすべきであった。そういう意味の天皇の詔勅を出して、官民の気持ちをひきしめるくらいのことをしてもよかったのである。明治四十一年に出された「戊申詔書」はまだ不徹底であって、国家の真相を伝えていない。同じ四十一年の秋に『朝日新聞』に連載された夏目漱石の「三四郎」のなかに、主人公の三四郎が熊本から上京する汽車の中で隣り合せた髭の男との会話で、


然し是からは日本も段々発展するでしよう」と弁護した。すると、かの男はすましたもので、「亡びるね」と云った──



 とあるのは、たんなる言葉のアヤではない。いくさの勝利のあとにくる国家の危機を、漱石ほどの人物なら感じとっていたはずである。


 明治四十三年は、日韓併合があり幸徳秋水らの大逆事件があり、石川木が「時代閉塞の現状」を書いた年であり、戦後社会が胸突き八丁にさしかかったような状況にあった。日韓併合も、わが国がロシアの南下を防ぐために日露戦争までして突張ってみたのに、なおも不安で、南満州の権益を確実にするためには、韓国を併合しなければとうてい安心できないという恐怖心からの対応であった。それほどロシアの南下政策が脅威であったのである。ロシアは外患であったが、同時にロシアに発する社会主義運動は内憂であった。


 渡米していた幸徳秋水はサンフランシスコで明治三十九年一月の、ロシアの「血の日曜日」の一周年記念集会に出席して、「露国同胞の革命は、世界革命の先鋒」と叫び、「革命は来れり、今の時代は革命の時代なり」と、革命熱に浮かれていた。


 帰国した幸徳は、明治四十年二月の社会党大会で、「議会政策」よりも「直接行動」を主張し、ラジカルな硬派社会主義の先頭に立ち、当局のきびしい弾圧のもとで、いよいよ過激化していった。のちに幸徳の妻となって共に処刑されることになる管野スガが書いているように、



 この儘で進んだら、退いて餓死するか、進んで爆発するか、二者一を選ばなければならない運命に到達する事を信じます。物ずきな日本政府は斯くして多くの謀叛人を製造してくれるのでございます。

(『自由思想』第二号)



 社会主義者と警察の取り締りとのイタチごっこがエスカレートして、ますます過激な暴発の袋小路に追い詰めるようなやり方しかできなかった明治政府は、やはり恐怖心のとりこになっていたのである。外は、ロシアがこわい、のと同様に、内では、社会主義者がこわくてしようがなかったのである。


 幸徳らが一せい逮捕・検挙されたのが四十三年五月末で、大審院の判決(死刑二十三名)が四十四年の一月十八日、処刑(十一名死刑、十二名は無期)が二十四日であった。

原敬日記』は、この事件を次のように記している。



 余の在職中、陛下に対し取締の緩慢を誣奏せし元老あり、官僚派は頻りに余輩を攻撃せしが、今彼等果して如何の感をなすか。彼等の政略は鎮圧々迫にあり、然るに圧迫は却て此主義者を隠密の間に蔓延せしむるものにて取締上全く反対の結果を生ずるものなり。今回の大不敬の如き実は官僚派が之を産出せりと云うも弁解の辞なかるべしと思う。

(明治四十三年七月二十三日)



 大逆事件に関して、当時の文士たちの反応はまちまちであった。永井荷風が、



 わたしは文学者たる以上この思想問題について黙していてはならない……然もわたしは世の文学者と共に何も云わなかった。私は何となく良心の苦痛に堪えられぬような気がした。わたしは自ら文学者たる事について甚しき羞恥を感じた。

(「花火」)



 といって、自分の芸術の品位を江戸戯作者の程度に引下げることにした、と宣言したのは有名であるが、徳冨蘆花は一高弁論部の依頼で講演をなし、「謀叛論」と題して、



 彼等は乱臣賊子の名を受けてもただの賊ではない、志士である、自由平等の新天新地を夢み身を献げて人類の為に尽さんとする志士である。其行為は仮令(たとい)狂に近いとも、其志は憐むべきではないか……諸君、幸徳君等は時の政府の謀叛人と見做されて殺された。が謀叛を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である。



 と訴えた。当時の一高校長は新渡戸稲造で、文部省から責任を追及され、職を退いた。


 石川木は四十三年末の日記に、



 思想上に於て重大なる年なりき。予はこの年に於て予の性格、趣味、傾向を統一すべき一()(やく)を発見したり。社会主義問題これなり。予は特にこの問題について思考し、読書し、談話すること多かりき。ただ為政者の抑圧非理を極め、予をしてこれを発表する能わざらしめたり。



 と記している。この年八月、彼は「時代閉塞の現状」という文章を書いたが、発表できなかったのである。



 今や我々には、自己主張の強烈な欲求が残っているのみである。自然主義発生当時と同じく、今猶理想を失い、方向を失い、出口を失った状態に於て、長い間鬱積して来た其自身の力を独りで持て余しているのである。すべて今日の我々青年が有っている内訌的、自滅的傾向は、この理想喪失の悲しむべき状態を極めて明瞭に語っている。──そうしてこれは実に『時代閉塞』の結果なのである……斯くて今や我々青年は、此自滅の状態から脱出する為に、遂に其『敵』の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。我々は一斉に起って先ず此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ。

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