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若き日の和辻哲郎
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ルポ・エッセイ
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第6章 蕩児帰る

『若き日の和辻哲郎』
[著]勝部真長 [発行]PHP研究所


読了目安時間:26分
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1 木曜会と家庭



 漱石の「三四郎」が朝日に連載された明治四十一年秋の頃、和辻は両親への手紙に、



 東京にては近頃朝日新聞の三四郎といふ小説が大評判に御座候。実際に三四郎(その)(まゝ)の男が、千人許りも東京へ押し掛けて参り、本郷通りは三四郎で一杯になると云ふ位な景気に候。東京の学生社会で三四郎と云へば、この九月に地方の高等学校より大学に入学せしもの、仇名となり居り申候。医科大学の一年級にては、一高出の連中が、三四郎歓迎会を開くなどと騒ぎ居り申候。



 と報告しているが、この頃はまだ漱石に逢おうとは思っていなかったようである。


 和辻が一高の学生の時いらい敬慕していた漱石に、敬慕のしるしにと処女作の『ニイチェ研究』を献呈しに早稲田南町の漱石山房を訪れたのは、大正二年十一月の天気のよい木曜日の午後であった。毎週木曜日には漱石のサロン木曜会が午後三時から開かれていて、この日も夕刻からは古顔では森田草平、鈴木三重吉、小宮豊隆、野上豊一郎、松根東洋城、若い方では赤木桁平、内田百、林原耕三、松浦嘉一らが集った。和辻は、みんなより早い時間に招かれていて夕食をご馳走になったのである。当時三十六歳の鏡子夫人が、傍で給仕をしてくれた。その夫人が和辻には郷里の母親にどこか似ているように思われた。


 漱石は、若い連中に好きなように饒舌らせておいて、時々受け答えをする。特によくしゃべったのは赤木桁平で、当時の政界の内幕話などを甲高い調子で弁じたてた。他の人たちは当時の文芸の作品とか美術とか学問上の著作とかの評判を話題にする。これにたいする漱石の作品への理解や批判はすぐれていて、時流にのったり、流行に染まったりする若い連中の意見に、迎合もしないが、とくに反感を示すということはなく、自分の体験から、よいものはよい、よくないものはよくない、とはっきり自分の意見を述べる。すると森田、鈴木、小宮などの古株の連中は、先生は頭が古いとか、時勢おくれだとかいって喰ってかかるが、漱石の方は、別に勢込んで反駁するでもなく、言いたいままに言わせておく。この漱石サロンは、若い連中の気焔をあげる場所になっていて、漱石に楯をついている古顔連中も、皆それぞれに漱石に甘えていたのである。


 漱石を核とするサロンのこのような集りは、楽しい知的饗宴、友情の交響楽を現出していて、木曜日の晩にそこに行きさえすれば、友愛的な結合の輪のなかに入ることができるのであった。主人である漱石は、良識に富んだ、穏やかな、円熟した紳士であって、気がへんなところなど一つもなく、諧謔で相手の言い分をひっくり返すという機鋒の鋭さはあったが、しかし相手の痛いところを刺すような辛辣さはなく、むしろ相手の心持をいたわる心遣いがあって、暖かな感じを与えた。


 しかし一晩に十人位の若い連中の相手をして、それも少しずつ顔ぶれが変るのであるから全部では数十人にもなろうし、中には寺田寅彦のように一人で木曜以外の日にやってくるのもあり、そうした客との応対についやすエネルギーの消耗は大へんなものであったであろう。それだけの客に出す茶菓の用意だけでも、台所の方では相当に手がかかる。それだけ鏡子夫人の負担は大きく、家人を疲労させているのである。そればかりか、漱石が多数の若い連中の父親的な甘えの対象になっている裏には、夏目家の子供たちが、甘えの対象をとられてしまって、被害者の側に廻らなければならない。


 漱石の唯一の自伝的作品『道草』に描かれている夫婦の亀裂は、そうした家庭環境の反映とみることもできる。明治の人間には、漱石ばかりでなく、訪問客を好遇することで家庭を犠牲にする結果に陥る例は多くあった。


 和辻が妻を愛し、子供を愛し、家庭を大切にしたのには、漱石の家庭の実例が一つの教訓となっていたのかもしれない。和辻家にも来客は多かったに違いない。東大教授の頃、学生や編集者はよく訪ねてきた。しかし家人の負担になるべくならぬよう、そのため家人が犠牲にならぬような配慮はなされていたように思われる。


 それに何よりも和辻が『自叙伝の試み』に書いているように、祖父の見竜が、反面教師の役割をしていた。天保生れで九十二歳まで元気でいた見竜は、産科を得意とする村医者で、火事にあって無一物になった和辻家を再興した働き者であったが、「極めて暴君的な態度の人」であった。他にたいする遠慮や気兼ねというものなしに、言いたいことは言い放題、したいように振舞った。ひどい癇癪もちで、一度カンにさわると猛烈に爆発する。見竜の歯は総入れ歯で、沢庵は噛み切れるよう碁盤目に切れ目をいれておく、というのが家のきまりであった。ところがある日、母がそのことを忘れていた。

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