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「誤解」の日本史
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歴史
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第三章 奈良の大仏はなぜ「捨てられた」のか

『「誤解」の日本史』
[著]井沢元彦 [発行]PHP研究所


読了目安時間:13分
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▼日本社会の基礎にある怨霊信仰


「あなたは、今使っているテレビが壊れた場合、


 新しいものに替えることを普通だと思いませんか?」




●大仏建立は国家鎮護のためか?



 奈良の大仏については、もちろんどなたでもご存じだと思います。


 しかし、その奈良の大仏が「なぜ建てられ、そしてなぜ捨てられたか」と訊かれて、ご存じの方ははたしているでしょうか。

「捨てられた」などというと驚かれる方もいると思いますが、あとで述べるように、大仏は奈良の都とともに、いわば捨てられてしまったのは間違いないのです。


 まず、「なぜ建てられたのか」という問題から入りましょう。


 おそらく歴史学者はこう答えるでしょう。

「そもそも大仏造立を命じた(しよう)()天皇は、『大仏造立の(みことのり)』という公式宣言を発しているじゃないか、そしてそこに大仏造立の目的は“国家(ちん)()”であると明確に書かれている」と。


 つまり、国土(あん)(のん)のために大仏を造るのだということを、当の聖武天皇が言っている。だからそれが大仏造立の目的なのだと。


 このあたりにも、歴史学者が信奉する──妄信と言ってもいいでしょう──史料絶対主義の弊害が見え隠れしています。「史料にそう書いてあるじゃないか」と。しかし、聖武天皇が言っているのだから間違いないというのは、あまりに単純な結論ではないでしょうか。


 たとえば新聞やテレビを通して毎日触れているニュースのことを考えてみれば分かることなのですが、政府の公式見解はいつも本当のことを語っているわけではありません。民主主義が発達し、それを監視するメディアが成長した日本でも、必ずしも政府見解が正しいとは限りません。国際関係を(おもんぱか)って、“建前”としての見解を公表するということは、半ば日常的になされているはずです。


 ましてや北朝鮮のように、自由や民主主義が未発達な国では、対外交渉を優位に運んだり、ときには自国民を騙すためにさえ、明らかに噓の見解を発表するのは周知の事実のはずです。


 そうした、当たり前の常識を踏まえてさえいれば、聖武天皇がこう言っているから、というような、いわばストレートな解釈はしません。少なくともそのような解釈に疑いを持つのが当然だと私は思うのですが、どうも専門分野の研究に埋没してしまった学者には、そのあたりの理屈が分からない方が多いのです。

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