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(2021/11/26 追記)

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最高の会釈ができる人 上品な生き方のすすめ
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生き方・教養
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第二章 気品ある生き方――私が出会った魅力ある人々――

『最高の会釈ができる人 上品な生き方のすすめ』
[著]浜尾実 [発行]PHP研究所


読了目安時間:29分
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  時代を拓く夢と情熱が支えた品性 ●曾祖父、浜尾 (あらた)




 東京大学の赤門をくぐり安田講堂に向かって真っすぐ歩くと、向かって右側に、本を膝に置いて足を組んだ姿の銅像があります。朝倉文夫さんという有名な彫刻家の作品だそうですが、実はそのモデルとなっているのが私の母の祖父にあたる人なのです。名前を浜尾新といいます。


 新は明治二十年代に東大の総長をし、三十年代に松方内閣の文部大臣を務めた後、再びこの大学の総長に戻りました。大正時代には、東宮大夫と東宮御学問所の副総裁を兼任し、当時の皇太子さま、後の昭和天皇のご教育にたずさわりました。


 浩宮さまの教育係として東宮侍従を二十年間務めさせていただいた私にとって、新は、曾祖父であると同時に職業上の先輩でもあるわけです。そんなわけで、私は時折自分のルーツを見るような、そんな特別な感慨をもってこの銅像を眺めるのです。

「芸術としては大変優れているものですが、お祖父さまは決してこのように足を組んだりはなさらない人でしたよ」


 母がまだ生きていた頃、この銅像のことをそんな風に言っていたのを覚えています。


 今でこそ足を組んだから、即、品がないなどと言う人はいませんが、やはり時代が違います。曾祖父の時代には「紳士たるもの足を組むなどとんでもない」という考えが普通だったのでしょう。


 さて、私はこの曾祖父が亡くなる三カ月前に生まれていますので、どんな人物だったかは全く記憶にありません。しかし、母に言わせれば、私と大変似たところがあったのだそうです。

「どんなところが似ているの?」


 ある時、そうたずねたことがありましたが、母はひと言「話が遅いところ」と言って笑っておりました。


 曾祖父は話も遅ければ、電話も長かったといいます。

「浜尾総長から電話があったら、丹前を着てから出ないと風邪をひくぞ」


 と、あるフランス文学者の方がエッセイにお書きになったぐらいです。「要するに」と言ってから話が延々続くので、ちっとも“要して”ないのが彼の話ぶりだったようです。


 そんな曾祖父ですが、私は彼の人生やその生きた時代に大変魅力を感じています。曾祖父は兵庫県の豊岡という町から、教育への夢を抱いて明治維新とともに上京してきました。そして、新しい時代とともに世界に目を向けながら学問を重ね、より良い教育の有り方を求めて(けん)(さん)をつんでいったのです。英語を学び、イギリス留学も果たしました。外国語の書物を手に入れることさえ難しい時代にそれは並大抵の苦労ではなかったでしょう。たとえば、こんな話がありました。東宮大夫をしている頃のことです。


 ある時宮中に外国のお客様をお招きしたのだそうです。食事の時間になって、曾祖父は「何もございませんが、次の間にどうぞ」と英語で言ったつもりで "There is nothing to eat. But please eat next room." と言ってしまったのです。直訳すれば、「食べるものは何もないが、次の部屋を食べろ」です。お客様もさぞびっくりなさったことでしょう。

「浜尾さんのひいお祖父さまが、そんなことおっしゃったんだって?」


 お父さまの昭和天皇からお聞きになったのでしょう。当時皇太子殿下だった陛下も、この話には大笑いしておられました。


 相当緊張していたせいでしょうか。ともかく、留学までした人でさえこんな間違いをおかしてしまうのですから、語学を身につけるのは大変なことだったのでしょう。しかし、そんな時代に自分の夢と野心をかけチャレンジした曾祖父の人生は、なんとロマンに満ちた魅力的なものでしょうか。


 現代はあまりにも恵まれ過ぎているからでしょうか。チャンスや勉強の場がゴロゴロと転がっているのに、ついつい新しいことに挑戦するのは面倒に思えたり、今のままでもそこそこに幸せならばいいやと小さく固まってしまう人が多いように思えます。私だってその一人かもしれません。だからこそ、夢だけを財産に未来へ向けて走り続けた曾祖父の生き方に、我が先祖ながら憧れと敬意をもってしまうのです。




  “地震、雷、火事、おやじ”の言葉が生きていた時代 ●父、浜尾四郎




 曾祖父、浜尾新が亡くなった同じ年の大正十四年、その三カ月前の六月二十日に、私は四人兄弟の次男坊として東京に生まれました。


 父は、浜尾四郎といい、東京高検の検事をしていました。昭和十年、脳溢血のため四十歳の若さでこの世を去りましたが、弁護士を経て、元子爵だった関係で晩年は当時の貴族院(参議院)議員でした。


 さて、この父というのが私にとっては大変に怖い存在でした。“地震、雷、火事、おやじ”という言葉がまだ生きていた時代です。父に口ごたえするなどもっての外。父が右と言えば右、カラスは白だと言えば、白なのです。それほど父の存在は絶対でした。存在そのものが権威なのです。食事時には当然父が上座にドーンと座ります。私たち兄弟は父がいるというだけで、緊張し、ただうつむいて黙々と食事をしたものです。何かいたずらでもしたものなら大変です。

「お前がやったのだな」


 父は検事ですから、その言葉も迫力満点。まるで犯人を問い詰めるように有無を言わさぬ態度で叱りつけます。


 父の書斎に立たされたこともよくありました。難しい本が並び、気難しい父が鉛筆一本曲がって置くことのないように整頓された書斎は、子供心に冷え冷えと辛い場所だったと記憶しています。

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