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(2021/11/26 追記)

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表現の達人・説得の達人
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ビジネス
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第一章 ヒューマン・ファクターの時代へ

『表現の達人・説得の達人』
[著]小川明 [発行]PHP研究所


読了目安時間:44分
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第一項 ビジネスは口説きに始まる




 (1) 自分の意見がいえますか



 たとえばあなたがいきなり「現在よく高齢化社会の本格的到来ということがいわれていますが、あなた自身のこの問題に関する意見をきかせて下さい」といわれたらどうするか。


 (もち)(ろん)、こうきかれた場合のシチュエーションがまず問題になる。


 街頭テレビのインタビューの場合なら、マイクを無視することも可能だ。


 会議の席上で突然このテーマが問題になった場合なら、「よくデータを検討して意見をまとめて後日発表する」といってもよい。


 友人たちと酒を飲みながらの話題であるなら、「堅い話はやめようよ」とか、あるいは適当な意見でお茶をにごすこともできる。


 しかし、たまたま上司と雑談中にかなりまじめに問われたとしたらどうであろうか。


 しかもその問いによって、日頃のあなたの力量までがホンネのところで試されていたとしたらどうするか。


 判りませんでは(かなえ)(けい)(ちよう)が問われるし、さりとて一般にいわれている意見をそのまま述べるのでは芸がない。


 やはり自分なりのそのテーマに対する考えをいわざるを得ないということになる。


 かといっていい加減な意見では「その程度か」と思われてしまうのもくやしい。


 私もしばしばこうした経験を持つのだが、私は多くの場合、次のように対処してとにかくその場を切り抜けることにしている。


 たとえば社長のお供で車で一緒に出かけた場合などにこうした例は多いのだが、私はそのような質問を受けた場合は「どういう意味ですか」といって逆にこちらから質問をぶつけることにしている。


 つまり相手がどんなつもりで私の意見をききたがっているのかによって、こちらの対応が違ってくるからである。


 単なる世間話程度なのか、どこかで社長自身がこのテーマで意見をいうための参考としてなのか、あるいはこのテーマをきっかけに何か新しいプロジェクトを起こそうとしているのか、いずれにしろ質問の真意をさぐらないことには答え方の方向性が見出せないというものだ。


 とまあ、こういう具合にして相手の心中を測りながら、とりあえずの急場しのぎをして、泥縄の「後日意見書提出」へと、話の展開をそこへ持ち込むのが手ということになるのだが、本当のことをいえばこんなやり方は()(そく)であり、サラリーマン的高等保身術と紙一重であまり人に薦められることではない。


 やはり日頃から社会的に大きなテーマには関心を持って、それなりの意見を持ち、いつでも即応体制にあるのが王道というものである。


 といきなり例題から入ってしまったが、実は本書を通してのテーマは「表現の達人・説得の達人」といったところで、口先だけのヘラヘラしたテクニックを語るつもりなど毛頭ないわけで、とにもかくにも個としての考え方がまずあって、そこからすべてのことは始まるのだということを第一番にいいたかったからだ。


 それがつまり「自分の意見がいえますか」ということで、正確には「自分の意見がありますか」といった方が正しいことになる。


 自分の意見を持つということは簡単なようで、実はかなり難しいということに気づいている人は存外と少ないものである。


 少なくとも今私はそういう実感を持っている。


 だからこういう本を書く気にもなったわけだが、皮肉なことに、世の中のいわゆる情報化が進展するにつれてこの傾向は増大している。


 もっともらしいことをいう人にはよく会うが、相手のいうことをよく聞いていると、結局はマスコミ情報の受け売りだったり、とても意見とはいえない稚拙な感情論だったりする場合が多いのだ。


 若い子たちにはよくある「ウッソー」とか「ホント!」「ワッカラナーイ」は論外としても、結構この思考停止派の人間がビジネスマン一般のなかにも多いのである。


 その理由のひとつに情報過多があり、人々が()(しやく)能力を失っているという現実。


 次には人間関係の複雑さのなかで、他人とはあたらずさわらずのいわゆる天気とゴルフの話をしているのが無難である、という社会全体のややオタク化傾向。


 そして別に難しいことはいわなくても、いわれたとおりにやってさえいれば飯は食えるではないかという指示待ち人間の増大。


 あるいは、いい出しっぺになって責任をとらされるのはいやだ、という無責任人間の(ばつ)()


 それと、元々われわれ日本人のなかにあるディベート嫌いの性向に加えて、あまり突出して恥をかきたくないという妙なナイーブさ。


 こうした様々の理由から、意見をいうという前提で意見を持つことをはじめから停止しているケースが多いのではないだろうか。



 (2) 相手に興味をもって貰えるか



 ところで人間社会の営みは政治、経済、文化、生活のどの断面をとってみてもその基本はコミュニケーションから成り立っている。


 このことに異論のある人はいないと思う。


 われわれビジネスの社会をとってみても、初めに情報ありきであることは論を待たないところだ。


 そして情報で一番重要なのは意見である。


 意見とは各々固有の考え方のことである。


 情報には勿論意見でないものもたくさんあるが、それらは単なる事実であったりインフォメーションであったりするわけで、無機質であり、使われ方によって生きたり死んだりするものである。


 一人前の仕事をやっている人間なら、情報という言葉の真の意味が、英語でいうインテリジェンスに最終的には帰着することを知っている。


 インテリジェンスとは、事実(データ)やインフォメーションを蓄積・判断・加工して知恵として使えるようにしておくことをいうのであって、単に知識を多く持っていることとは違う。


 ここで意見といっているのは、そうした意味でこのインテリジェンスをいっていることになり、いわば狭義でいう情報のことである。


 というわけで、ビジネス社会にとって、意見というものの重要性はお判りいただけると思う。


 したがって、人間社会の営みの基本であるコミュニケーションは、つまるところ意見の交換の上に成り立つということになる。


 そう考えた場合に、意見がないというのはどういうことか。


 それは人間関係すら成り立たないということであり、ビジネス云々など論外ということになってしまう。


 さて、話が少し難しくなったので、「ビジネスは情報から始まる」「情報とは意見の交換」という認識にたって、もう一度「意見を持つことの重要性」について考えてみよう。


 意見とは各々固有の考え方のことである、といった。


 それなら、意見はどんな意見であってもよいものだろうか。


 私は意見は他人に受け入れられて初めて意見であると考えている。だから、受け入れられないような考え方は、単なる思いつきとか夢想とか、つまり何でもないわけで他人に話さず自分の中にだけしまっておけばよいのである。


 特にビジネスの世界では、この受け入れられる意見かどうかということが大切なことである。


 先の「高齢化問題」ということで、具体的に考えてみよう。


 日本人の高齢化は今やわれわれ一人ひとりの問題であり、現に平成二年度において六十五歳以上の老人は全人口の一二パーセントを占めていて、国民八人に一人は老人である。これが平成二十二年には全人口の二〇パーセントとなり、実に五人に一人は老人ということになる。


 ということは、税金負担者の総数が減っていくということで、しかもその一人当たりの負担額はまちがいなく増大していくということに他ならない。


 さてそこでこのような現実を踏まえて、受け入れられない意見とは一体どういうものなのかを逆に考えてみると、たとえば老人は皆姥捨て山に捨ててしまえばよい、というのがあるであろう。


 あるいは、自分の両親はすでに他界しているから、係累に老人がいる人たちだけがその負担をすればよいではないかという意見もあろう。


 極論から始まって、現実的でないもの、あるいは自分勝手な意見など、今の世の中いわせておけばいくらでも意見というものはあるのである。

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