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検証! 古代史「十大遺跡」の謎 三内丸山、荒神谷、纒向、平城京……
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歴史
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第三章 荒神谷遺跡──青銅器と四隅突出型墳丘墓の謎

『検証! 古代史「十大遺跡」の謎 三内丸山、荒神谷、纒向、平城京……』
[著]関裕二 [発行]PHP研究所


読了目安時間:29分
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出雲(いずも)は本当に存在した?



 古代史の謎を解くための鍵は、「出雲」にある。()()(たい)(こく)もヤマト建国も、出雲を解かなければ、何もわからない。

()(ほん)(しよ)()』は、多くの歴史を闇に葬った。邪馬台国やヤマト建国の歴史を熟知していたのに、(しら)を切って、歴史をお(とぎ)(ばなし)(神話)に仕立て上げてしまった。邪馬台国論争が迷宮入りしてしまった最大の原因は、『日本書紀』が歴史の一部を残しつつも、ありとあらゆるトリックを駆使して、歴史を見えなくしてしまったことだ。


 ならば、『日本書紀』によって隠されてしまった歴史を、どのように解明していけばよいだろう。ヒントを握っているのは、『日本書紀』だ。噓だらけの記述の中から、解明の鍵を見つけだし、重い扉をこじ開けることである。


 そして現代人は、『日本書紀』編者も予想しなかった「考古学の物証」を手に入れようとしている。当時の編者は、まさか千数百年後、土を掘り返し、遺物を探すなどという(すい)(きよう)な茶人が現れるとは、夢にも思っていなかっただろう。


 たとえば、かつては「出雲など神話の世界だけの話で、現実には何もなかった」と、長い間信じられていた。


 これは仕方のないことで、神話の世界では主役級の活躍をしていた出雲神たちだが、現実の出雲(島根県東部)から、めぼしい遺物が出ていなかったのだ。


 考古学の発展は、鉄道や高速道路などのインフラ整備や公共事業、工業団地、農道整備などの土木工事と密接にかかわっている。こういった工事では、長大で広大なまとまった土地に「トレンチ(溝=探り)」を入れていくわけで、遺跡発見の確率は高まる。その点、山陰地方の開発は太平洋側と比べると遅れ、その結果、遺跡の発見も先送りされていたわけだ。当然、「出雲神話など、絵空事」と、史学者に無視されてきた。




 正史『日本書紀』の記事にも問題があった。全三十巻のうち、神話は上下二巻、十一段にわたって記録されている。不可解なのは、各段に「(せい)(ぶん)(本文)」がまず掲げられ、そのあと別伝がつづくことで、「一書(あるふみ)()はく」とあり、複数の話が次から次へと語られ、どれが本当の話か、まったくわからないのだ。その中でも第五段は「(いつ)(しよ)第十一」までつづくから頭を抱えてしまう。


 ちなみに、「正史」とは「正しい歴史」ではなく、朝廷が正式に(へん)(さん)した歴史書の意味だ。朝廷が正当性を主張するために、歴史をねじ曲げていた可能性も、疑っておいたほうがいい。


 本来なら『日本書紀』は、王家誕生を神々の世界にさかのぼって証明する目的で書かれたはずなのに、「どれが本当の神話なのかわからない」といっているのは、不自然だ。「これこそ歴史編纂者の良心」という考えには、従うことはできない。神話は歴史(かい)(ざん)、歴史(いん)(ぺい)の道具に過ぎなかったのではあるまいか。


 それはともかく、正史の神話のあらすじが定まらないのだから、出雲神話そのものの「史的意味」も顧みられることはなかったのだ。


 しかし、三十年ほど前に(こう)(じん)(だに)遺跡(島根県出雲市()(かわ)(かん)()西(さい)(だに)が発見され、史学界は震え上がった。それまで無視してきた出雲から、想像を絶する(せい)(どう)()が出現したからだ。時間はかかったが、次第に出雲の存在を認めざるを得なくなったのだ。


 だれとは言わぬが、「斬新なアイディアを史学界に提供してきた学者(専門の史学者ではない)」でさえ、かつては中央政府が観念上の神々を出雲に流した()(ざん)した)と推理し、出雲に何かしらの勢力が存在したわけではないと主張していたが、つい数年前にようやく考えを改めている。

「出雲はない」と言い張ってきた「権威(エライ人)」たちが、ようやく、物証を認めるようになったわけだ。


 弥生時代後期の()(こく)(たい)(らん)の時代からヤマト建国の段階まで、出雲には(あなど)ることのできない勢力が存在していたことが、はっきりとしてきたのだ。


伝説の地からお宝が姿を現した



 ならば、荒神谷遺跡の、何が、どのように強烈なインパクトを与えたのだろう。


 昭和五十八年(一九八三)四月、島根県(まつ)()市の中心部から西に三十キロほど入った出雲市(旧()(かわ)郡)斐川町の農道建設のために、島根県教育委員会と斐川町教育委員が分布調査を行った。この結果、古墳時代後半期の一片の()()()が採集され、「何かがある」ことはわかっていた。


 遺跡の名もこの時荒神谷遺跡に決まっていた。「荒神さま」が(まつ)られていたことに由来する。古墳時代の集落跡か、(おう)(けつ)()ではないかと見当はつけられていたのだ。そしてこのあと、荒神谷遺跡から、常識破りの遺物が掘り出されるのだった。


 ところで、出雲の考古学が脚光を浴びはじめたきっかけは、それ以前にあった。松江市の(おか)()(やま)一号墳(六世紀後半の(ぜん)(ぽう)(こう)(ほう)(ふん)から大正四年(一九一五)に出土していた(えん)(とう)()()を昭和五十八年(一九八三)一月にX線調査した結果、「(ぬか)()(べの)(おみ)」の銘文が発見されたのだ。

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