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(2021/11/26 追記)

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世界のエリートが学んでいる教養としての哲学
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ツール3 古典 読んでおくべき「名著」

『世界のエリートが学んでいる教養としての哲学』
[著]小川仁志 [発行]PHP研究所


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 ツール3では、読んでおくべき名著約20冊を選んで紹介します。最低限どういう本なのか簡潔にいえるようにしておいてください。


『ソクラテスの弁明』

裁判における弁明シーンの描写を通じて、哲学の父ソクラテスがいかにして誕生したかが明かされている。弟子プラトンによる詩的で壮大なスペクタクル。BC4世紀頃年刊。


『ソクラテスの弁明』は、ソクラテスの弟子プラトンが、師の最後の雄姿を描いた作品です。ソクラテスが裁判にかけられた際、アテネ市民に対して弁明を行う大スペクタクルを、ソクラテスのモノローグの形で記しています。


 ソクラテスが裁判にかけられたのは、青年を腐敗させたうえ、国家の信じる神ではなく、他の神を信じたからです。この裁判には、3人の告発者に加え、市民から抽選で選ばれた約500人の陪審員が集まりました。


 この作品は、裁判の進展に即して三部に分かれています。第一部は、告発者たちに対するソクラテスの反論です。まずソクラテスは、なぜ自分が青年たちとの対話を始めたのか説明します。それは、デルフォイの神殿で、ソクラテス以上の賢者はいないという神託がおりたからだというのです。


 続いてソクラテスは、理想の国家や正義と死の関係について語ります。つまり、国家の不正を防止し、正義のために戦う者は、決して死を恐れてはならないというのです。そして彼自身、今回の不正な裁判に際して、死を恐れていないと訴えます。


 第二部でソクラテスは、自分の行為は青年を害するものではなく、むしろ優れた思慮を持つ人物にするものだから、善行であると主張します。しかし、裁判官の心証はかえって悪くなり、結局大差で死刑判決が下されてしまうのです。


 第三部でソクラテスは、自分と有罪を下した人たちのうちのいずれが良き運命に出逢うかは、神以外知ることができないと言い残して去っていきます。


 裁判の後、プラトンをはじめ多くの弟子たちに見守られ、ソクラテスはいさぎよく毒ニンジンの入った杯を仰ぎます。そして二千数百年経った今も語り継がれる伝説の人物となるのです。


『ニコマコス倫理学』

()く生きるための倫理とは、共同体において育まれる徳であることを説き、その本質は物事の適切な状態を意味する中庸であることを明らかにしたアリストテレスの代表作。BC4世紀頃刊。


『ニコマコス倫理学』は、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの代表作です。内容的には、その名のとおり倫理について述べた教科書であるといって差し支えないでしょう。倫理とは人の守るべき道という意味ですから、この本では善く生きるための方法が追究されているのです。


 アリストテレスはまず、「最高善」とは何かと問いかけます。最高善というのは、人間の活動が目指す目的のようなものです。そしてそれは「エウダイモニア(幸福)」だといいます。彼にいわせると、幸福になれるかどうかは、その人の行動次第なのです。だから性格としての徳を重視するのです。徳は知性と異なり、学習によっては習得できません。そうではなくて、共同体におけるしつけによって身につくのだといいます。


 では、どのような徳がいいとされるのか。これについてアリストテレスは、「中庸」の意義を説きます。中庸とは、快不快が適切でほどほどな状態を指す言葉です。たとえば、怒りっぽいのと無感情の間の中庸は、穏やかです。こうした意味での徳が身につけば、行動する際に自制心が働くようになります。彼は人間が行動を起こす要因として、欲望、気概、理性的願望の3つを挙げるのですが、自制心のある人はこの中の理性的願望によって行動を起こすというわけです。


 理性とは頭で考えることですから、そこでは知性が問われてきます。アリストテレスはこの知性についても2種類に分けて考察しています。理論的知性に優れているという意味での「理智」と、実践的知性に優れているという意味での「思慮分別」の2つです。


 このうち、実践的知性としての思慮分別は、何が善であるのかを正しく判断できる知性を意味します。それは「正義」の概念にもつながっています。アリストテレスのいう正義は公平のことなのですが、公平さが実現された状態が正しい状態であり、善だというのです。


『君主論』

理想の政治を実現するために、君主のあるべき姿をあえて冷徹でリアリズムに満ちた視点から描ききった、マキャヴェリによるリーダー論の決定版。1532年刊。



 本書は2つのパートに分かれます。前半は君主のあり方を論じた「君主政体論」、後半が君主の心得を説いた「君主論」です。君主政体論では、世襲君主制と新興君主制の2つを分けて論じています。世襲君主制には、すでに制度や伝統があることから、それを(とう)(しゆう)するだけで国家を維持できるといいます。


 ところが、新興君主制はすべてをゼロから作り上げる必要があるため、様々な困難を抱えることになるというのです。たとえば、風習の異なる国を支配するときはどうすればいいか。君主に求められるのは、「強制すること」だといいます。


 そして、強制のための手段として、マキャヴェリは実力組織、つまり自前の軍隊を持つことを勧めます。さらに、「良き軍隊のないところに良き法はありえない」と主張するように、軍隊は防衛だけにとどまらず、国内統治の手段としても位置付けられています。これもまた強権的なリーダーが好みそうな思想です。


 後半では、そんな君主の資質について持論を展開します。そこでマキャヴェリは、君主は冷酷であれともいいます。慈悲深さがかえって無秩序を生み、(さつ)(りく)や略奪を許すことになるからです。それなら、最小限の見せしめによって、秩序を維持したほうがましだというのです。「愛されるよりも恐れられることのほうが望ましい」と断言する彼の哲学は、終始徹底しています。


 だから必要なときには善を捨て、悪を行うことさえ認めるのです。マキャヴェリは、狐と()()を模範にしています。狐は(こう)(かつ)(わな)にはまることはなく、獅子は強くて他の動物に負けることがないからです。この両方の能力が君主には求められると考えたのです。


 マキャヴェリは、常に冷静に現実を見ていたのです。それは、時に理想主義がより大きな悲劇を招くことを、経験的に悟っていたからにほかなりません。むしろ理想の政治を実現するためにあえてリアリズムを訴えた点に、『君主論』の最大の意義があるといえます。


『パンセ』

人間は「考える(あし)」であるという著名な表現のとおり、か弱さにもめげずに理性をもって果敢に考える人間の本質を描いたパスカルの道徳的エッセー。1670年刊。



 本書は、人間の思考と行動を鋭く分析したエッセーです。具体的な構成としては、大きく3つに分けられます。1つ目は、人間の偉大さと悲惨さの矛盾についてです。2つ目は、その問題を解決しようとする哲学者の無力さについて。3つ目は、キリストの愛による悲惨さからの救いについてです。


 最初の人間の偉大さと悲惨さの矛盾に関して、最も有名なのは、人間は「考える葦」であるという表現なのではないでしょうか。葦とはすぐ折れる、か弱い植物のことです。パスカルは次のようにいいます。「思考は人間の偉大さを示すものである。人間は自然の中で一番弱い一本の葦にすぎない」と。

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