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30ポイントで読み解く 吉田松陰『留魂録』
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歴史
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序論 吉田松陰と『留魂録』

『30ポイントで読み解く 吉田松陰『留魂録』』
[著]安藤優一郎 [発行]PHP研究所


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わずか三十年の生涯──遺された魂が時代を動かした



 安政六年(一八五九)十月二十七日。長州藩士(よし)()(とら)()(ろう)こと吉田(しよう)(いん)は江戸城近くの(ひよう)(じよう)(しよ)に呼び出され、幕府から死罪を申し渡された。


 時を移さず、日本橋近くの(でん)()(ろう)屋敷に連行された松陰は、首切り(あさ)右衛()(もん)こと山田浅右衛門(かい)(しやく)のもと刑場の(つゆ)と消える。わずか三十年の生涯であった。


 この日、松陰は波乱の生涯を終えた。だが、その魂は『(りゆう)(こん)(ろく)』という形で生き続ける。「()はたとひ 武蔵(むさし)()()に ()ちぬとも (とど)()かまし 大和(やまと)(だましい)」という松陰の歌はあまりにも有名だが、実は『留魂録』の冒頭に(かか)げられた歌だった。百五十年以上経過した現在でも、松陰が放つ言葉の数々は人々の心に深い感動を与えるが、その象徴たる著作なのである。

『留魂録』を(のこ)した松陰とは、いったいどんな人物だったのか。


破天荒な行動と投獄生活──「松下村塾」への源流となる



 文政十三年(一八三〇)八月四日、松陰は(はぎ)城下郊外の松本村で生を()けた。父は長州藩士(すぎ)()()()(すけ)。母は(たき)。兄と弟が一人ずつで、妹が四人の計九人家族。杉家は家族が多い上に、藩内での()(かく)は低かった。そのため、武士でありながらも田畑の耕作により生計を支えざるをえず、松陰一家は城下を離れて松本村に土着していた。


 松陰は(ちゃく)(なん)ではなかったため、叔父吉田(だい)(すけ)の養子となる。吉田家は(やま)鹿()(りゆう)兵学師範の家柄であり、以後兵学者としての道を歩んでいく。


 天保十一年(一八四〇)に、松陰は藩主(もう)()(よし)(ちか)の前で兵書『()(きよう)(ぜん)(しよ)』を堂々と講義し、一躍注目を浴びる。まだ十一歳になったばかりであった。


 その後、軍学(けい)()のため江戸へ(しゆつ)()するが、江戸滞在中に人生最大の師と出会う。西洋兵学者として知られた松代藩士()()()(しよう)(ざん)である。


 異国船の度重なる来航という対外的危機を受けて、「東洋の道徳、西洋の芸術」を唱える象山の強い影響のもと松陰は()(てん)(こう)な行動に出る。西洋の文明を知ろうと、(ひそ)かにアメリカに渡ろうとしたのだ。


 まさしく密航である。(こつ)(きん)を犯すことに他ならない。


 嘉永七年(一八五四)三月三日、日米和親条約(てい)(けつ)に成功したペリーは、同条約により開港が決まった(しも)()港に艦隊を向かわせた。ペリーの乗船する旗艦ポーハタン号が入港したのは三月二十一日。


 同二十七日、松陰は足軽(かね)()(しげ)()(すけ)とともに漁船でポーハタン号に近づき、アメリカに連れて行って欲しいと訴えるが、その拒絶に()ってしまう。


 密航に失敗した松陰は幕府に自首。(ぎん)()の結果、国元に強制送還されることとなった。松陰二十五歳の時である。




 十月二十四日、萩に戻った松陰は幕府に遠慮する藩当局によって城下の()(やま)(ごく)に投獄される。獄中生活は一年以上にも及んだが、その間、松陰は決して()()に過ごしたわけではなかった。自分と同じ境遇の(しゆう)(じん)に対して『(もう)()』や『(ろん)()』を講義し、その(こう)(せい)をはかっている。


 松陰が出獄したのは翌安政二年(一八五五)十二月十五日のことだが、実家の杉家に戻って二日後の十七日より、今度は父や兄に対して『孟子』の講義を開始した。『孟子』が終わると、次は兵学書や歴史書の講義へと進んだが、時事問題について熱く論議することもあったという。


 その頃になると、松陰の講義の評判を聞き付けた藩士たちがその教えを受けるようになる。(しよう)()(そん)(じゆく)への源流であった。


再び幽囚の身に──老中間部の暗殺計画を宣言



 松下村塾は松陰とセットで語られることが多いが、当初は杉家の一室四(じよう)(はん)が教室だった。その後塾生が増えたため、杉家敷地内の小屋を改造して八畳の教室を作ったが、これでも足りず、安政五年(一八五八)三月に十畳半分の(ひかえ)室を増築した。(しゆ)(さい)する松下村塾が幾多の(ゆう)()の人材を(はい)(しゆつ)したことは、これから述べていくとおりである。


 松下村塾の活動が軌道に乗ったのとは裏腹に、アメリカとの通商条約の締結問題を契機として政治情勢は混迷の度を増す。時勢への関心が元々強かった松陰は、事が外交問題であったがゆえに、とても黙ってはいられなかった。先述のように、ペリー再来航時には国禁を犯してアメリカに密航しようとはかったほどである。


 よって、自分の思いを(つらぬ)くために再び破天荒な行動に出た。しかし、これが松陰の人生を太く短いものにする。


 幕府は世界情勢を踏まえてアメリカとの通商条約締結に傾いていたが、国論を統一させるため天皇(朝廷)の承認を得た形での条約締結を目指した。外交問題には(きよ)(こく)一致で(のぞ)むことが不可欠であり、天皇の政治的権威を利用しようとしたわけである。


 ところが、幕府にとり大きな計算違いだったのが、通商条約に対する(こう)(めい)天皇の強い拒絶姿勢だった。天皇は極度の(じよう)()主義者であり、元々外国人に対して強い嫌悪感を持っていた。外国との貿易開始によって国内の(さん)(ぶつ)が外国に流れることにも、拒否反応を示した。こうして、通商条約締結の承認を求めてきた幕府の申請を却下してしまう。


 通商条約締結問題は(あん)(しよう)に乗り上げるが、安政五年六月十九日、大老()()(なお)(すけ)は天皇の許可つまり(ちよつ)(きよ)を得ることなく通商条約の締結に踏み切る。天皇や朝廷はもとより、井伊を(こころよ)く思わない大名や藩士たち、そして(そん)(のう)攘夷の()()はその()を鳴らすが、逆に弾圧を受ける。世にいう安政の(たい)(ごく)だ。


 勅許を得ず通商条約を締結した幕府に、松陰も激しく(いきどお)る。ついには、(とう)(ばく)まで宣言する。実力行使に出るべく、老中間部(まなべ)〓(あき)(かつ)の暗殺を松下村塾の塾生にはかるとともに、それに必要な武器弾薬の(たい)()を藩当局に願い出た。間部は井伊の指令を受け、京都で弾圧の指揮を取っていたからである。


 (きょう)(がく)した藩当局は、松陰を再び野山獄に入れてしまう。安政五年も終わろうとする十二月二十六日のことであった。松陰の過激な行動を放置すれば、長州藩は幕府から危険視されるに違いない。


 ()たせるかな、翌六年(一八五九)四月二十日、幕府は松陰の()(がら)を江戸に送るよう長州藩に命じてきた。いうまでもなく、安政の大獄の(いつ)(かん)である。


 五月二十五日、幕命を受けて松陰を護送した()()が萩を(しゆつ)(たつ)する。一ケ月後の六月二十五日、(なわ)()の身の松陰は江戸の長州藩(かみ)屋敷に到着した。


 幕府の評定所に最初に呼び出されたのは七月九日のことだが、松陰には二つ(けん)()が掛けられていた。京都で()(ばく)された()(ばま)藩士(うめ)()(うん)(ぴん)と親密な関係だったのではないか。()(しょ)内で発見された(おと)(ぶみ)の主ではないかの二点である。


 一方、松陰は間部暗殺計画の件で(しよう)(かん)されたと思い込んでいた。実は幕府はその計画の存在などまったく知らなかったのである。そして梅田雲浜と落し文の件は吟味の結果、嫌疑が晴れてしまう。


 ところが、(ひよう)()()けしたのか松陰は死罪に相当する罪を二つ犯したと自ら申し立てる。(そん)(じよう)派公家(おお)(はら)(しげ)(とみ)の長州()(こう)計画と老中間部の(しゆう)(げき)計画だ。


 後者の間部の件については、さすがに暗殺計画とは申し立てなかったものの、()(みみ)に水だった担当の()(ぎよう)たちは(ぎよう)(てん)。幕府最高首脳部の襲撃計画だから当然だろう。長州藩邸に戻ることは許されず、そのまま伝馬町の牢屋敷に送られて吟味続行となった。


 五年前、アメリカ密航をはかった際に投獄されたのも同じ伝馬町牢屋敷。だが、今回は二度と萩に帰ることはなかった。


二日でしたためた遺書──死を目前にして魂を込める



 (ふで)まめだった松陰は、獄中から(たか)(すぎ)(しん)(さく)たち弟子に向けて何通も手紙を出している。一連の手紙を読むと、十月十六日の吟味までは、死罪に(しょ)せられるとはまったく考えていなかったようだ。


 間部襲撃計画を自白したことを、さほど深刻には考えていなかったのである。なぜなら、初回の吟味こそ厳しかったものの、その後の吟味は打って変わって(おだ)やかなものだったからだ。国元に送還され、以前のとおり塾を主宰できるのではないかとまで楽観視していたほどである。


 だが、吟味側の奉行たちは松陰の自白を重く受けとめていた。間部襲撃計画の報告を受けた井伊は松陰を非常に危険視し、(きよつ)(けい)に処す方針を固める。


 運命の十月十六日がやって来た。評定所に呼び出された松陰は、奉行に署名を強要された(くち)(がき)の内容から、幕府が間部襲撃計画を重く受けとめていることを(さと)った。極刑は(まぬが)れられない。


 この日から、松陰は(しん)(ぺん)の整理に取り掛かりはじめる。もう、時間はさほど残されていなかった。二十日には、父百合之助・叔父(たま)()(ぶん)()(しん)・兄梅太郎(あて)に書状をしたためている。後に「(えい)(けつ)の書」と称されることになる家族宛の(ゆい)(ごん)だ。


 同日には、江戸にいた門下生の(いい)()(しよう)(はく)()(でら)(しん)()(じよう)に処刑された後の遺体処理を依頼する書状。同じ頃には、「(しよ)(ゆう)()ぐる書」もしたためた。


 生きて再び、萩に戻ることはできない。文字で書き残すことでしか、家族や弟子たちに自分の思いを伝える道は残されていなかった。


 そして二十五日、松陰は門下生たちにあてた()(しよ)の執筆に取り掛かる。『留魂録』である。松陰は数多くの著作で知られるが、まさしく最後の著作。それも二十六日夕方には書き上げるという速さであった。


 翌日に迫った死期を知っていたかのように、わずか二日で、魂を込めた思いの(たけ)を言葉にした。


 死罪の判決が下れば、(そつ)(こく)執行されるのが当時の(なら)い。いつ、評定所から呼び出されて死罪を申し渡されるかわからない。だから、読む者に切迫感が伝わってくるのだ。『留魂録』とは、松陰の()()迫る気持ちが(ぎよう)(しゆく)されている題名なのだ。


 十六ケ条から成る『留魂録』を、松陰は念のため二冊作成した。一冊は飯田正伯たちを通して萩に届けられ、門下生の間で回し読みされたが、しばらくして(しよう)(そく)不明となってしまう。


 もう一冊は牢()(ぬし)(ぬま)(ざき)(きち)()(ろう)が保管し、明治に入ってから、同じく門下生の()(むら)(やすし)のもとに届けられた。現存しているのは、こちらの『留魂録』である。


死出の晴れやかな気持ち──書き残すべきことは書き終えた



 十月二十七日、ついに松陰は評定所から呼び出された。その折、次の歌を()んでいる。



 (この)(ほど)に (おもい)(さだ)めし (いで)(たち)を けふきくこそ (うれ)しかりける



 生を終える日が来たことを嬉しく思うと(うた)ったのだ。書き残すべきことは書き終えたという満足感から生まれた歌だったのかもしれない。


 評定所に引き立てられて死罪を申し渡された折には、次の(かん)()を詠んでいる。



 我 今国の(ため)に死す


 死して (くん)(しん)(そむ)かず


 (ゆう)(ゆう) 天地のこと


 (かん)(しよう) (めい)(しん)にあり



 自分は国のために死ぬ。主君や両親に()じることは何もない。すべてを受け入れ、神に(ゆだ)ねる。心に何の一点の(くも)りもない晴れやかな気持ちが伝わってくるではないか。


 伝馬町牢屋敷に戻った松陰は屋敷内の刑場に引き立てられていったが、その前に(ごく)(しや)内の者たちに向けて()(せい)の歌と詩を(ぎん)じた。『留魂録』の冒頭に掲げられた「身はたとひ」にはじまる歌と、死罪を申し渡された時に詠んだ漢詩である。


 その後、(しよう)(よう)として(せい)()し、首を打たれた。(かぞ)えで三十歳の若さであった。




 しかし、その魂は『留魂録』という形で()ならずして門下生たちに届く。松陰の()()()ぐ日々が、この日からはじまる。



 本書は三章から構成される。第一章では、『留魂録』を通じて門下生に伝えたかったことを10ポイントに分けて解説する。松陰は大和魂が(でん)(しよう)されることを強く望んだが、松陰の考える大和魂とはいったい何だったのか。十六ケ条のうち関連する条文を取り上げ、解説を加える。


 第二章では、『留魂録』を(たく)された門下生が松陰の遺志をどのように受け継いだかを解説する。門下生を中心に十五名の生きざまを取り上げる。


 第三章では、『留魂録』に象徴される松陰の思想は門下生以外にどう伝わっていったのか、あるいはその後の松下村塾など、知られざる()(じつ)(たん)を5ポイントにわたり解説する。


 この30ポイントを通じて、『留魂録』の歴史的役割を()()(どく)いただきたい。

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