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なまけ者のさとり方
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生き方・教養
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第五章──なぜ、私達はここにいるのだろうか?

『なまけ者のさとり方』
[著]タデウス・ゴラス [訳]山川紘矢 [訳] 山川亜希子 [発行]PHP研究所


読了目安時間:11分
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 人間の行動に私達はいろいろな名前をつけて区別していますが、その大部分は拡張と収縮の一般ルールで説明ができます。すでに何回もお話ししたように、このルールは私達の外部で作られたものではありません。自分達はすべて平等なのだと理解することさえできれば、お互い同士の関係の真理が、自ずと明らかになってくるでしょう。この真理を「公平と正義の大原則」と呼ぶことができます。でも、別に他の呼び方をしてもかまいません。そもそもこの生命にみちた宇宙が存在するとすれば、こうあるはずだという道理のことなのです。言葉でこれをあなた方に説明するのは、どうもあまり意味のあることとは思えません。瞑想をしている間に、この聖なる大原則にはっと気がついてすべてを理解してしまうのが、一番よいからです。ここでは、どのように私達はこのルールを体験できるか、ほんの少し述べてみたいと思います。

 平等という概念は、ともすれば一番低いラインにみんなを合わせたり、無意味な平均点や中間点を指す場合が多いと思います。私がここでいう平等とは、私達全員が最も高い意識のレベルに至り、純粋なスペースとなって執着もこだわりも捨ててあらゆることを自由に体験し、自分の欲する喜びや幸福感に浸りながら、他のすべての人々と一つになる、ということを意味しています。最高のバイブレーションより少しでも低いレベルでは、量や価値の幻想が生まれ、私達それぞれが持つ愛、知、力に差があるように見え始めます。私達は自分が選んでいるバイブレーションのレベルで、お互い、違うように見えるのですが、本質的には、私達はみな、平等なのです。

 でも、どうして私達はこんなかたまりの状態に落ち込んでしまったのでしょう。なぜ、物質的な現実が唯一の現実だ、と思い込むようになってしまったのでしょうか。どうして今まで私が説明してきたスペースの話が、ナンセンスで証明不可能な夢物語のように、聞こえてしまうのでしょうか。
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