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世界のインテリジェンス 21世紀の情報戦争を読む
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政治・社会
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まえがき

『世界のインテリジェンス 21世紀の情報戦争を読む』
[編著]小谷賢 [発行]PHP研究所


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中西輝政 


 本書は、世界の主要国のインテリジェンス機関とその活動を、主に比較の視点が浮かび上がることを目的として書かれたものです。


 近年、わが国においても、「インテリジェンス」への関心が急速に高まっており、さまざまな角度からの議論も活発になってきました。それは単に、インテリジェンスが関わる各種の事件に触発された「一過性の関心」というよりも、二十一世紀の世界において、日本という国が生きてゆくためには何が必要とされているか、という大局的な視点から、ようやく「本来の関心」が広がりつつあるように見えます。


 それゆえ本書において、世界各国のインテリジェンスをそれぞれの専門家が個別に扱っていますが、その一貫した視点は、「では、日本の選択はいかにあるべきか」ということを考えるということに一つの狙いがあります。本書で取り上げている国々は、目次を見ていただければ明らかなように、アメリカ、イギリス、日本、ドイツ、フランス、そしてロシアおよびイスラエルの七カ国のインテリジェンス機関とその活動になっています。


 このうち、アメリカとロシアは冷戦時代の二大超大国としての歴史を背負っており、またイスラエルは周知のように、建国以来きわめて厳しい中東の国際情勢の中で必死に生き抜いてきた国です。「国家生存の営み」の最も重要な柱の一つ、といわれるインテリジェンスは、当然ながらその国の生きてきた歴史的経緯や置かれている国際環境によって、そのあり方が決定づけられるところが大きいのです。


 そこから考えると、確かにアメリカ、ロシア、イスラエルというのは、日本とはかなり事情が異なるので、「日本」という観点からは、見方によれば「あまり参考にならない」ということになるのかもしれません。しかし、これは本書のもう一つの大きな目的である、「インテリジェンス」という営みから世界を大きく見、それによって現在の国際社会に対する我々の理解と視点を深めるために、この三つの国々のインテリジェンスについて深く知ることは不可欠な作業といえるでしょう。


 日本自身のインテリジェンスについていま具体的に何が求められているのか、ということについては本書の第3章で詳しく論じられていますが、本書の全体を通じて、「インテリジェンス」という視点で現代世界を考えてゆくと、自ずとアメリカやロシア、イスラエルなどの例から、日本のインテリジェンスのあり方を考えるに際しても、反面教師的な意味も含めさまざまな角度から、学ぶべきものが実は数多く見出せるはずです。


 これに対し、本書ではヨーロッパの主要国であるイギリス、フランス、ドイツにも大きな焦点を当て、それぞれに章を設け、これらの国々のインテリジェンスの本質的な特徴を考えようとしています。これは、普通の「インテリジェンスもの」とされる本とは、かなり違っているところかもしれません。そこには、やはり「日本」という観点から見て、より直接的に参考にすべき点があるのではないか、という問題関心があるからです。確かに歴史的経験や置かれた国際環境という点では、これらの西欧諸国も日本とは大きく異なる点は多いのですが、いずれも日本と似たサイズの大きさの国で、議院内閣制あるいは議会制の民主主義体制をとる経済先進国であり、また明治以来、日本がさまざまな国家制度のモデルを取り入れてきた国々でもあります。


 とりわけドイツは、日本と同様、第二次世界大戦の敗戦国として、戦後は国際協調を国是とし、軍事大国として世界のパワー・ポリティクスの主要なプレイヤーたらんとすることを放棄してきた国、という点で重要な共通性を持っています。日本同様、過去の歴史から、反戦的な世論が強く、政府の情報活動にも警戒心が強いドイツで、いかにインテリジェンスが重視されているか、我々にとって大きな関心たらざるを得ません。


 また、イギリスは情報活動には長い歴史と高いノウハウを備え、今日も世界の「インテリジェンス大国」であり続けていますが、情報や外交への感性、世界を見る視点や姿勢において、不思議に日本人と「波長の合う」ところが多い国です。ドイツやイギリスの例を詳しく知ることは、「日本のインテリジェンスをどうするか」という、ようやく始まってきた日本における現在の真剣な関心にとって、特に重要ではないかと思います。


 フランスのインテリジェンスは、確かに独自の歴史と文化に依拠し、よりいっそう独自性の強いものですが、民主社会とインテリジェンスの関係を考えるうえで、我々にとって多くの興味深い特徴を有しています。また、昔から多くの日本人がフランスをさまざまな仕方で理解しようとしてきましたが、「インテリジェンス」という観点からフランスという国を見ると、いままでよく見えなかった「フランスという国」の本質が、かなりはっきりと浮かび上がることになるのではないかと思います。


 この点は、フランス以外にも、本書で取り上げられている多くの国についても当てはまるところがあります。その意味で、本書のこの構成は、「インテリジェンス」という特殊な、しかし「国家にとっての本質的な営み」に眼を向けることで、それぞれの国の国柄をより深く理解するという、比較文化、比較政治論的な収穫も得られるのではないか、と思います。


 ここで一つ断っておかなければならないのは、本書では残念ながら中国および朝鮮半島という、日本にとって決して無関心ではいられない重要な周辺国について取り上げられなかったことです。その大きな理由の一つは、中国、韓国、北朝鮮については、現在それらの国々のインテリジェンスのあり方を考えるうえで、確かな事実や信頼できる研究がきわめて少なく、また意図的に誤ったイメージをつくり出すという狙いもあるかと思われる報道も含め、そこには依然として「巨大な秘密」が横たわっているように思えるからです。また、これらの国の例は、日本のインテリジェンスを考えるうえで参考になる点はあまり多くないようにも思われます。


 さらに、これらの周辺国については残念ながら、それら各国の大きな歴史的背景を踏まえ、現在のインテリジェンスの現状について、実証的・学問的に論じられる専門家が、日本にはまだ十分に育っていないのではないか、と思われるからです。いうまでもなく、これらの国々は日本にとってきわめて重要な存在です。それゆえに、この点でも今後わが国において実証的・学問的なインテリジェンス研究の広がりと深まりが切に望まれているということを改めて強調しておきたいと思います。


 確かに近年の日本ではインテリジェンスへの関心の高まりには目を見張るものがあります。しかしその多くはまだ、実務家の主観的な経験談をもとにしたものや、興味本位のエピソード的な域を出ないものにとどまっているきらいがあります。


 私自身、一九七〇年代に国際政治の研究をするためにイギリスに留学したときから、欧米各国で急速に広がっていた学問分野としてのインテリジェンス研究を日本にも取り入れ、その成果を広く社会に還元してゆくことの必要性を長く感じていました。詳しいことは別の箇所に譲りますが(たとえば、中西輝政・小谷賢編著『インテリジェンスの二十世紀』千倉書房、二〇〇七年、序章)、今日、欧米諸国の大学では、インテリジェンス研究の専門学部や学科、コースが多数設けられ、正規の学術研究の分野として認められるとともに、学問的・実証的な研究活動に基づく一般市民の教育や出版・啓蒙活動が盛んにおこなわれるようになっています。それによって国民のインテリジェンス問題に対する知識と理解(私はそれを、「インテリジェンス・リテラシー」と呼んでいます)も、一段と広がりと深まりを増しています。


 インテリジェンスという分野は、ともすれば不確かな事実に基づいて興味本位の議論がおこなわれやすい分野ですが、今日、欧米先進諸国では、このインテリジェンスという分野についても、かつては考えられなかったような政府による大胆な情報公開がおこなわれるようになっています。とりわけ冷戦終焉後の十数年間の変化には、まことに目覚ましいものがあります。それゆえ、今日ではこの分野でも、しっかりとした学問的研究に基礎をおいた議論や著作が可能となっています。


 さらに目下、日本も国家としての本格的なインテリジェンス機関や活動が制度化される必要があるのでは、という声が広く政策論議として起こってきています。冒頭に述べた「日本の選択」というのも、この点を指しているわけです。


 そこで、やや先取りした言い方に聞こえるかもしれませんが、そうしたとき民主主義の政治体制をアイデンティティとする日本としては、政府の情報活動を国会や世論がいかに監視しコントロールするか、ということがきわめて重要なテーマになってきます。そこで、この「インテリジェンスの民主的コントロール」をより確かなものにするためには、その主役である政治家や一般国民のインテリジェンスについての知識と理解、すなわち「インテリジェンス・リテラシー」が深まっていかなければなりません。本書も、そのための貢献の一翼を担っているわけです。


 そして、より正確なかたちで、そうした国民の「インテリジェンス・リテラシー」を高めるためには、確かな学問的・実証的方法による「インテリジェンス研究」が確立されている必要があります。


 言い換えると、二十一世紀の世界を生き抜くために、わが国にも本格的なインテリジェンス機関が必要、とするなら、同時に次の三点、すなわち「インテリジェンスの民主的コントロール」、国民の「インテリジェンス・リテラシー」、そしてそれを支える学問的な「インテリジェンス研究」の確立、この三つが、それぞれ三角形の一辺をなすかたちで充実していかなければならないと思います。


 ところが、欧米の動きには何でも敏感に取り入れる日本なのに、さまざまな歴史的・政治的理由から戦後日本にあっては、これまでインテリジェンスの学問的研究は、ほとんど省みられませんでした。それがまた、根拠の不確かな“インテリジェンスもの”を生み出し続けることになり、さらにそれが、真面目な学問への関心を削いできたところがあります。これが、日本におけるインテリジェンスの専門研究者の「極端な層の薄さ」につながっているのです。


 こうした事情から、本書の執筆者の多くも若い世代の研究者が中心となっているわけです。実際、彼らの多くはインテリジェンスの学問的研究者の「第一世代」といっても過言ではないでしょう。近年における欧米での研究の大発展と、ごく最近始まった日本での真摯な関心の広がりが、三十年前に私が夢見たインテリジェンス研究の日本における広がりを、現実に担う新しい世代の登場につながっているのだと思います。

「9・11」とイラク戦争が世界を揺さぶって始まった二十一世紀は、民主主義の社会においてインテリジェンスをいかに位置づけるかということが、いわば人類的な課題になっています。また、ITの普及にともない国際金融の激変やサイバー戦争の現実が眼前に繰り広げられています。同時に、地球環境の危機が叫ばれ資源エネルギー問題が各国にとって切実な関心となっています。さらに北朝鮮の核実験に見られるように、核や大量破壊兵器が世界に広がっています。国連のPKO活動においても、いまやインテリジェンスが「決め手」として重視されるようになってきました。


 冷戦が終わったとき、各国とも今後はインテリジェンス予算は大幅に削るべきだ、という議論をしていたのに、実際は欧米諸国を中心に、「9・11」の前から、すでにインテリジェンス予算は逆に大幅に増え始めていたのです。これは、一体、何を意味しているのでしょう。


 少しでも平和で安定した世界をつくるためには、日本ができることは沢山あります。そのとき、まず必要なことは、世界の現状をしっかりとした眼をもって見据えることではないでしょうか。本書は、まさに、その「しっかりとした眼」を養ううえで不可欠のインテリジェンスという問題を通して、世界の現実を知り、その中で日本という国の生きる道を考えようとするものです。本書が、日本の「インテリジェンス・リテラシー」を高めることに少しでも貢献できれば、執筆者一同にとって、こんなに嬉しいことはありません。



 平成十九年十一月

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