読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン

犬耳書店はRenta!へ統合いたします

(2021/11/26 追記)

犬耳書店の作品をRenta!に順次移行します。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

0
-1
kiji
0
1
1222248
0
わが座右の『徒然草』
2
0
0
0
0
0
0
生き方・教養
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
プロローグ 世間と人生の間(はざま)を生きる

『わが座右の『徒然草』』
[著]江坂彰 [発行]PHP研究所


読了目安時間:13分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ


(けん)(こう)(ほう)()は心のカウンセラー



 わたしは雑学派で極めてアキっぽい人間だから、一冊の本にこだわるということはあまりないが、どういうわけか、昔から『(つれ)(づれ)(ぐさ)』だけはよく読んだ。『徒然草』は(いん)(じや)文学というよりは、あまりにも人間臭いというか、ふしぎな魅力を持った書物だからであろう。


 若いときに読めば、職業人としての心構えがよく分かる。その道の達人の秘訣だって学べる。中高年になれば、ままならぬのが人生だと実感するが、その淋しさ、きびしきのなかで、いじけることもなく、おもしろがって生きるためには何が大事か――お金か、名誉か、健康か、それとも仕事の()()()か、子どもの成長か――そのヒントを山ほど得られる。老人になれば、人生の起承転結の「結」のところのむつかしさを、改めて知る。


 (ろう)(しゆう)をさらすぶざまな人がいる。老いと(やまい)に苦しみながら、それでも勇気を持って元気に生きる人もいる。その「結」の部分のありようも色々教えてくれる。


 退屈なところは軽く飛ばして読んでもいい。何度も丹念に読むのもいいだろう。


 ことに人生の曲り角のとき、読み直してみる。そのつど学ぶところがあり、新しい発見がある。吉田兼好という人は対話の名人であり、心のカウンセラーである。


(はかな)い世の中だからこそ、おもしろい



 兼好は、この世は(しよ)(せん)(しよ)(ぎよう)()(じよう)(じよう)(しや)(ひつ)(すい)に尽きるという透明度の高い無常の隠者だが、そういう(はかな)い世の中だからこそかえっておもしろいのだという美意識の持ち主でもある。


 人びとはアリのように懸命に働き、あわてふためいて走りまわる。未来にそなえて計画し、人事をめぐってこまかく損得計算するが、未来など誰にも分からない。分かることは「死ぬ」ということだけである。死としっかり向き合ったとき、人は初めて人生の大事とは何かを考える。


 お恥ずかしい話だが、会社員時代、役員目前のところで左遷されたことがある。周囲の目が冷たい。下りのエレベーターに一緒に乗ってやろうという酔狂な仲間や部下などまずいない。一杯飲み屋でグチをこぼせば、自分がみじめになるだけ。高声を上げたら、虚勢とみられる。それに新社長に飛ばされたから、先行きの見通しもよいとはいえない。


 その頃は本を読むことで、()さを晴らしていた。



  第十三段原文


   一人(ともしび)のもとに(ぶん)(文学や学問に関する文章のこと)をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる。



 このセリフにひかれて、歴史書をむさぼるように読んだ。『史記』の世界にまで手をひろげた。史上の英雄、豪傑、硬骨漢たちと、本を通して対話しているうちに、しだいに気がまぎれた。登場人物たちの夢に元気を分けていただけそうな気分になった。


 ビスマルクは、「凡人はおのれの失敗から何かを学ぶが、わが輩はそれを歴史から学ぶ」と豪語したが、わたしなどは、歴史と失敗体験を重ね合わせて成熟していかざるを得ない。


 結局のところ、わたしは左遷をきっかけに経営評論家として独立したが、今考えると左遷体験と歴史の知識がなかったら、とうてい二十年余も現役を続けられなかっただろうと思う。経営の本など、四、五冊書けばたちまちネタは切れてしまう。あたりまえの話だが、世の中にアッと驚くような経営手法など、そう簡単に出現しない。おまけに読者はアキっぽい。ちょっとさしさわりがあるので小声でいうが、アキっぽい読者を退屈させないために、ちょっとした歴史の小話や、わが大和(やまと)民族の生んだ国際的な、震えがくるような英雄・織田信長のエピソードなどをつけ加えて再三読者をひきつける「料理」を用意するのが、この商売の長持ちのコツである。


 むろんそんな将来のことまで考えて歴史や古典に親しんだわけではないが、左遷時代の知の蓄積がなかったら、経営評論という新人参入大歓迎、MBA取得者なら天井を向いて歩ける、この()(こく)(じよう)の浮き沈みのはげしい世界から、早々と退散してしまったことだろう。江坂の時代などもう終わった――内心そう思ってゾッとしたことが何度もある。


 それだけではない。商売上、経営評論家という大そうな肩書きを自分でつけたが、何のことはない。一種のフリーターである。若者の自由は青春かもしれないが、中年からの自由は不安と背中合わせ。


 会社という生活の(あん)()と仲間のぬくもりの共同体を離れて一人になったとき、心の()り所の喪失という、アイデンティティの危機におそわれた。オレは一人だ! 孤独感がこみ上げてきた。司馬太郎さんでさえ、新聞社をやめて小説家になったとき、軽いうつ状態が半年続いたというが、わたしの場合は一年以上も続いた。そして会社人間の持つ孤独に対する弱さというものを、肌で実感として知った。


不運もなげかず、挫折もせず



 話を兼好に戻す。

『徒然草』の著者・吉田兼好の生没年は不明だが、通説によると()(だい)()天皇とほぼ同じ頃の生まれ。二度にわたるフビライの(げん)の襲来(もう)()襲来)で体力をすりへらした鎌倉幕府の(しゆう)(えん)から建武の中興とその挫折、南北朝の争乱、室町幕府成立へ、という「定めがたい」大乱世を生きて、七十歳ぐらいで没したとみられている。


 若いときに高級貴族堀川家に(けい)()(事務員)として仕え、十代の終わり頃に六位の蔵人(くろうど)殿(てん)(じよう)(びと)の最末端、平たくいえば天皇のまわりの世話役)として()()(じよう)天皇に出仕したが、後二条天皇崩御後、三十歳前後で、華やかな宮廷生活と官僚組織から身をひいた。


 しかし、兼好には、いわゆる()(すて)(びと)のような追いつめられた深刻さはない。身の不運もなげかず大きな挫折もせず、そっと静かに(とん)(せい)した。荒々しい野性をじかに感じさせない知恵が兼好にはあった。こういう人物は、一度社会を離れても、平然ともとの世界に出入りすることをこわがらない。兼好も世間から逃れたのではない。世間・社会の枠組みから自由になったのである。そして、金儲けや立身出世、人間関係の重いしがらみと自分のあいだにしかるべき距離をおき、乱世という時代と人間の“(けん)(じや)”になった。


 兼好はまた孤独に強い人である。生涯妻子を持たず、孤独を愛し、孤独を手玉にとった。何カ月も人に会わないでいても平気だが、何事か必要にせまられたら、誰にどう頼めばいいか分かっている。逆説的な言い方だが、人間関係にとらわれない人が、この世は人間関係ぬきに生きられないという微妙なところを知りぬいている。


 兼好は、近頃はやりの「何事も自己責任」という株屋か博打(ばくち)打ちのような情けの薄いセリフなど()かない。自由人ですら共助で支えられている。西(さい)(ぎよう)と違って大した財産もなかった兼好の喰うための苦労は、たぶん組織人の比ではなかっただろう。『徒然草』に友人の話がよく出てくるが、良き友の第一に「物くるる友」(第百十七段)をあげている。兼好は、タテマエでなくホンネでずばりとものをいう。夢想家であり、同時に痛快なプラグマティスト(実用主義者)である。


「処世」を超えて



 大ざっぱにいえば、世間とは、社会の仕組みと人間関係で出来上がっている。それを知る人を処世上手という。


 処世の達人は、組織の中でさっそうと、要領よく生きていく。が、そのことが十分に分かった上で、根っこのところで「自分の人生が世間に押し流されるだけでいいのか」と思い(まど)う人がいる。個の悲鳴がある。(せい)の充実感が一向にわいてこない。それでも通常は、世間と人生の(はざま)で心の折り合いを何とかつけて、平たくいえばダマシダマシして世渡りしていくものだが、若いとき、何かのきっかけで限りある命(無常)の大事を知った兼好は、より深く生きるため、処世と方便の世界からどんどん遠ざかっていった。


 通常、人は自分の死も人生も真剣に見ないものである。自分の人生と死を知るのがこわいからである。それが常識人というものかもしれないが、兼好はその一線を超えてしまった。というより、より正確にいえば、世間と人生の境界線を平然と行ったり来たりしてしまったのである。

(ほう)(じよう)()』の著者・(かもの)(ちよう)(めい)、花と旅の天才歌人・西行は、この境界線を再び戻らじと超えていった「狂」の人である。この点、兼好は少し違う。少し違うが、鴨長明や西行ほどの鮮烈さはないにしても、兼好にも狂の部分がある。



  序段原文


   つれづれなるままに、()()らし、(すずり)にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。


「あやしうこそものぐるほしけれ」――これはただ事ではない。すさまじい事だ、という狂の自覚が兼好にあっただろうと思う。


 世間に背を向けて自己主張するには、狂の精神がなければならない。そのこわさを知るがゆえに、われわれはどれほどたくさんのことを言わずに我慢してきたか。


兼好的人物はたくさんいた



 とはいえ、兼好の生きた中世は、マルクス主義歴史学者がいうような暗黒時代ではない。活力と(わい)(ざつ)とユーモア、そして非情が(こん)(とん)とするダイナミックな時代、平たくいえば、()き世と浮き世が重なっていた。農業生産力があがり、商業、貿易が発達し、金融業者が登場し、()(とく)(じん)といわれる金持ちが誕生した。米の余剰が、遁世者や文化人を生んだ。


 旧秩序がこわれてきた政治的大混乱期だが、その中で()(ぎよう)の実力者が頭角をあらわしてくる。()()(にん)という最下層に属する芸人たちが、自らの技芸を売りものにして食べられるようになった。職人という手工業者が自らの存在感をあらわすようになった。なかなか活力のある多様性が生まれた時代である。このあたり、今の世に似ている。


 現代もまた経済のグローバル化と情報革命が一度に押しよせ、既存の価値観がぐらぐらゆれている乱世だが、これもまた豊かさが生んだ乱世ともいえる。


 そして、兼好的精神の坊主は、けっして孤立していない。ほかにもたくさんいた。その最もユーモラスな人物をあげる。



 第六十段


 (しん)(じよう)(いん)(にん)()()の属寺)(じよう)(しん)(そう)()(僧都は(そう)(じよう)に次ぐ二位)という高貴な知恵ある僧がおられた。いもがしら(里芋)が大好きでやたらに食いまくったそうな。談義(仏典の講義)の席でも、大きな鉢にうず高く盛って、(ひざ)(もと)に置いて食べながら書物を読み講義した。病気になると、一週間も二週間も養生治療だといって引きこもり、好きなだけ上等のいもがしらを選んで、特別多く食べて、どんな病気も治してしまった。人に食べさせることはしない。ただ自分一人だけで食べてしまった。


 この人、きわめて貧しかったが、幸い()(しよう)の死に(ぎわ)に、(ぜに)二百(かん)(そう)(ぼう)一つを譲りうけ、坊を百貫で売り、合計三百貫(三万(びき)をいもがしら代金と決めて、京の都の知人に預け置いて、十貫ずつ取りよせて、いもがしらを存分に食べていた。それ以外の使い方もしないまま、結局その銭は使いはたしてしまった。「三百貫もの銭を貧しい身分で手に入れて、こんな風にパッと散財してしまったのは、これまた今どきめずらしい(どう)(しん)深いお人だ」と世の人は口々に評した。



  第六十段原文


   真乗院に盛親僧都とて、やんごとなき()(しや)ありけり。いもがしらといふ物を好みて、多く食ひけり。談義の座にても、大きなる(はち)にうづだかく盛りて、膝元に置きつつ、食ひながら(ふみ)をも読みけり。(わずら)ふ事あるには、(なぬ)()(ふた)(なぬ)()など、(りよう)()とて(こも)()て、思ふやうによきいもがしらを選びて、ことに多く食ひて、(よろず)(やまい)()やしけり。人に食はする事なし。ただひとりのみぞ食ひける。きはめて(まず)しかりけるに、師匠、死にさまに、銭二百貫と坊ひとつを(ゆず)りたりけるを、坊を百貫に売りて、かれこれ三万疋をいもがしらの(あし)と定めて、京なる人に預け置きて、十貫づつ取り寄せて、(いも)(がしら)(とも)しからず()しけるほどに、また、(こと)用に(もち)ゐることなくて、その(あし)みなに成りにけり。「三百貫の物を貧しき身にまうけて、かく(はから)ひける、誠に有り難き道心者なり」とぞ、人(もう)しける。



 この話はまだまだ続くが、あとは簡略。この盛親僧都は、美男で力持ちで大食いで字がたいへん上手。博学で雄弁家で何をやらせても一流だが、この僧都、まことに勝手気まま、世俗を無視して、人に合わせるということをしなかった。法事の作法も守らず、自分の食べたいときに食べ、寝たいときはいつでも寝る。目がさめると、幾晩も寝ないで、興に乗れば、どこへでも歩いて行く。それでも人にきらわれもせず、何をしても大目にみられていた。それどころか、みんなに一目おかれていた。


 そこで兼好の感想。「徳の至れりけるにや」(第六十段)


 平安時代の宮廷という狭い閉ざされた世界の人間模様を描いた(せい)(しよう)()(ごん)の『(まくらの)(そう)()』には、この種の奇妙人や(くせ)(もの)は見られない。兼好の時代になって、世間にとらわれない人物たちが、歴史の表舞台に登場してきたのだ。


 乱世はおもしろくもあるが、危うくもある。知恵のない人は、思いがけないところでつまずき、ひっくり返る。これまで常識と思っていたものが通用しない。現代も同じ。今ほど乱世に生きた兼好の知恵が求められる時代はない。人間の知識は増えても、知恵が深くなるとはかぎらない。兼好には「常に物が見えている。人間が見えている」(小林秀雄)

『徒然草』には、激動の時代に生きる知恵が、人生というものが、しっかり書かれている。ある時は心のいやし、ある時は元気づける言葉、ある時は人生の指針として。


 鎌倉時代末期から南北朝時代の混乱の世を生きた吉田兼好という人の書いた『徒然草』を、わが体験と重ねて語っていこう。

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:-28文字/本文:6004文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次