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説得の科学
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生き方・教養
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第1章 説得とマインドコントロールとのあいだ

『説得の科学』
[著]安本美典 [発行]PHP研究所


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 1 マインドコントロールの一般的手順





 なにが、マインドコントロールか


 はじめに、「説得」と、「マインドコントロール」や「洗脳」との違いを述べよう。

「マインドコントロール」とか「洗脳」というのは、普通、ある一定の思想などを植えつける場合の方法をいう。本人の利益にならない、ある種のインチキ性をもつものをさすことが多い。


 まず、ごく簡単に、「洗脳」と「マインドコントロール」との区別をお話ししておこう。

「洗脳(Brain Washing)」というのは、ある種の強制力をともなうものである。本人の意志に反して、無理に一定の思想などをうえつける方法である。


 これに対して、「マインドコントロール」のほうは、本人は、あたかも、自分の自発的な意志で、自分から望んで、それをしているように思える。しかし、必ずしも、本人の利益になるとは限らない。要するに、マインドコントロールをかける側が、利益を得るように仕組まれている。ところが、それを受けている側は、あたかも、みずから進んで、自分で望んで、そうしているかのように思える。


 一応、このような区別がつくが、「洗脳」と「マインドコントロール」の区別、その境界線は、あいまいである。「洗脳」ともいえるし、「マインドコントロール」ともいえる場合がある。

「マインドコントロール」や「洗脳」は本人の利益にならない、ある種の詐術性をもつものを言うことが多い。


 しかし、なにが本人の利益になるのか、あるいは、ならないのかという判断も、非常にむずかしい。


 例をあげてみよう。


 野球の監督が、選手を非常にうまくもっていって、優勝にみちびく。ほめたり、叱ったり、はげましたりして、選手たちの力が発揮できるようにする。試合に勝てるように、心理的にもっていく。


  これは、監督も望んでいるし、選手たちも望んでいる。観客など、まわりの人たちも望んでいる。


  監督のもっていき方が、もし広い意味でのマインドコントロール(心理操作)にはいるとしたら、これは、社会的に肯定されるものであろう。これを批難する人は、まずいない。


 自分の子供が、勉強に意欲をもつようにみちびく。


  これは、親は望んでいるが、子供のほうは、少なくとも当初は、勉強など、望んでいないかもしれない。


  しかし、これも、社会的にみとめられるものであろう。長い目でみれば、子供の利益にもなる。したがって、批難をうけることは、まずない。


 本人は、登校拒否をおこしている。学校には、断固として、行きたくないといっている。そこで、順番に段階づけて、学校に行かせるようにさせる。心理学のある種の技法(あとでのべる行動療法など)を使って、うまくもっていって、学校へ行けるようにする。


  これも、社会的には、まず肯定されるであろう。


 本人は、ある法律に、従いたくないといっている。断固として拒否したいといっている。


  そこで、の登校拒否の治療のばあいとまったく同じ心理学の技法を用いて、法律に従うようにさせる。


  これも、ふつうのばあいは、それほど、問題が、ないであろう。


 ある独裁国家の内部で、ある本人が、その国のある法律に、従いたくないといっている。


  あるいは、ある宗教団体の内部で、ある信者が、その宗教団体内のルールに、従いたくないといっている。


  そこで、の登校拒否の治療のばあいと、まったく同じ心理学の技法を用いて、法律やルールに従うようにさせる。


  このばあいは、「問題がある」と思う人が出てくるであろう。


  「本人の自由な判断、意志、良心にまかせるべきだ」という人もいるかもしれない。しかし、「本人の自由な判断、意志、良心」にまかせると、独裁国家の法律や、宗教団体内のルールを、そのまま認める人も、当然出てくる。


  そもそも、独裁国家や、宗教団体の内部にいる人たちにとって、その国家の法律や、宗教団体内のルールの正否を判断することは、容易なことではない。


  また、かりに、その国家の法律や、宗教団体内のルールが、人類の普遍的な価値観に照らして、妥当なものではない、正しくないと思っても、そのことをはっきりと表明することは、本人の利益にならないことがある。


 アルコール依存症(中毒)の人がいる。あるいは、タバコをやめようと思っても、やめられない人がいる。そういう人たちに、心理学の技法を用いて、禁酒や禁煙に成功させる。


  これは、社会的には、肯定される種類のものであろう。


 戦争中の日本に住んでいたとする。戦争中の日本は、独裁国家ではなかったとする。しかし、「皇国史観は正しい」「日本の戦争は、正義の戦争である」と、社会のほとんどの人が考えていたとする。そのなかで、「皇国史観は、誤りである。日本の戦争は、間違いである」と考える人がどこかにいた。


  そういう人に、「酒をやめさせる」「タバコをやめさせる」のと、まったく同じ方法を用いて、非協力をやめさせ、皇国史観や戦争の遂行に賛成の方向にもっていったとする。


  これは、現代の目でみれば、間違ったことが行なわれていたようにみえる。しかし、当時は、社会的に肯定されるものと考えられていたのである。


  アルコールをやめさせるのなら正しくて、反皇国史観をやめさせるのなら間違っているのだろうか。


 今日の私たちの社会で、ある事がらについて、法律に従っていないから、間違っているということで、他を批判することがある。あるいは、会社や、学校のなかで、会社や学校のルールに従っていないということで、ルールに従わせようとすることがある。


  それは、今の私たちの社会で、正しいと思う基準で判断しているわけである。ところが、私たちの社会で正しいと判断していたことが、間違っていることもありうる。


  戦争中、「治安維持法にひっかかるから、お前は犯罪者だ」「お前は皇国史観に従わないから間違っている」といって、社会のほとんどの人が正しいと思っていることに従わない人を、監獄にいれた。ところが、戦争が終わると、監獄に放りこむ立場にいた人々が、極東国際軍事裁判にかけられて、犯罪者とされた。


  そのときの法律に触れるか、触れないかだけで、正しくないとか、正しいとか判断しては、いけないのだろうか。


 ある種の犯罪をおかした人がいる。その人たちにうまく教えて、再犯をしないようにもっていく。もともと、犯罪傾向のある人かもしれないけれども、犯罪をおかさない方向にもっていく。


  これは、一般的には、社会的に肯定されることであろう。


 ネズミの脳のある部分に、電極を植えこむ。そして、ある電気刺激を与える。すると、電気刺激だけによって、苦痛を感じる脳の場所(部位)がある。また、脳のある部分を刺激すると、ネズミは、快楽を感じる。


  ネズミと人間とでは異なるが、かりに、人間でも、ネズミと同じようなことが、みとめられるものとする。


  犯罪者の脳のなかに、電極を植えこみ、何か悪いことをしようとしたならば、苦痛の刺激を与える。何か良いことをしようとしたならば、快楽の刺激を与える。そうやって、再犯をしないようにもっていく。


  この犯罪者は、天性の犯罪傾向をもっている。これ以外の方法では直らない。社会に出したならば、かならず犯罪をおかす。


  それでも、このような矯正方法は、正しくないと思う人が多いであろう。


  人間を、ロボットあつかいしている。人間が、最後まで保持しなければならない自由意志をふみにじっている。


  このような方法を容認すれば、まかり間違えば、恐ろしい独裁国家、ロボット帝国が出現する可能性がある。


  再犯をさせないようにする、という本人の利益にもなり、社会の利益にもなることであっても、ある種の矯正方法は、方法的に正しくないと判断されるばあいがある。


 わがままをいって、いうことをきかない子に、体罰を加えて、親のいうことをきかせる。あるいは、教師が、生徒に、体罰を加えて、校則をまもらせる。これは、方法じたいが、誤っているのだろうか。本人の自由意志を尊重すると、勝手な主張をして、手におえない場合がある。


 「必ず幸せにするから」と、女性を非常にうまく説得し、結婚する。


  この場合、


  ほんとうに、その女性を幸せにした。


  その女性を幸せにするつもりであったが、結果的に、不幸にした。


  幸せにする自信も、あてもないのに、「必ず幸せにするから」といって結婚し、不幸にした。


  という三つの場合がありうる。


  女性のほうは、いずれの場合も、幸せになれると信じて、結婚したものとする。


  の場合は、問題ない。


  の場合も、女性が納得して結婚したのだったら、やむをえない、と判断されることが多いだろう。


  問題は、の場合である。女性も、自由な判断力をもってしかるべきである。の場合、だました男が悪いのか、だまされた女性にも、落度があったのか、ということにもなる。


  男が、ときには、きわめて巧妙な、マインドコントロール的手法を用いることもある。


  ほとんど詐欺といえるものから、誠意をもって事にあたったにもかかわらず、心ならずも、というにかなり近いものまで、さまざまなケースが存在しうる。なかには、ほとんど詐欺といえるものなのに、当の男は、「誠意をもって事にあたったが、心ならずもこうなった」といいわけをするばあいも、ありうる。


  いいわけではなく、当の男は、誠意をもって事にあたったと信じこんでいるばあいもある。


 このように、マインドコントロールでインチキ性をもつものなのか、正しい説得なのかの弁別は、意外にむずかしいばあいがすくなくない。


 一般的にいえば、「説得をうけた本人と広い社会全般にとって利益をもたらさない」というように目的が誤っているものと、人間を完全にロボットあつかいするような方法が誤っているものを、マインドコントロールとか、洗脳ということばで呼ぶ。

「正しい説得」との区別を知るために、以下に、マインドコントロールの一般的手順と具体的方法とをみておこう。



 マインドコントロール、三つの手順


 洗脳を含めて、広い意味でのマインドコントロールは、一般的に、つぎの三つの手順をとる。


 外部情報を遮断する。


 一定情報を注入する。


 生理的に不安定な状態におく。


 の、外部情報を遮断する、いろいろな情報を入れない、ということについて述べる。


 ある一定の考え方、思想、たとえば、戦争中の日本であったならば、「皇国史観」というものを、教科書、学校で教える。新聞もラジオも、その統一した考え方のもとで、報道が行なわれる。そして、外部の広い世界から見た情報が、はいらないという形にもっていく。


 戦争中は、日本全体が、世界から隔離された状態になっていた。「オウム真理教」のばあいは、入信した人たちを、社会全体から隔離している。テレビ、新聞も、自由には見せないというふうにもっていく。


 心理学に、「自動運動」という現象がある。


 部屋のなかを、まっくらにしておく。そこに、小さな明りをつける。たとえば、線香の明りをつける。まっくらやみに、赤い火が、ポツンとついている状態にする。


 そこに、一人の被験者(=普通の人)をいれる。


 全体がまっくらやみで、知覚のための手がかり、(わく)ぐみがない。そこで、赤い火だけをポツンと見せる。


 すると、その火が、やがて、右や左に動いて見えはじめる。これを、「自動運動」という。


 部屋のなかの電灯は、じっとしているように見える。動いていないと見えるのは、全体の枠ぐみのなかに位置づけているからである。全体の枠ぐみに照らして、これは動いていないと知覚している。


 ところが、まわりの枠ぐみが、失われてしまうと、じっとしているはずの光が、動いて見えはじめる。被験者を、枠ぐみもなにもない状態におくと、固定しているものが、自動的に動いて見えるようになる。


 つぎに、五人ぐらいの被験者をいれて同じ実験をする。


 一人だけは、本当の被験者である。残りの四人は、じつは、サクラである。


 サクラのなかの一人が、「あっ、今、あの光は、右に大きく動いた」と言う。残りのサクラも、「本当だ。右に五センチぐらい動いた」などと言う。


 あとで、アンケートをとって調べると、一人だけの本当の被験者も、「右に動いた」「かなり大きく、五センチぐらいは動いた」などと答えるのが普通である。


 つまり、他の枠ぐみがなにもない状態のときには、知覚や、物の判断は、非常に不安定になる。


 そこに、ある一定の情報を入れると、固定しているものが、そちらのほうに、動いて見えてしまう。暗示をうけやすくなる。


 これに似たことが、いろいろな判断でおきる。


 したがって、詐術的なマインドコントロールをうけず、正しい判断ができるためには、たえず、より広い外部情報を、うけいれるようにしなければならない。


 ところが、現代のように、じつにさまざまな情報が氾濫すると、情報を取捨選択するのが、わずらわしくなってくる。多くの情報をシャットアウトして、自分の気にいった情報だけを受けいれたいという誘惑にかられる。だれかが、情報を取捨選択してくれるのを望んだりもする。


 ここに、詐術的なマインドコントロールがつけこむすきがある。



 一定情報の注入――三つのレベル


 つぎに、手順のの、「一定情報を注入する」についてのべる。


 一定の情報の注入には、


 「思想」のレベルで注入する。


 「行動」のレベルで注入する。


 「感覚・感情」のレベルで注入する。


 という三つのレベルがある。


 まず、の「思想」のレベルでというのは、ある一定の思想、たとえば、オウム真理教ならオウム真理教の考え方だけが正しいということを、強く主張する。また、繰りかえす。


 一九五〇年代に朝鮮戦争があり、朝鮮半島で、かなりな数のアメリカ兵の捕虜がでた。ところが、その捕虜が、本国(アメリカ)に帰ってきたときに、非常に強固な共産主義者になっている人たちが、相当多数いた。

「共産主義は正しい。アメリカ帝国主義は間違っていた」とさかん言いはる。そこで、「洗脳」という現象が注目をあびはじめた。


 外部からの情報を遮断して、一定の思想だけを、段階的に根気よく繰りかえし、頭のなかにインプットする。判断の基準が他にないため、それが正しいと、思いこんでしまう現象がおきる。

「刷り込み(imprinting)」ということばがある。多くの動物、とくに、トリにおいて、もっともはっきりとみとめられる学習のしかたである。


 タマゴからかえってまもない特定の期間に、目にした動物や物体が、ヒナの中枢神経に焼きつけられ、それ以後は、その対象をみると、追っていったり、接近しようとする。


 ふつうは、タマゴからかえったあとに、はじめて出会う対象は、親である。親に近づき、追っていくことによって、ヒナは、親から保護される。しかし、はじめて出会う対象が、親でなく、人間であっても、フットボールであっても、なんらかの運動をともなっているものであれば、「刷り込み」は成立する。

「刷り込み」が成立すると、特定の対象に対して、つねに同じように、機械的に反応する。追っていったり、近づこうとしたりする。


 通常の学習と異なり、「刷り込み」は、容易に消え去らず、また、対象を他のものに変えることも困難である。


 マインドコントロールや洗脳の結果は、しばしば、「刷り込み」現象に似ている。


 ある特定のものの見方、思想が焼きつけられ、刷り込まれると、容易なことでは、ぬぐい去られない。



 「行動」のレベルでの注入


 つぎに、の「一定情報を注入する」のなかの、の「行動」のレベルでの注入について述べる。


 私たちは、しばしば、思想や考えがあって、それにもとづいて行動すると思いがちである。


 しかし、実際はそうではなく、行動が先にあり、後から思想がついていくという場合が、結構多い。

「断酒会」というのがある。


 アルコール中毒ということばは、このごろは、あまり使われなくなっている。アルコール依存症という言葉が使われるようになっている。


 いま、アルコール依存症の人がいるとする。


 自分では、どうしても、アルコールをやめることができない。「やめよう、やめよう」と思っても、ついアルコールに手をだしてしまう。そういう人が、「断酒会」にはいる。「断酒会」では、つぎのようなことを行なう。

「断酒会」のメンバーには、まだ完全には、アルコールをやめることができない人がいる。自分の力では、なかなか酒をやめることができない。そういう人が、新しくはいった人に、酒の害毒を述べる。酒がいかに体に悪いか、肝臓に悪いか、を熱心に説明する。酒をやめようと説得する。


 自分自身の努力では、酒をやめられなかった人が、新しくはいった人に、「酒をやめよう。酒は害毒があるから」と説明しているうちに、本人の酒がやめられるという現象がある。


 自分で、観念的にやめようと思っているだけでは、なかなかやめられない。ところが、断酒を他の人にすすめているうちにやめられるという現象がある。他の人に、一生懸命に説明するという「行動」をとっているうちに、「酒は害毒がある」という考え方、思想が深く自分の身につく。


 最近は、パチンコ依存症をはじめ、ギャンブルへの依存症もふえている。ギャンブル依存症のばあいも、急にやめると、禁断症状がおきたりする。


 酒やギャンブルの害を他の人に説くことによって、依存状態からぬけだすことができる。


 これと同じ方法は、宗教の布教や、ある種のイデオロギーを説くばあいにも、しばしば用いられる。


 たとえば、ある人が、ある宗教の完全な信仰者になっていない。そこに新しい人がはいってくる。


 完全な信仰者になっていない人に、「この宗教は実にいい宗教だ。信じていると、こういういいことがありますよ」と、新しくはいった人にむかって説明させる。説明しているうちに、不完全な信仰をもつ人たちの信仰が深まっていく。それにはまっていくわけである。


 いいか悪いかは別にして、この方法は、かなり多くの宗教団体、思想団体、政治団体がとっている方法である。

「はじめに行動ありき」である。


 人間は、自分を合理化しようとするところをもっている。「行動」をしてしまうと、その結果を合理化する。自分の「行動」は、正しいと思うところがある。


 結婚なども、必ずしも自分の意にそわない人と、なにかのなりゆきで結婚することもある。結婚すると、それを合理化する。「やっぱりこの人には、いいところがある」「それほど不幸というわけではないし」と。つまり、「行動」が先にあって、それと辻つまがあうように、自分の「思考」「思想」のほうを動かしていく。


 もっと極端な例では、オウム真理教のように、全財産を寄付するという「行動」を行なわせる。そうすると、引きかえすことが、できなくなってしまう。「行動」にふみきってしまい、自分の全財産を寄進したならば、もうもとへはもどれない。自分のとった行動が正しいものとして、自分の頭のなかで辻つまをあわせていく以外に、方法がなくなる。


 財産を寄付させるという「行動」をさせるというのは、ある意味では、非常に有効な洗脳、あるいは、マインドコントロールの方法である。


 さらに、オウム真理教のように、地下鉄にサリンをまくという極端な「行動」をさせる。一度、そこに踏みこんでしまったならば、もう後もどりは、できない。オウム真理教という世界のなかで、ひたすら前進する以外に方法はなくなる。


 社会のルールで許されていない「行動」である犯罪をおかさせることによって、その人は、もう通常の社会では、生きられなくなる。ひたすら、オウム真理教のルールのなかで生きる以外に方法がなくなる。


 行動を起こさせて、ひっこみがつかなくさせる。


 アメリカの社会心理学者のフェスティンガーは、「認知的不協和の理論」をとなえた。


 人間の認知、すなわち、知覚、判断、信念、価値観、態度、自分がある行動をしたという知識などは、できるだけ、たがいに矛盾なく、調和をたもとうとする傾向がある。


 この傾向があるため、ある「行動」を行なわせると、その「行動」にあわせて、不協和をへらすために、信者の思考や感情あるいは信念が変わってくる。


 男女関係などでも、金を相手にみつぐことによって、歓心や愛を得ようとする人がいる反面、相手に金をみつがせることによって、相手の歓心や愛を得る人がでてくる。


 みついだ側は、


 「自分がみつぐという行動をとったのは、彼女を愛しているからだ」


 と思いこむ。


 かくて、「愛しているから、みつぐのではなく、みついだから愛する」という形になる。

「与えるのは、受けるよりも幸いである」というのは、バイブルの言葉である。与えることに、幸せを見出す人がでてくる。


 かくて、与えて人を動かし、服従させるのではなく、奪って、人を動かし、服従させるという図式が成立する。



 「感覚・感情」のレベルでの注入


 つぎに、「一定情報を注入する」のなかの、の「感覚・感情」のレベルでの注入についてのべる。


 あらかじめ考えてから何かをやる。あるいは、「行動」がまずあって、あとから、「思想」を「行動」にあわせる。これら以外に、感覚・感情のレベルで、「これは素晴らしい」、あるいは、「これはおそろしい」ということで、思想・行動がついていくことがある。


 たとえば、「この宗教を捨てた場合は、こういう地獄に落ちる」というビデオをみせる。ビデオは映像なので、人間の感覚にうったえる。ビデオを繰りかえし、繰りかえしみせる。


 すると、非常に合理的なタイプの人で、「(りん)()転生はない、あの世があるなんて信じられない、インチキだ」とはじめは思っている人でも、感覚のレベルで、洗脳されてしまうことがおきる。その宗教から逃げだすのが、こわくなる。地獄に落ちるという映像が、まぶたの裏に、たえずちらつくということになる。


 しかも、「感覚・感情」のレベルでの注入のばあい、薬物中毒のばあいと同じような、「フラッシュバック現象」が、みられることがある。


 フラッシュバックは、もともとは、映画用語で、「瞬間場面の切りかえし」という意味である。過去の出来ごとなどを、瞬間的に、ある場面の流れのなかに挿入する手法をいう。


 マリファナ、LSD、メスカリンなどの薬物の使用を中止しているのに、なにかのはずみで、薬物使用時に出現したのと同じ幻視、幻聴が出現する現象を、フラッシュバック現象という。


 フラッシュバック現象は、不安・恐怖・緊張などの感情をともなったりもする。


 心理的ストレスにあったり、酒をのんだり、精神を集中したり、落ちこんだりしたとき、フラッシュバック現象が起きやすいといわれる。


 フラッシュバック現象は、状況に依存した一種の学習なのだという説もある。


 ビデオを繰りかえしみせることが、あとあとまで、その人の感覚・感情、さらには行動にまで影響するのである。


 アメリカのハーバード大学教授の心理学者B・F・スキナーは、動物実験を行ない、「報酬を与えたときよりも、恐怖を与えたときのほうが、学習は有効で、しかも、一生消去されない」とのべている。

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