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会津藩は朝敵にあらず 松平容保の明治維新
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歴史
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第二章 舞台は京都

『会津藩は朝敵にあらず 松平容保の明治維新』
[著]星亮一 [発行]イースト・プレス


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馬上の容保



 文久二年(一八六二)十二月九日、容保とその家臣たち数百名は、江戸を出て京に出立した。


 途中、各地で歓迎を受け、二十四日巳の刻(午前九時)、京都に入った。

「會」の旗を先頭に、その堂々たる行列は、都の人々を驚かせた。京都町奉行・(なが)()(なお)(ゆき)が京都の市民に触れを出していたこともあり、沿道は黒山の人である。


 馬上の容保を取り巻く儀従は一里も続き、しんがりは家老の横山主税である。その儀従も数十人、あたかも大名のようであった。


 三条大橋の東には、永井と(たき)(がわ)(はり)(まの)(かみ)が出迎え、うやうやしく一礼した。

「出迎え、大儀であった」


 容保は永井の労をねぎらい、(ほん)(ぜん)寺で旅装を礼服の狩衣に改め、関白(この)()(ただ)(ひろ)公の邸に出向いて挨拶した。


 近衛は孝明天皇の信任が厚く、鎌倉時代から薩摩の島津家と縁戚関係にある宮廷内部の実力者である。急進的な攘夷倒幕論を嫌い、公武合体に同調していた。

「京都守護職、松平容保にございます」

「島津殿からそちの人となりは聞いておる。帝も乱れた治安の回復を願っておられる」


 容保は平伏して、関白の言葉を聞いた。


 関白邸の女官たちは、

「容保はん、絵に描いたような男前やなあー」


 と、噂し合った。

「ただ今の急務は、(かい)(だい)の人心一和がなにより先決にござろう。その人心一和は、公武の合体であり、それが欠けては、どのような良識、施策があっても、実行することはかないませぬ。不肖容保、公武合体に命をかける所存にございます」


 容保の挨拶に関白近衛公はいたく感激した。


 こうして容保は宿館の東山山麓、(こん)(かい)(こう)(みょう)寺に入った。


めぐりあう黒谷の地



 悌次郎と富次郎は、京都の会津藩本陣として(くろ)(だに)の金戒光明寺を選んでいた。左京区岡崎黒谷の地にある浄土宗の本山である。


 五万坪の境内には、西(さい)(おう)(いん)はじめ四十余の(たっ)(ちゅう)があった。正面には(けやき)に鉄の(びょう)を打った壮大な門があり、周りの石垣とあいまって、城郭の構えを見せていた。


 西翁院の茶室からは、はるか眼下に淀川がみえた。


 寺に入って容保ははじめて安堵した。

「殿、なかなかよき所にございます」


 横山も満足そうにあたりを見た。


 はるか前方に京の街が広がっている。ときおり肌を刺す風が境内を吹き抜けた。


 藩兵たちの部屋割りで、境内は足の踏み場もない雑踏である。境内だけではとても収容できない。周辺の民家も借り上げた。


 馬のいななき、会津弁の怒鳴り声がいたるところに響く。京都人も数多く動員され、荷物が整理されて行く。


 (かまど)に火を入れ、炊事も始まった。


 容保は御所の方角を見た。


 直線距離にしてわずかに半里(約二キロ)、御所を守護するうえでこれほど便利な場所はない。

「あそこに帝がおわすのか」


 容保は、じっと見つめ、胸に熱いものがこみ上げた。


 人間の運命はわからない。東国会津の総帥として、江戸を守るのが容保の職務であった。


 それがいま京の都にいるのだ。


 容保は、重大な使命を実感し、感激で胸が震えた。


 先発隊が黒谷本陣を決断した背景には、もう一つの理由があった。

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