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こまってしもうた 忘れてしもうた
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ルポ・エッセイ
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音がはずれる女学生さんのピアノ

『こまってしもうた 忘れてしもうた』
[著]安藤りつ [発行]PHP研究所


読了目安時間:15分
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「さて、少しピアノでも()きますか」


 女学生さんが(おか)(もと)ちよこさんに話しかける。

「ちよこさんはピアノが好きなのよね。ピアノが始まると静かになるのよ」


 昼食がすんでしばらくすると、女学生さんの独奏会が始まった。


 普段は徒党を組んでいる宇野房栄さんも、聞いちゃいられないとさっさと居室に戻る。宇野さんは結局のところ、誰のことでも悪く言うのだ。


 ピアノを聴かない宇野さんを、女学生さんは女学生さんで教養がないと陰口をたたく。この二人の会話は、ときおり食あたりに出くわすようだ。

「乙女の祈り」はオクターブの和音が(けた)(はず)れにずれている。今日はまた、いつになく激しい演奏だ。

「気分が悪くなるからやめさせて下さい」


 しばらくして小さな声で私の腕をつついたのは、黄色いジャージの上下で(くるま)()()に座っている(とみ)()(とき)()さんだ。色の白い小柄な富田さんは入居してまだ日が浅く、言葉少なで静かな老人だ。しっかりと会話ができるのだが、所かまわずに便をして、踏みつけては、あちこちになすりつけてしまうので、昼間はできるだけ食堂で過ごさせるようにしている。


 部屋に帰りたいと強く訴えるときこそ便意のあるときで、嫌がるのをなだめてトイレに座らせると、決まって便が出る。これを踏みつけて便まみれになっていたかと思うと、便器に堂々と落ちた立派な便を見るたびに、いたずら好きなもぐらを(わな)に仕留めたような気分になる。

「あの音で頭が痛くなるんです」


 静かな富田さんの口から不平が聞かれるのも不思議な気がしたが、富田さんの訴えはもっともで、同じように私たちも感じながら毎回拍手を繰り返していた。

「今日はずいぶんのってるわね」


 そう言って笑ったスタッフの飯田さんは、

「山口くんにお任せしようか」


 若いスタッフの山口くんに目配せをした。


 山口くんは、美穂ちゃんと同じように専門学校を経てサンガーデンに就職した。


 援護を必要とする人の、日常生活の指導や援助を行う介護福祉士でもあり、医療や福祉サービスを利用できるようなプランをたてるケアマネージャーでもある。


 介護職の正社員は、新入社員で基本給が一八万円前後が多い。資格手当や残業手当を入れても多くの給料を手にすることはない。正社員となると、シフトに夜勤も入ってくるが、夜勤専門のパートで回数を入れるほうが、正社員の給料よりも手取りが多くなることがある。そんな愚痴が聞こえてくる中で、山口くんは頼もしい。

「この仕事を楽だって言うやつもいますよ。さぼろうと思えばさぼれますからね。何せ、お客様が認知症だったら、クレームついたって、そんなことありませんよ、ってごまかし通せることが多いからね。

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