小学生の頃から「どうして女性だけが結婚で名字を変えるのだろう」、とよく思っていました。世の中の不平等というものに非常に敏感な子どもだったのです。中高生の頃は、「世の中、男優先社会で女は損だ」と考えていました。「女らしく」という言葉も大嫌いで、ボーイッシュな格好をしていました。
また、我が家は父方の祖母との二世帯住宅でした。気の強い祖母と嫁である同じく気の強い母の関係は、世間一般によくある嫁と姑の関係と同様だったと思います。そして農村出身の母から聞く地位の低い農家のかわいそうなお嫁さんの話。私は絶対に「嫁」にはなりたくないと思ったものです。
嫁にはなりたくないけれど、結婚願望はありました。嫁にならずに結婚できる方法と言えば、相手に名字を変えてもらう方法が真っ先に頭に浮かびます。しかし、私には弟がいます。世間一般の感覚では私が「武石」を名乗り続けなければならない理由がありません。
男が結婚改姓をすることを、世間一般では「婿に入る」と言うのですから、そうそう変えてくれる人はいないだろうと思っていました。自分は一生結婚できないかもしれない、と思っていたのは25年ほど前の23歳くらいの時だったと記憶しています。そして多分その頃、夫婦別姓というものがあるということを知ったのだと思います。その話をすると、友人には「生まれてくるのが50年早かったんじゃない」と言われました。
インターネットも無い時代、同じようなことを考えている人がどこにも見当たりませんでした。そんな時、新聞の片隅の情報欄で、「夫婦別姓」についての集会があることを知り、我が意を得た気持ちになり出かけて行きました。この頃の記憶は断片的で順序も怪しいのですが、夫婦別姓制度についての会はいくつかありました。その中の一つに住民票の続柄差別記載(その頃は住民票でも嫡出子は長男・長女、非嫡出子は子と記載されていた)の撤廃を求めて裁判を始めた、田中須美子さんと福喜多昇さんご夫妻の会(現在は「なくそう戸籍と婚外子差別・交流会」)があり、そこに足を運び、初めて事実婚というものが世の中にあることを知ったのです。それもそういう方たちが何組もいて、驚いたことを覚えています。
この会に関わったことで、非嫡出子の問題、戸籍の問題ということがわかるようになり、法律婚をすることの意味を考えるようになりました。自分はどうして結婚をするのに国に届出を出す必要があるのだろうか、ということです。
夫と出会ったのはその頃です。きっと私はこの問題について熱く語ったのだと思います。急速に親しくなった私たちは結婚についてどうするかを決めなければなりませんでした。私の選択肢にはまだ、彼に改姓してもらって法律婚をするというのもあったと思います。しかし、彼も改姓は嫌だと言いますし、また私はどうしても戸籍制度という家制度を引きずるこの制度を許しがたい制度だと思っていましたので、気持ちは完全に事実婚に傾いていきました。
当時、事実婚という言葉は全く世間に知られていない言葉でした。私たちはまず親に話すことから始めましたが、私の父には猛反対されました。それは法律に守られないという危うさに対しての反対だったと記憶しています。しかし、私は自分の結婚なので、自分の考えを曲げるつもりは毛頭ありませんでした。母はと言えば、「別姓結婚なんて、そんなことができるのなら私もやってみたかった」と言うくらいでしたから、特に反対されなかったと記憶しています。
夫の方は、夫に書いてもらいますが、ただ確かなことは夫の両親にこの件について、私は非難めいたことを一度も言われたことが無いということです。SNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)のミクシィの事実婚のコミュニティでは、事実婚によって相手の親と断絶するような人もいるようですが、私はそういうことで悩んだことはなく、その点では恵まれていたと思います。
それから20年が経ちますが、夫婦別姓制度は一向に法制化される様子もなく、事実婚をする人はわずかながらも増え続け、多少なりとも市民権を得たのではないでしょうか。私自身はこの20年の間に子どもを産み、特に困難なこともなく過ごしてきました。事実婚をしたい、という話はよく聞きますが、世間体や面子にこだわる親や結婚相手に反対されて泣く泣く法律婚をする人も多いようです。
事実婚って実際にどうなのだろう、自分もやってみたいけど、という方の一助にこの本がなれば、と思います。
武石文子