はじめに宣言しておくが、私は「正論」に弱い。「なるほど、それはもっともだ」と認識すると、多少自分の考えと食い違っていても受け入れてしまう。強い持論のあるトピックであれば頑張って立ち向かうこともあるが、普段ぼんやりとしか考えておらず、何となく「常識」に流されているような話題だと、たとえその意見が少数派であっても「正論」になびくことが多い。むしろ、マイノリティであることを良しと考える性癖があって、できれば人と違うことをしてみたい。だから、私にとって「正論」であり、なおかつ少数派に属する事実婚というスタイルを受け入れることに、さほど抵抗はなかった。
自分の中に抵抗はなかったものの、やはり当時(1990年頃)は今以上に事実婚の認知度が低く、周囲の理解を得るためにはそれなりの苦労を要した。特に両親を説得する作業は、今思えば若かったからこそ勢いでなし得たように思う。
私はそれまで、ごく普通のサラリーマン家庭に育った。反抗期と呼ばれる少年期にも大きな問題を起こすことなく、ほぼ親の意に逆らうことなく成長した。父は外資系企業の役員、母は専業主婦。3歳年の離れた妹は三つ子というやや特殊な家族構成ではあったが、幼い頃に都内から引っ越した横浜市内の新興住宅街で、何一つ不自由なく育てられた。両親から特定の価値観を押し付けられることもなかった。父は自他ともに認める「リベラル派」であった。不真面目な態度や卑怯な行い、礼節をわきまえない人間には厳しい姿勢で臨む一方で、アメリカ風のジョークやユーモアを多用した。