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(2021/11/26 追記)

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マッカーサーと日本占領
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歴史
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第一話 「青い眼の大君」の日々

『マッカーサーと日本占領』
[著]半藤一利 [発行]PHP研究所


読了目安時間:1時間6分
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 1.神に導かれて


●「ただの軍人ではない」 


 その日は朝から快晴であった。信じられないほど空は青かった。昭和二十年(一九四五)八月三十日、午後二時五分、専用機バターン号は、マッカーサー元帥とその忠誠な幕僚たちを乗せて、北から厚木飛行場の上空に入り、と思うと、そのまま機首をさげてあっさりと地上に降りてしまった。


 日本政府側の出迎えはあらかじめ断られていた。ただ許された各新聞社の記者とカメラマン各一名、それにニュース映画の撮影者など十名の者たちだけが、世紀の瞬間を待ちうけていた。


 C54型輸送機の胴の扉があき、やがて元帥が現れたとき、これを眼前に見た日本人記者に与えた印象は強烈なものであった。上着なしのカーキ服にサングラス、丸腰で、コーンパイプを手に、ずっとはるか日本の地平線を見渡すように右から左へ、かれは薄赤い顔をゆっくりとまわした。写真班のためのポーズ、というより花道で大見得をきって、それから静々と梯子をおりていく、つまり(ひのき)舞台に名優が登場してきたという風に、記者たちには思われた。事実、マッカーサーはそれを自覚していた。機内から外へ出ようとするとき、一言、「つぎは映画でいう一大クライマックスだ」といったという。


 旧海軍飛行場の、ムンムンとする夏草の上に立った大男は、記者団にかこまれ、最初のステートメントを語った。

「メルボルンから東京までは長い道のりだった。長い長いそして困難な道程だった。しかしこれで万事終わったようだ。……降伏は不必要な流血の惨を見ることなく無事完了するであろうことを期待する」


 かれは普通の会話のように静かな調子で話した。だが、芝居がかった行動と短い演説も、すべては十分に準備されてきたものである。四年にわたって激越な戦いを交えた敵中に入ってくる。()(しゆ)(くう)(けん)で。()(たけ)(だか)にではなく静かに、かつきっぱりと話す。のべ十七年にわたるアジアでの勤務によって、アジア人を、そして日本人をよく知る米国随一の軍人、と自負する男が、それこそ自分でえらびとった行動であった。そして、このことにマッカーサー自身の人生観のすべてがこめられていた。

「ただの軍人ではない」


 日本人記者団はいやでもそう思わせられた。


●「富士山はやはりいいね」 


 たしかに、なみの軍人ではなかったのであろう。英首相ウィンストン・チャーチルがのちに、

「戦争のさいにみられる勇敢な行為には、驚嘆すべきものがある。しかし、なかでも驚くべきものは、(日本へ)ひとりで乗りこんだマッカーサーの行為である」


 と書いたように、青年時代よりかれが示してきた勇気には、人なみはずれたものがある。それは決して(ぼう)()(ひよう)()の勇ではなかった。冷静このうえない計算の上に立脚したものであった。


 たとえば、この日、バターン号はマニラから厚木へ、七時間の飛行をいっきにしてきたように、これまで刊行された多くの書物には書かれている。これらはマッカーサーとその司令部の見事な情報操作にひっかかっているのである。C54型機の航続距離ではそれは不可能、途中で給油が必要である。事実、元帥とその一行は前日の二十九日にすでに沖縄の(よみ)(たん)基地に飛来している。そして沖縄で、日本本土先遣部隊の司令官アイケルバーガー中将らと、飛行計画と警戒態勢の細部にわたる検討をすませていた。いよいよ進駐する日本の動静を、間近まできてさぐっていたのである。


 そしてこの日、正式に発表されていたマニラ─沖縄─厚木という全コースの半分だけを、さきに進駐したアイケルバーガーの“万事異状なし”との信号を待って、一直線にとびぬけてきた。


 また、バターン号機上でのマッカーサーについても、二つの見方がされている。最大の腹心ホイットニー准将に、対日占領政策を口述していた、とするのがその一つ。コーンパイプの煙と交互に、かれの口から吐きだされる政策は、つぎのようなものであったと、ホイットニーは記録する。

「まず軍事力を粉砕する。戦争犯罪人を処罰し、代議制にもとづく政府の制度をつくる。女性に参政権を与える。政治犯を釈放し、農民を解放する。自由な労働運動を育てあげ、自由経済を促進し、警察による弾圧を廃止する。自由で責任ある新聞を発展させる」


 そしてホイットニーは書きくわえる。

「元帥ははたしてこの奇蹟的現象を達成できるだろうか。敗戦国の占領に成功するだろうか」と。


 伝えられるもう一つの姿は、飛行中マッカーサーは静かに瞑想にふけっていた、いや、ひたすら居眠りをしていたという豪胆なもの。日本上空に入ったときホイットニーが元帥の腕を軽く叩いて、窓から見える富士山をさし示した。眼をさましたマッカーサーは、

「富士山はやはりいいね」


 と一言つぶやいただけで、眺めようともせずまた眠りに落ちた、というものである。


●まず食糧の放出を 


 どちらの話も、マッカーサーその人らしさを語っている。いずれも(まこと)なのであろう。マニラから沖縄までが(ちよう)(ちよう)としゃべりまくる前者、そして沖縄から厚木までの道では黙りこくっている将軍、とみるほうが、より楽しい想像となるのではあるまいか。史上最大の自信家であり自負の人も、さすがに日本に近づくにつれ、その任の重さをずっしりと痛感せざるを得なくなった。ホイットニーの書くように「占領に成功するだろうか」との想いにしめつけられていた、と。


 同じ意味のことを、証言する人もいる。高級副官フェラーズ准将である。かれのボスは、自分の仕事に大きな間違いを犯すことを極度に恐れる性質の人であった。そのためにマニラをとび立つと、自分にいいきかせるかのように側近にしきりに話をした、と。「婦人に参政権を与えたほうがいい。そうだ、女性はいつでも、自分の子供が戦場で死ぬことを好まないものだ。女性の参政権が、日本の軍国主義を粉砕するのに有力な助けになるだろう。これは是非にも、しなければならないことではないか」などなど。


 こうしてしゃべりまくって構想を固めると、ボスはそれが確乎たる信念に熟成するのを、無言のうちに待った、と。


 たしかに、マッカーサーが全責任を負って、軍事的占領を成功させるべく降り立った敗戦国日本の現状は、“(さん)(たん)”そのものであった。厚木から二時間もかかって、目的地の横浜のホテル・ニューグランドに、汗とほこりまみれで着いた一行を迎えたのは、まず遅い昼食がわりとして、スケソウダラにサバ、それにたっぷり酢をかけた生キュウリのお菜。これがその時点でホテルのできる精一杯の料理であったのである。


 戦塵の将マッカーサーもさすがに(へき)(えき)し、無言で見つめただけで手をつけようともしなかった。と、ホテルの会長()(むら)(よう)(ぞう)が進みでていった。

「日本人はいまあなた方が食べようともしなかったものより、もっとひどいものを食べているのです。たとえばカボチャを主食にしている、といったら驚かれるだろうが、それでもあればまだよいほうです。これがいまのわが国の現実の姿なのであります。だから、あなた方が、日本人の心を真剣につかもうと思っておられるのなら、まずこの深刻な食糧難の現状を打開するため、食糧の放出を是非おすすめする」


 この直言はマッカーサーの胸に響いた。どんなに理想に燃えていようと、占領政策は初めから日本国民にとって苛烈なものであってはならない、優しいものでなければならない、との決心を固めさせた。しかも翌朝の第11空挺師団長の報告が、かれをいっそう驚かせた。師団の兵全員で一晩じゅう探したにもかかわらず、最高司令官用にたった一個の卵しか手に入らなかった、というのである。


 かれはただちに横浜に()かれていた戒厳令と夜間禁止令を解いている。占領軍は日本人の食糧を調達してはならぬ、占領軍は自分たちの軍用食のみをとるべし。およそ過去の征服軍の歴史のなかに例のない命令を、マッカーサーは発した。


 日本改革の第一歩は占領軍がまず寛大であり、同情的であることからはじめねばならぬ、それがかれの信念となった。


●自由と寛容と公正 


 三日後の九月二日午前九時、東京湾上の戦艦ミズーリ号で行われた降伏調印式でも、マッカーサーは「自由と寛容と公正」を訴える演説を行っている。わずか三分間の演説だったが、抑えた張りのある一語一語は、居ならぶかつての敵味方の将兵の心をうった。その格調の高さと流麗さとで、とくに日本全権一行に消え難い印象を残した。

「……私たちは、地球の大多数の人々の代表として、不信や悪意や憎悪をぶつけあうためにここに来たわけではありません。……私は、いや全人類は、心から祈念します。今日この場で行なわれる荘重な儀式よりのち、過去の流血と虐殺の惨事から得た教訓をもとに、より良い世界がはじまりますように。すなわち、信仰と相互理解を基礎とし、人類の尊厳、そして人類が最も強く希求する自由と寛容と公正さへの願いがかなえられる世界となりますように」(黒田敏彦訳)


 世界史上でも類のないこの完全勝利の瞬間を、連合国軍最高司令官は大いに満喫するであろうと、ミズーリ艦上にある者はだれもが思った。最前列にならんだ各国代表は、だから、華美な勲章で身を飾っていた。だがマッカーサーは例の色あせたカーキ服に、ネクタイもせず、勲章もつけていなかった。なんの儀式ばったこともなく、出てくるなりつかつかとマイクロホンの前に進みでただけなのである。そしてしゃべりだした。それもまたかれの演出であったかもしれない。が、日本全権には、自分たちのもったいぶった帝国のなかへ、丸腰の開襟服姿でのりこんできた征服者、それだけでも驚きであるのに、その人が「正義と寛容と公正」を説くとは……。隠しきれぬ讃嘆の眼をもって、まじまじと眺めつづけるほかはなかったのである。


 たしかに、かれのいつものスタイルは、かえってかれを(きわ)()たせることになった。キザでないところがキザであった。飾りはいらないのである。その存在そのもので、偉大な人物であることを示す()()な将軍、精神的に尊大な大貴族であろうとしたのである。


 かれは『回想記』のなかに、このときの心境を書いている。

「この運命的な日の朝、極東は息をのんで私の言葉を待ち受けていた。日本はむち打たれるため裸にされた状態で、世界は緊張のうちに、激しい処罰がはじまることを待望していた。私は何をいい、何をすべきかについて何の指令も受けていなかった。その朝の私は、ひとりぼっちで、神と私の良心以外に、私を導くなんのしるべもなく『ミズーリ号』の後甲板に立っていた」


 しかし、もうこの瞬間から、「神と私の良心」だけに導かれたかれの占領政策を、かならずしも歓迎しない者たちが多く存在しはじめるのである。その代表が大統領ハリー・トルーマンである。もちろん、この時点で二人の確執はあからさまになってはいないが。


 マッカーサーは厳格一点ばりではあるが、如才のないところもある。ミズーリ号を調印式場の記念艦にえらんだのも、海軍へのサービスもあったが、なによりミズーリ州出身の大統領のことを念頭においていたからである。さらに降伏文書帳にかれは五本のペンを使って署名した。そのうちの、一本はのちに大統領に贈られている。


 にもかかわらず、大統領との間にぎくしゃくしたものが、早くも顔をのぞかせたのは事実である。調印式が終了、日本全権が退艦し帰途についたのち、占領軍最高司令官としてマッカーサーは、全世界へメッセージを放送した。それは「今日、大砲は沈黙している。一大悲劇は終わった。偉大な勝利はかちとられた」にはじまる華麗にして、感動的な演説であった。


 真剣かつ情熱的に、軍人として戦争を非難すると述べ、将来また世界大戦が起きれば人類そのものの生存が脅かされるであろう、と強く警告する。「われわれは、肉体を救おうと思うなら、まず精神を救うことからはじめなければならない」と。

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