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小澤治三郎 果断・寡黙・有情の提督
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ルポ・エッセイ
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第一章 過ちを改むるに憚ること勿かれ

『小澤治三郎 果断・寡黙・有情の提督』
[著]宮野澄 [発行]PHP研究所


読了目安時間:19分
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──人生の転機となった、戦場から届いた一通の手紙



(あば)れん坊だった少年時代



 城下町には(おもむき)(ただよ)う。


 小澤は(あき)(づき)(そう)(ぎん)(たね)(ざね)で有名な(たか)(なべ)藩の城下町、現在の宮崎県()()郡高鍋町で、明治十九年十月二日に生まれた。高鍋町は、古代日向(ひゆうが)の頃には、中枢的役割を果たしていた町である。


 徳川時代には、五十余藩あった九州で、屈指の善政をしいた藩として知られた高鍋藩の足跡が残る歴史の町であった。


 父は(とら)()(ろう)、母はヤツ、高鍋町では旧家であった。


 小澤は次男坊で、手のつけられない、たいへんな(あば)れん坊であった。


 戦後、(ひつ)(そく)した世田谷宮坂の家の庭先に、柿の木があったが、「この頃の子どもたちは、柿の()()りにもこない」と不満そうであったというほど、木登りはもちろん、野山を走りまわり、喧嘩は日常茶飯事であったらしい。


 隣りの家に、四歳ほど年上の()(ろう)という少年(あや)()姓)がいて、大の仲よしであった。


 この少年が、小澤に柔道を教えたのだが、()みつきになるほど好きになり、相手構わず組みついていったようだ。二郎とはウマが合ったのか、夏の暑いときに、近くの(こと)(ひら)(やま)に登るときでも、小澤は二郎について行ったし、涼を求めて二郎が琴平神社の拝殿で昼寝をしているのを見かけると、彼が目覚めるまで(かたわら)で待っていたくらいである。


 二郎から習い覚えた柔道で、小澤が後になって大きな事件を引き起こすことになってしまうとは、二郎はもちろん小澤も想像さえしていなかった。


 二郎にとっても、弟のように思えるのか、自分になついてくる小澤がかわいくてたまらなかったのである。たまたま教えた柔道が、ひとときとはいえ、小澤少年を苦しませる結果になってしまうのだ。


弱きを助け強きを(くじ)



 小澤が宮崎中学の四年生のとき、高鍋藩時代には、少年たちの合宿所であった()(どり)(しや)に寄宿していた。時代は、日本が大国ロシアを相手に戦争を始め、全国民の戦意が少年に至るまで高揚していた頃である。


 中学が一校ではなく、近くに他の中学があるときには、血気(さか)んな少年たちの間で、しばしば喧嘩や口論が()えないものである。


 宮崎中学の近くには、()()(わら)中学の合宿所があった。避けようとしても顔を合わせる機会が多く、集団ともなればよく見られる悪口の言い合いである。口喧嘩のうちはよいのだが、腕力沙汰になると収拾がつかない。血気に(はや)る同士、負けまいと争い合った。大柄で腕力の強い小澤は、宮崎中学ではリーダー格であり、頼りにもされていた。


 なにしろ腕力が抜群で、目の前を走り過ぎようとした人力車を、大手を広げて止め、客が乗ったままひっくり返してしまったほどである。もっともこのときは、乗客が宮崎中学校長の夫人であったが、厳重な(せつ)()を食っただけで()んだ。


 彼は(たけ)も高かったので、威圧感を相手に与えていた。下級生であろうと上級生であろうと、「行くぞ!」と声をかけると、いっせいに小澤に従い、いったん喧嘩となると、佐土原中学の宿舎に、殴り込みをかけるのである。まるでやくざの抗争を地でいくようなものであった。

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