読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン
0
-2
kiji
0
0
1225776
0
小澤治三郎 果断・寡黙・有情の提督
2
0
0
0
0
0
0
ルポ・エッセイ
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
第九章 やがて、あと追うわれなるぞ

『小澤治三郎 果断・寡黙・有情の提督』
[著]宮野澄 [発行]PHP研究所


読了目安時間:33分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ

──国民的英雄だった山本連合艦隊司令長官の死



東京、名古屋、神戸での初空襲



 開戦以来続いている勝利に国内は()きに沸いていたが、熱狂する国民に、冷水を浴びせかけるような事件が相次いだ。


 昭和十七年三月五日、東京に初めて空襲警報が鳴り響いたが、空襲の恐ろしさを知らない市民たちは驚きはしたものの、それほどの恐怖は感じなかった。


 しかし、四月十八日には、市民が実際にアメリカ機を東京上空に目撃して、騒然となった。ドゥリットル指揮官が率いるアメリカ航空母艦「ホーネット」から発進したB25一六機が、東京、名古屋、神戸を初空襲した。


 四月十八日付『朝日新聞』は、

この日早朝より警戒警報は、各危険地区に鳴り響き、軍官民防空陣は鉄壁の防空布陣を完了、神洲を襲うもの何者ぞ……敵機が午前零時半ごろ、数方面から姿を現わすや、対空射撃部隊は一斉に日を吐き……帝都防衛の哨戒機は、壮烈な空中戦の火ぶたを切る。敵機群はあるいは燃え、あるいは()ち……(わず)かの敵機が市街地区に侵入し盲爆を試みたが、いずれも貧弱な焼夷弾で、警防団、隣組の活躍によって見事に消火……」


 と報じている。それでも陸軍報道部では、「指揮官はドウリットルだが、結果はドウナッシング」だと洒落(しやれ)が出るくらいだった。


 小澤は、このニュースをセレター軍港に在泊していた旗艦()(しい)で聞いて、「敵ながら思い切ったことをやるな」とつぶやいた。


 本土初空襲の衝撃は、けっして小さくはなかった。事実、このとき被害は、死者約五〇名、負傷者四〇〇名以上、家屋約二〇〇戸が全半焼だった。


米豪分断を(ねら)った(さん)()(かい)海戦



 山本連合艦隊司令長官は、この報に大いに驚いた。同時に、大本営に対してかねてから持論としていた、アリューシャンからミッドウェイを結ぶ南北にわたる線上で、敵機動部隊を撃滅するミッドウェイ作戦を強く主張し、ついに山本の主張どおり、他の作戦に優先して行なわれることになった。


 小澤の周辺も(にわか)(あわ)ただしくなった。連合艦隊から(ふじ)()参謀が、セレター軍港に小澤を訪ねて来た。藤井は、「開戦以来、連合艦隊の作戦は順調に経過してきました。六月初めミッドウェイ攻撃作戦を実施、できればこの機会に敵機動艦隊を捕捉撃滅する計画です」と語った。続いて間もなく、大本営作戦部長(ふく)(とめ)(しげる)少将と参謀の(たか)(まつの)(みや)(のぶ)(ひと)親王)が、小澤を訪ねて来て、ミッドウェイ作戦計画を説明した。


 大本営が、昭和十七年三月七日と十日の両日、開戦以来三カ月間の戦果を発表しているが、開戦の戦果は次のとおりであった。

撃沈した戦艦一一四隻、大中破五三六隻、撃沈した船舶一〇五隻、大中破九一隻。

撃墜した飛行機四六一機、撃破炎上一〇七六機など。

一方、損害は艦艇一九隻、大中破小破四隻、沈没した船舶二七隻。

自爆または未帰還機一二二機。


 もちろん正確な数字ではなかったが、それにしても大戦果であり、無敵海軍の士気が大いに上がるのも当然であった。大本営の政府連絡会議は、米英は対日反攻を準備中であるが、その時期は昭和十八年以降と見ていた。しかし、この観測は甘く、すでに十七年の八月にはガダルカナル島へ上陸し、対日反攻を開始していたのだ。


 早期艦隊決戦主義を()る海軍は、オーストラリア進攻を主張した。そのためフィジー、サモア、ニューカレドニアに進攻する「SN」作戦を計画した。このほか、ポートモレスビーを攻略するために、ニューギニア東北海岸のラエ、サラモア地区に上陸していたが、これとは別に海路からポートモレスビーを目指し、同時にツラギへ進攻する作戦も決まった。


 この一環として、五月三日、日本軍はソロモン群島フロリダ島のツラギに無血上陸。作戦を探知したアメリカ海軍との間に、五月八日、(さん)()(かい)海戦が行なわれた。


 目的は、日本軍最大の根拠地ラバウルおよび外郭陣地ラエとポートモレスビーを前進拠点として、珊瑚海を制圧し、米豪分断を実現することにあった。


 作戦の指揮は、小澤と同期の第四艦隊司令長官であった井上成美海軍中将が執った。(しよう)(ほう)(しよう)(かく)(ずい)(かく)の空母三隻を中心とする艦隊であった。


 (むか)え撃つのは、フランク・フレッチャー少将指揮の空母ヨークタウン、レキシントン、重巡二、軽巡一など二六隻から成る第十七機動部隊であった。


()れていた暗号電報──快進撃に初めて歯止めがかかる



 小澤は、四月以降、緊張するような仕事もなかったので、冷静に神経が働いていたのかもしれなかったが、一つ心にかかることがあった。無線電信情報である。


 暗号電報は、敵に()れることはないと信じられてきたのだが、本当にそうかと、不信の思いに()られたのである。小澤の危惧は的中するのだが、アメリカ海軍は、ウェーク島その他で撃沈した日本の軍艦から暗号書を引き揚げて解読し、四月中旬には、日本海軍の作戦内容を正確に把握していたのである。


 飛んで火に入る夏の虫ではないが、五月八日朝、日米機動部隊がほとんど同時に相手部隊を発見し、決戦の火ぶたが切られた。


 戦闘可能な艦載機は、日本が九六機、アメリカは一二二機であった。激しい攻防が繰り返され、空母レキシントンは撃沈、ヨークタウンは大破させたが、日本も祥鳳を失い、鶴は大破され、残った瑞鶴に艦載しきれない飛行機は次々に海上に不時着した。沈む艦から海上に(のが)れた乗組員は二〇〇人に及んだ。井上は、燃料が欠乏していたため、攻撃続行不可能と判断し、全艦隊を北方へ引き揚げさせた。大本営海軍部と連合艦隊司令部は、残敵掃滅を命じたが、アメリカ機動部隊も南方へ逃れ、この作戦は中止された。


 この海戦は、世界海戦史上、初めての空母決戦で、敵の艦隊が視界の外にいたまま行なわれた海戦であり、同時に日本の快進撃に初めて歯止めがかかった海戦でもあった。

この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:13647文字/本文:16131文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次