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小澤治三郎 果断・寡黙・有情の提督
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ルポ・エッセイ
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終章 戦争の罪とつぐない

『小澤治三郎 果断・寡黙・有情の提督』
[著]宮野澄 [発行]PHP研究所


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──()(だん)()(もく)な生き方は何を(のこ)したか



敗戦の傷跡



 もう二度と着ることのない軍服を身につけると、小澤は()()(がや)の自宅から()(だん)(やす)(くに)神社に向かった。軍服といっても、かつての彼の身分を表わすものは何もない。


 もう六十歳も近いというのに、背筋は伸び、多年にわたっての戦闘の指揮で、眼光は鋭く、しかも(きよ)()である。(えら)そうな軍服を着ていなければ、小澤はまわりを威圧する異様な雰囲気を持つ男であったから、警戒さえされたかもしれない。


 しかし、疲れ切った人々は、一瞬小澤に目を向けはするものの、すぐに無表情に戻った。多くの人が、焼けトタンをつなぎ合わせて作った(ほつ)()て小屋で、食糧も(とぼ)しいなかで、目をくぼませて()だるそうに暮らしていた。


 四年近くの激しい戦争は、人々の生活を無残にもぶち壊してしまっていた。小澤は、空襲で破壊された東京の町を、悔恨の思いを込めて(なが)めるばかりであった。


 戦闘で多くの命が失われたが、指揮官として常に部下を(ひき)いていた人間としては、けっして心(おだ)やかではなかった。その責を感じて、自らを(さば)き、自らの命を絶った軍人は少なくなかった。


 終戦になってからも、敗戦の責を()い、死をもって()びた軍人たちだけでも、海軍で将官四名、佐官二五名、尉官三七名、下士官四一名、兵士六名、軍属一三名もいたし、陸軍でも将官三〇名、佐官四九名、尉官一〇五名、下士官一〇四名、兵士八八名、軍属一八名にも達していた。この他にも看護婦三名、不詳三名の五二六名もいたのだ。


 なかには、いったんクーデターを計画しながら翻意し、(けつ)()しようとする部隊の説得を試みて射殺された者もいた。これらの死者までが、靖国神社に(ごう)()されているとは思えなかった。


 しかし、死をもって責を負い、死をもって()びたことに変わりはない。


 軍人に対する目は冷たく、敗戦の責はすべて軍人にあると思われていた。なかでも職業軍人と見ると、戦時中は威張りくさって、生活も(ぜい)(たく)をして、という(びゆう)(けん)があった。


 九段の坂を上りきって、(じん)(ぼう)(ちよう)方面を見とおしてみても、とにかく家らしい家はなく、ただただ焦土に過ぎなかった。


 暗然として玉砂利を踏むと、人通りはまったくなく、小澤の靴音だけが響いた。どうして靖国神社の参拝を思いついたのか、理屈ではなく、とにかく無名の戦士を含めて、犠牲となった人たちに詫びたいという思いが足を運ばせたのだ。


 自決もせず生き残ったのは、武士(もののふ)らしくないとの自戒の思いもあったが、小澤は、(つら)くても、生き残った者としてなすべきことがあると思っていた。


 涙もろい小澤は、社殿の前に立っただけで()(がしら)が熱くなってきた。死にたくて死んだ者はいない。やむを得ず死を選んだか、心ならずも生命を落としたかである。しかし、勝利を信じていた国民たちにとっては、敗戦のショックはあまりにも重かった。


 昭和天皇に申し訳ないと詫びる心から、宮城前広場で土下座した人たちはあっても、ここ九段の靖国神社に(ぬか)ずく者は少ない。小澤は、拝礼ではなく、土下座をしてでも詫びたい思いでいっぱいであった。


残った者は何をすべきか



 敗戦からまだ二カ月も経っていないのに、「進駐軍は掠奪と暴行をする」との噂が飛び交い、家庭では女子を外出させず、職場によっては女性を休ませるところもあった。


 しかし、わずかな事件を除いて、「(なご)やかな進駐風景」と新聞が報ずるほどで、中には進駐軍に(こび)を売る女性たちまで、町には現われはじめたのである。


 ソ連人が「銀座のまんなかに、半月形の服部(はつとり)時計店がそびえている。アメリカの兵士たちが、靴磨きの台に足をのせ、一方では似顔絵描きの前にポーズをとる。ここではほろ酔いのアメリカ兵が“パンパン”(外国人相手の娼婦。その語源は明らかでない)と抱き合っているのが、よく目にとまる」(イ・ポルタフスキー・ア・パーシン『占領の日本』)と銀座をスケッチしているが、まさにこのような光景が、盛り場では当然のことのように繰り広げられはじめていたのである。


 靖国神社には、そのような光景はない。この誰も寄りつかない“聖地”にいると、小澤には、戦争中のさまざまなことが(よみがえ)ってきた。けっして、感傷に(おちい)ったのではない。生き残った者として、何をなすべきかを考えていたのである。


 毎日のように靖国神社を訪ねたい、という思いがないわけではない。しかし、それでは死んでいった人たちの鎮魂にはならない。いまは、ただただ生命を落とした将兵たちに対しての責任を自らに課し、遺族たちの生活を見守るだけである。


 それにしても、九段坂から見るかぎり、まさに()(れき)の原である。そこはもはや町ではない。ここからどう、何を生み出そうとするのか。小澤には(ぼう)(ぜん)という言葉しか見つからなかった。


 戦争が終わり、日本は(やぶ)れ、歴史は書き改められようとしている。ここでも、何がどう変わるのか、まったく見当もつかなかった。


 つくづくと自分の軍服を見た小澤は、もう二度と手を通すことはあるまい、と思った。かつて、支配者の服であったこの軍服も、廃墟の中では道化の服としか映らなかったのだ。


売り食いの“たけのこ生活”



 軍隊という組織の中では、戦いに勝つということが生活であった。食べることを考えたりはせず、炊事場で作ったものを、ただ食べていただけであったが、環境が変わり、食糧が(とぼ)しい状況では、食べることに関心を寄せないわけにはいかなかった。

日本の貧弱な国土で、現在の人口(昭和二十年十一月時点で七二〇〇万人)を養うには、日本の食糧生産では足りない」という総司令部公衆衛生部長サムス大佐の談話は、日本人の食生活を見とおした言葉であった。


 初めて耳にする流行語が、次々と飛び込んできて、小澤を当惑させた。“たけのこ生活”もその一つだった。身の皮を一枚一枚()いでいくような生活で、それも食糧を得るための生活であった。家計の三分の二は食費で、それを(おぎな)うために、小澤の家庭を含めて家財などの売り食い生活が続いたのである。


 妻の石蕗(つわ)に、どうやりくりしているのかと(たず)ねたこともなかったが、収入も(とぼ)しい(まず)しい家庭では、“たけのこ”以外に収入を得る手段はなかったはずだ。石蕗は、本当に()くす女性であった。小澤は、(ねぎら)いの言葉をかけるではなく、食卓に向かったときには妻に何かを尋ねることもなく、ただ黙々と(はし)を口に運ぶだけである。


 (おお)()(とし)(たけ)に嫁いだ小澤の次女の(たか)()が、「父は立派な人物とはとても思えませんが、母には、本当に頭が下がりました」と言うほど、石蕗は愚痴もこぼさず、黙々と小澤や子どもたちに尽くした。「“たけのこ生活”で、電話も売ってしまいました。あの電話は、たいへんにおいしゅうございましたよ」と、カラッと言えるほどの女性でもあった。


 貧乏は、自分たちだけではないと言っている小澤の気持ちを、誰よりも一番理解していたにちがいない。「言葉よりも、心のつながりを大切にする人でした。でも、慣れるまでたいへんでしたのよ」と彼女は笑っている。


 食糧を得るために、一枚一枚と衣類を()いでいくのが、都会に住む人たちの姿であった。長い戦争を終え、これ以上国民の生命を失わせる生活に、終止符を打つために終結した戦争だったが、表面上は平和を取り戻したものの、けっして平穏さを手にしたわけではなかったのだ。


 国民にとっては、食いつなぐための戦いが、毎日繰り広げられていたのである。いったい自分たちは何のために戦ってきたのか。さつま芋とか、大豆とか小麦粉が混ざった食糧を前にして、小澤はいつも考え込んだ。“栄養失調”という言葉も耳に痛く響いた。それは、餓死にも近い状態で、前線にいたときもガダルカナルでは、こうした患者が多く出た記憶がある。


 しかし、戦後の東京に、疲れやすく、手足がむくみ、貧血気味で、下痢が続き体が()せるといった症状の人たちが多かった。芋とか豆とかだけの貧しい食生活では、どうしてもそういう人たちが増えていたのであろう。


「日本は四等国に落ちた」



 日本という国がどうなっていくのか、もはや(かじ)()りの要務に(たずさ)わることはできないが、日本が日本として存在できなくなることには、どうしても耐えられなかったし、非力でもそれを阻止するために力を尽くしたいと小澤は思った。


 それでなければ、二重の罪を重ねることになると思ったからだ。彼の心に()きついて離れないのは、死んでいった人たちへの責任を、どう果たすかということであった。

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