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20世紀とは何だったのか
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人文・科学
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はしがき

『20世紀とは何だったのか』
[著]佐伯啓思 [発行]PHP研究所


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 本書は、「現代文明論(下)」と題されているように、同じPHP新書からすでに刊行されている『人間は進歩してきたのか──現代文明論(上)』(『西欧近代を問い直す』PHP文庫)の続編にあたる。上巻と同様、京都大学で行った「現代文明総論」と称する講義をもとにしているが、この講義は、主として一、二回生を対象とした全学共通科目(一般教養科目)のひとつで、現代文明への導入という意図をもったものだった。

 一、二回生向きという講義の性格からして、特に予備知識は必要とはしていない。教養科目の課題は、多くの場合、専門科目へ進む前のイントロダクションとして、基本的な知識の習得を目指す場合が多い。しかし、私の講義はそうしたものではなく、むしろ、どうして「現代文明」を問題にするのかという、その問題意識を覚醒したいとの意図をもつものだった。

 本書は、別に大学の初学生を対象にしたものではなく、現代文明や現代社会に関心をもつ一般の読者に向けたものだが、やはり講義の性格はそのまま保持されているだろう。上巻と同様、本書も決して網羅的で包括的な知識を提供しようというものではなく、また、ある特定の問題に焦点を絞ってそれを専門的に掘り下げようというのでもない。本書で論じ、展開していることは、あくまで私なりの現代文明や現代社会を見る「見方」を提示することである。

 今日、私たちは、あらゆる意味で、情報洪水のなかを漂流しているといってよいだろう。学問も同様で、たとえば二十世紀の出来事や思想といった途端に、山ほどの文献や資料が押し寄せてくる。それらを(くま)なく渉猟(しようりよう)するとなれば、文献を読むだけでたいへんな作業となるだろう。

 だが、私には、昔からある種の偏向があって、文献を隈なく渉猟することにはさして関心がなく、それよりもある問題に対して、自分なりにどのような見通しを立て、いかに考えるかという方向へ思考が向かうのだ。いまだに私の理想をいえば、文献としては、たとえば岩波文庫の古典と中央公論の「世界の名著」、それに二十世紀の古典がいくつかあれば十分であって(いや、それだけでも十分すぎる)、それらを使って何か大事なことが表現できればと思っている。

 これはまったく、この情報化と文献的実証主義の時代に反する態度といわざるをえない。専門家などという立派な研究者の態度ともほど遠い。しかし、私自身は、山ほどの文献を読み、該博(がいはく)な知識を身につけるよりも、「現代」という時代の本質を理解することのほうがはるかに大事でもあるし、先決だとも思う。いいかえれば、「現代」を見る見方、視角を手にすることのほうがはるかに重要だということである。そして、ほんとうの教養とは、知識を仕入れるよりも、自分なりの見方、考え方を獲得することではないだろうか。

 自分なりの見方がなければ、いかに多くの文献を読み、知識を仕入れても、そこから自分の問題を発見することはできないだろう。また、この情報化の時代にあっては、逆に該博な知識や情報に呑み込まれてしまい、それらを相互に関連づけたり、解釈することもできなくなってしまう。自分なりの「視角(パースペクティブ)」を手に入れることによってはじめて、全体的な「展望(パースペクティブ)」が得られるはずではなかろうか。だが、そのような「展望」が、今日の高度に専門化した社会科学には決定的に欠けているのである。

 本書は、あくまで、私の見方を提示したものだ。しかし、それは「現代」を理解するうえで欠かすことのできない決定的な論点だと考えている。西欧社会の生み出した近代主義が私たちをどこに連れてきたのか、その点についての歴史的で文明論的な見取り図を描くことこそが、「現代」を理解するカギだと思っているからである。


 前著『人間は進歩してきたのか』(「現代文明論(上)」)では、「現代」というよりは、むしろ西欧の「近代」を扱った。西欧近代社会がどのような条件のなかから誕生したのか、それがどのような意味をもち、いかに変容したのかがそのテーマだった。「西欧近代とは何か」とひと言でいってもさしつかえない。この場合、特に「近代」に焦点を当てたのは、「近代とは何か」という問いに一定の見通し(パースペクティブ)を与えなければ、そもそも「現代文明」など理解できないからである。なぜなら、「現代」とは、何よりまず、西欧が生み出した「近代」の延長上に、しかもその変形として存在しているからだ。
「現代」の文明や社会を論じる本書は、一応、独立した形式をとっており、別に上巻を読んでおかなければならないわけではない。しかし、できれば両者を併せて読んでいただければと思う。そして、この二冊が、私たちの生きているこの困難な時代の、騒々しくも退廃的な虚しさ、自由の真っ直中の窮屈さといった、えもいわれぬ不安な気分の由縁を理解する一助となれば幸いである。

 私自身、昨年から今年にかけての、困難で、ともすれば気の滅入るような日々のなかで、本書をまとめることはささやかな快楽であり、失速しがちな気分にとって、かすかな活路を開いてくれるものであった。自分の置かれた状況を対象化するうえで、この時代の状況を対象化し、重ね合わせるという作業は、ある意味では、私のような職業人の特権というべきものかもしれない。この特権を与えてくれたPHP新書出版部の林知輝さんに心から感謝しなければならない。上巻と同様、林さんのほんとうに丁寧な編集作業のおかげで、私なりの「現代文明論」が満足のゆくかたちで二冊もの本になったのだから。


 二〇〇四年四月
佐伯啓思 
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