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20世紀とは何だったのか
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第1章 近代から現代へ 第一次大戦の衝撃と西欧の悲劇

『20世紀とは何だったのか』
[著]佐伯啓思 [発行]PHP研究所


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「近代」と「現代」の違いとは──西欧を中心にして世界を語れなくなった時代

 そもそも「近代」と「現代」はどう違うのでしょうか。じつは、あまり正確な区別はありません。

 英語では、近代は「モダン」ですが、現代はというと「コンテンポラリー」といったり、「レイト・モダン」ということになるでしょう。とはいえ、「コンテンポラリー」とは本来は「同時代」という意味で、ここでいう「現代」とはちょっと違いますし、「レイト・モダン」では、両者の大きな差異についてうまく表現できません。しかし、一般的に「現代」といったときには、十九世紀とは区別された意味での二十世紀を指すのがふつうでしょう。

 もちろん二十世紀社会といえども十九世紀社会の延長上にあり、その上に成立しているわけですが、それにもかかわらず両者をあえて区別するのは、ここに大きな断絶があると解釈できるからです。より正確には、十九世紀と二十世紀の間にはある種の連続と断絶がある。そのうえで、強いていえば、断絶のほうを強調してみたいということです。

 では、十九世紀と二十世紀の違いをさしあたりどう理解しておいたらいいのか。

 ひとつ参考になる本があります。ずいぶん前に刊行された本ですが、バラクラフというイギリスの歴史家が書いた『アン・イントロダクション・トゥー・コンテンポラリー・ヒストリー』(An Introduction to Contemporary History)、つまり現代史入門という本で、翻訳は『現代史序説』(岩波書店)となっています。一九六四年に出たものですが、これは「近代」から区別された「現代」の意味を端的に描き出しています。

 バラクラフが指摘する十九世紀と二十世紀の決定的な違いは何かというと、二十世紀とは、「世界史」というものが表舞台に出てきた時代である、ということ。われわれは、歴史を「世界史」という概念で考えなければならなくなった。

 それに対して、十九世紀はあくまでヨーロッパ中心に歴史を語ることができた時代です。もちろん世界史はありますが、その世界史を主導したのはヨーロッパであり、ヨーロッパ的なものが世界に広がっていった時代だといえるのです。ところが二十世紀は、もはやヨーロッパを中心にして世界を考えることができなくなった。世界戦争が勃発し、世界政治なるものが出現し、ついには世界を動かす世論というものが出てくる。もはやヨーロッパの政治が世界を動かすのではなく、それは世界というチェス・ボードに登場するひとつの駒にすぎなくなるのです。

十九世紀世界と二十世紀世界の断絶──文字どおりの「世界」大戦

 そうはいっても歴史年表を見れば、実際にはすでに十九世紀から歴史は「世界」を舞台にしていたともいえます。植民地主義や帝国主義のなかで、ヨーロッパがアジア、アフリカ、イスラム圏、ラテン・アメリカに進出し、特にアジアに対してはいわゆる「ウエスタン・インパクト(西欧の衝撃)」によって、アジアのドラマを大きく変えていったわけです。

 さらにいえば、少なくとも地理上の発見が生じた大航海時代の十五、十六世紀から、「世界」は大規模交易によってひとつの舞台へと結びつけられつつあったともいえます。ウォーラーステインは、それを「世界システム」と呼んで、十五世紀から「世界システム」ができていたといいますが、そこまで射程を広げれば、何もバラクラフのように、二十世紀に入って「世界史」が成立したなどとことさら強調するのも、いまさらという気がしないでもありません。

 しかし、ここで重要なことは、事実がどうなっていたかではなく、まさに、ヨーロッパ人たちが、二十世紀に入って「世界史」という舞台を実感するようになったということです。ヨーロッパの出来事がヨーロッパだけでは収まらず、それが「世界」と結びつき、ヨーロッパが自身の手によってみずからの運命を決めることができなくなってしまった。またこれは、ヨーロッパが掲げてきた理念や使命感を、もはやヨーロッパ人の思いのままには動かすことができなくなったということです。だからここでいう「世界史」とは、ただ東洋と西洋の相互交流や西洋の世界への進出といったことではなく、ヨーロッパを中心とした世界を組み立てるという歴史意識が破綻したということなのです。

 そして、このことは「現代」を考えるうえで重要なことを意味しています。なぜなら、「近代」とは、良かれ悪しかれ、ヨーロッパが生み出した希望の上に展開されてきたからです。その希望は主として啓蒙主義や近代的な理想を掲げたもので、ここに歴史の進歩という意識が存在した。そして「現代」とは、ヨーロッパにとっては、理想や進歩の一片ももはや信じることのできない時代になったということなのです。

 このことを象徴的に示した出来事は、何といっても第一次世界大戦でした。だから、十九世紀的世界と二十世紀的世界の断絶を象徴的に表す年代を取り出すとすると、それは一九一四年から一九一八年の間といってよいでしょう。

 実際、第一次大戦は二つの時代を隔てる決定的なファクターになっています。特にヨーロッパ人にとっては第一次大戦の経験は非常に大きい。ある意味では、第二次大戦よりもその歴史的意義は大きいともみなされています。第一次大戦での戦闘員の死者は九〇〇万人以上、非戦闘員の死者は約一千万人とされていますが、今日でも「あの世界大戦争」といったときに、ヨーロッパでは、第二次大戦を指すのではなく第一次大戦を指すことがあるくらいなのです。

 第一次大戦の始まる前と後で、ヨーロッパ世界の様相はまったく一変してしまいます。あるいは、ヨーロッパ人の自己認識がまったく一変してしまうわけです。

 実際、一九一四年の六月二八日にセルビアの一青年がオーストリアの皇太子に向けて発した一発の砲弾が引き起こしたこの戦争は、夏に始まり、だれもが冬までには終わると思っていた。それは、何度も繰り返されたヨーロッパ内部の勢力不均衡がもたらした内部抗争だと思われていた。にもかかわらず、この戦いはその後、四年以上も継続し、しかもアメリカ、日本という海のかなたの国を巻き込んだ「世界」を舞台としたものとなったわけです。

第一次世界大戦で帝国主義は終わりを告げていた

 バラクラフは、たとえば、われわれが「いま」──『現代史序説』の書かれた四十年ぐらい前を指しますが──一九〇〇年代の世界に戻ってみても、現在とそんなに違った印象はないだろう。しかし、一八七〇年初頭に戻ると、まったく違った世界に来たという気がするだろう、というようなことを書いています。

 一八七〇年代とは、イギリスでいえばヴィクトリア朝の最盛期でしょう。
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