読みたいトコだけ買える本。
犬耳書店
初めての方へ 記事一覧 無料登録 ログイン

犬耳書店はRenta!へ統合いたします

(2021/9/29 UP)

犬耳書店は、姉妹店のRenta!(レンタ)へ統合いたします。
詳しくはこちらでご確認いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

0
-2
kiji
0
0
1226118
0
20世紀とは何だったのか
2
0
0
0
0
0
0
人文・科学
お気に入りとは?

お気に入りボタンを押すとお気に入りリストにこのページが追加されます。興味のあるページ・気になったページを後から確認するのに便利です。

お気に入り お気に入り
第3章 ニヒリズムと「存在の不安」 ハイデガーの試み

『20世紀とは何だったのか』
[著]佐伯啓思 [発行]PHP研究所


読了目安時間:32分
この記事が役に立った
0
| |
文字サイズ



世界を定義づけるものは人間である

 第2章で述べましたように、ニーチェの考え方はたしかにきわめて西欧的です。それは二重の意味で西欧的といえます。第一に、ニーチェ自身がプロテスタントの牧師の息子で、ギリシャの古典文献学者という意味も含めて西欧文化にどっぷり浸かって思想形成し、しかもそれを根本から否定しようとした。キリスト教文化、それに近代的市民社会の文化を、彼は根本から批判しようとしたのです。その意味では、ニーチェのニヒリズムは西欧精神に対する強烈な攻撃であり、西欧が築いてきた文明に対する大きな反動です。

 ところがもうひとつの意味があって、西欧的精神を批判するニーチェの考え方そのものもまた、きわめて西欧的なのですね。ニーチェは、最終的に人間が自由になって、みずからの価値をみずからがつくり出すべきだと考えている。この場合の自由とは、あらゆる制約から逃れて、無制限に自分のなかにある価値を表現することができる、そういう意味での絶対的な自由です。

 そして、そのような意味での自由という観念をつくり出したのは西欧だけなのです。徹底した人間中心的な自由です。人間を中心に置いて世界を構成するという考え方、世界を定義づけるものは人間であるという考え方。このきわめて西欧的な情念とでもいうべきものをニーチェもまた共有しており、その意味では、ハイデガーが述べたように、ニーチェもまた西欧の哲学的伝統のなかにしっかりと根ざしているわけです。キリスト教を否定したとしても、神や法の代わりに、その超越的な位置に人間の自由意思を据えたのですから。

合理主義では計り知れない非ヨーロッパ世界との遭遇

 そして、このニーチェの思想は、十九世紀の終わりから二十世紀初めにかけてのヨーロッパにおいてはたいへんな影響力をもちます。それは、ニーチェの哲学的な思想が多くの人に理解されたからというよりも、生活実感として十九世紀末から二十世紀初めにかけてのヨーロッパが、一種の崩壊感に見舞われてくるからでしょう。

 もちろんひとつには帝国主義のもたらしたさまざまな帰結があって、帝国主義によってヨーロッパが世界に膨張していくわけですが、逆に非ヨーロッパ的なものが不気味なかたちでヨーロッパに押し寄せてくるのですね。

 そのなかで、近代ヨーロッパ人が信奉してきた合理性という信念も揺らいでくる。啓蒙主義以来、近代ヨーロッパが奉じてきた人間の理性、人間中心主義=理性主義への信奉が、非ヨーロッパ世界から押し寄せてくる非合理的なものによって相対化されていきます。

 たとえば、近年、完全版が上映された『地獄の黙示録』のもとになっているのは、コンラッドの『闇の奥』という小説ですが、これもアフリカのコンゴの奥地に向かっていくなかで、コンラッドの分身ともいうべきマーロウという語り手が体験する出来事ですね。一八九九年に書かれたものです。帝国主義を推進するヨーロッパが非ヨーロッパ世界と出会い、その「闇の奥」に横たわるある得体の知れない不気味でおぞましいものに遭遇し、そこに囚われてゆく過程を描いています。コッポラの『地獄の黙示録』は、この十九世紀末の帝国主義を七〇年代初頭のベトナム戦争に移し変えたものでした。これはまた、人間の精神の奥底には合理主義などではとても理解できない、とんでもないものが潜んでいることも指し示しています。

 もうひとつ代表的な例をあげるなら、E・M・フォスターの『インドへの道』がありますね。これもイギリスの植民地主義が生み出した小説ですが、最初は植民地の支配者としてインドへ出かけていったイギリス人が、徐々にインド的なもの、西欧の合理主義ではとても計り知れない得体の知れないもの、何か呪術的で神秘的なものに取り込まれていってしまう。シャーロック・ホームズの探偵小説にも「植民地的なもの」がしばしば暗い影を落としていますね。植民地のなかで生じたおぞましい出来事が近代文明のイギリスのなかに持ち込まれ、殺人事件などを起こして不気味な闇を見せるのです。

 マックス・ウェーバーが、近代化とは呪術からの解放であり、生活、思想のあらゆるレベルでの合理化である、といったわけですが、しかし世界全体を見れば、決して呪術からの解放などありえない。ヨーロッパは合理的な認識、世界の合理的構成こそが力であると考えましたが、こうしたヨーロッパの近代的発想こそがある種の呪術に囚われていたともいえるのではないか。そういったことが、十九世紀の終わりから二十世紀初めを生きたヨーロッパ人にとっては、身に迫った問題として感じられてくるわけです。

 このような状況を背景として書かれたのが、たとえばシュペングラーの『西洋の没落』でした。これが書かれたのが一九一八年、第一次大戦がちょうど終わるあたりです。タイトルからすぐにわかるように、文明は、ギリシャにせよ、ローマにせよ、成長すれば必ず没落していく。文明は一直線に「進歩」するものではなく、生物体と同様に、成長し、成熟し、そして没落してゆく、という。いまやヨーロッパ文明は没落を迎えようとしているということを、あたかも大河小説でも書くかのように西欧文化のあらゆる局面にわたって描いた長大な作品です。

 しかもこの時期には、シュペングラーだけではなく、多かれ少なかれヨーロッパの没落をイメージさせる黙示的な書物がずいぶん出てきます。たとえば、エルンスト・ブロッホという思想家がいますが、彼の『ユートピアの精神』(一九一八年)、それからカール・バルトの『ローマ書講解』(一九一九年)、カール・クラウスの『人類最期の日々』(一九二一年)、ローゼンツヴァイクの『救済の星』(一九二一年)、ルカーチの『歴史と階級意識』(一九二三年)、ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』(一九二三〜二五年)──こうした本が続くのです。そして、ヒトラーの『我が闘争』の第一巻が一九二五年、第二巻がハイデガーの『存在と時間』と同じ一九二七年に発表されます。
この記事は役に立ちましたか?

役に立った
0
残り:13486文字/本文:15939文字
この記事を買った人はこれも買っています
      この記事を収録している本
      この本で最も売れている記事
      レビューを書くレビューを書く

      レビューを書いてポイントゲット!【詳細はこちら】

      この本の目次